昨日は父の命日で一周忌でした。

ひさびに自分のブログ整理していたら、
一年前の投稿が保存して会ったのでUPしてみました。
亡くなった夜に書いたんですね。

父が亡くなり 1年経って思うこと。
私は親孝行できたのかな?ということ。

大腸ガンがみつかってから亡くなるまで…
治療の選択をする場がいくつかあったけれど、私は一切口を出さなかった。
家族に病人が出ると、生活スタイルが変わってしまう。そのなかで家族達はどうにか最善の方法を取る。そこに、遠くに住む娘が口を出したところで手伝える事はそうそうない。母と弟夫婦には父のことでは頭が上がらない。看護師である義妹には感謝しかない。

でも…娘として、治療や療養生活に対して口に出せば良かったかと思う。 そうすれば少しは元気な状態で父が長生きできたのではないか?
再発(取り残し⁈)しなくて済んだのではないか?
再入院後、一度は家に外出できたのではないか?

私は父が再入院してからの11ヶ月、どうにか仕事と家庭を調整して、1月に一度は顔を見に行く!と自分で決めた。
片道4時間ちょっとかかるので、日帰りで20分だけ行ったこともある。
大変な時もあったけれど、それはきっと私の自己満足だ。

終末期の患者さんと関わる度に後悔の念は残る。
山ほど残る。そして私は目を背けている。



毎月通った福島も、父が亡くなった後は足が遠のいてしまい、季節の節目や法事で帰るくらいになってしまっている。

今回、夏以降に会った母が、ますます小さく感じた。
いつまでも母が元気でいるとは限らない。

後悔のないよう、親孝行したいと思う。
父が亡くなった…

自由奔放だった父。
孫思いだった父。

最期は会えなかった。

思春期の頃、大嫌いだった父…
本気で死んでくれればいいのに…
と、何度思ったか分からない。

私が結婚してからは
なぜか旦那とは波長が合い…
娘(孫)が産まれて…
娘とはウマが合ってて、良く二人で出かけていたよね…
娘は高校生になっても、じぃちゃんっ子だよ。

相変わらず、暴れん坊で飲んだくれの困った父だったけれど。
いつからだろう?
いい爺さんになっちゃって。

惜しまれはしないかもだけど、
みんなに心配された最期だったよね。

私もお父さんのこと、本当は大好きだったんだね…