どうしてまた、こうも落ちるのでしょう。
元気な時もあります。でも無理しちゃってる時が多いのも事実。
それを分かってほしいと思う自分は、ずるいのかな?

最近「よくなってきたね」と言われることが多い。
結構、何気に辛い。
傍から見える私と、実際の私は違うんだよ。
そういう風に考える私は我がままでしょうか?

お正月、夫の実家に帰省しました。
違う枕、布団、眠れなくなった。
それを、まあ寝られないなら起きてればと、いとも簡単に言う夫のことを
分かってくれてないんだなと思い、悲しく、分かりあえない辛さを感じました。

4日に帰ってきてもまだ、体と心が緊張しているのか
帰省前ほど眠れません。
で、ぐじゃぐじゃ発生。最悪。

今?
ちょっとだけ落ち着きました。
母、病気の友人、弟にTELして、わ~わ~泣いて・・・
そりゃ携帯のバッテリーも切れるわな。

夫からの帰るコールがありました。
今日の私はあまりうれしくない。
先に寝てしまおうか。
なんとなくそのほうがいいような気がしてきた。
プチODしたいけど、加減が今日は分からない(頭がまわらない)。
でも死にたい。

死にたくないと思っている病人さんの代わりに、私が・・・ってできたらいいのになぁ。

GWは毎日どこかへ遊びに(自転車とか徒歩でいける範囲)出かけて、楽しみました。
お天気が良かったせいか、何なのか、体調もとても良くて、「もう治ったんじゃない?」っていうくらい。

ところが・・・GW明けの5/10、なだれが起きたかのように体調を崩しました。
どのくらいかって、溜まっている大量の薬を見ながら考えてしまうくらい。

でも、主治医とは「ODしないって約束」してたから、退院のしおりに基づいて、病院へTELして指示を仰ぎました。
ちょうど主治医が居た(時間外の夜だった)ので、電話で話すと、「電話で話すよりも直接話をした方がいいから、これから来れる?」って聞かれて、タクシー代程度は手持ちがあったので、タクシーに乗って病院のER(夜間救急へ)。

タクシーに乗って、行き先は大学病院のERだし、私はわーわー泣いてるしで、運転手さんが気を使ってくださって
「お客さん、急ぎますか?」って。
たぶん、身内の不幸があったと勘違いしたんじゃないかと思われます。

ERへついても先生はなかなか来なく、家からのTELで頓服の○○を2錠飲んできなさいって言われてたので、それを飲んで行ったのですが、いい感じに薬が効いてきて、ふらついて、座って待つのがしんどくて、看護士さんにその旨伝えたんだけど余ってるベッドが無く、しょうがなく壁と背もたれに寄りかかる感じの席で主治医を待ちました。

やっとのことで来た主治医。いろいろ私が話をして、でも上手く伝えることが出来ない「何か」が苦しめてくるんだと伝えました。その他には主治医には「甘え上手になりなさい」と言われた。
そうだな、確かに下手かも。

夫にも連絡したので遅れて到着。
改めて3者面談。主に私が夫に上手く伝えられないことを主治医が代弁してくれたり、あとは私の物事に対する感じ方の癖とかを伝えてくれた。夫も私からの説明よりも納得してくれたので助かった。
帰り道、夕飯を外で食べたのだけど、夫からほめられました。
前はODしてたけど、今回はしなかったこと。一歩成長だと。


この時の面談で出た言葉「ぐしゃぐしゃ」は3人の共通語になりました。
私が調子を崩すのは、ぐしゃぐしゃが迫ってくるからなのです。

辛いときに、「ぐしゃぐしゃがやってきた」とか言うと、夫からは
正面から闘うんじゃなくて逃げろ
とか
闘わずして勝て

などと言われます。便利な、言葉がひとつできました。



昨日までの数日、調子が良くて気分転換に自転車(GWに夫より解禁になりました)で川べりのサイクリングロードをひた走ったり、ショッピングモールに行ったり、クラシックのコンサートに行ったり、活動的だったのですが、何の前触れも無く今日、落ちました。
ぐしゃぐしゃがやってきてしまいました。
今日は午前中に起きたけど、気分は最悪で、ベランダ菜園で種まきしてやっと出てきた芽を見ながらわーわー泣いていました。
なんで芽をみて泣いているのか、理由なんて自分でも分からないんです。今ちょっと調子を戻ってきてこうして書いているけどやっぱり理由は分からない。でも涙がとめどなく流れてきたの。

頓服を飲んで、ちょっと効くまで時間がかかるんだけど、音楽を聴きながら、今日はチェロのBGMの中、眠りにつきました。

起きたらちょっと良くなって、こうして久しぶりのブログを書いている訳です。
夫からは「今日はあまり無理しないように」って言われてしまいました。
だからご飯も作らないし、洗濯もしない。
でも、数学の勉強は自分がやりたいのでやっています。
また辛くなってきたら休もうと思います。

数学の勉強。
はまると解決するまで頭から離れない。
昨日、午後ずっと確率の問題(←苦手なの・・・)ではまり、夫に質問してはまたはまり・・・とくり返していた。
食事中もテーブルの上には問題集があって、ずっと解説を読んでいた。
ら、「やりすぎ!やめなさい」と。

はい、その通りかもしれません。
20年以上前の楽しかった思いを追体験しているのかもしれない。
さすがにあの頃はそんなお行儀の悪いことはしなかったけど。

悔しいから、夫にも「食事中は本や新聞読むな」と言い返しました。

平和な食卓に元通り。

私は脳みそが興奮したのかなかなか眠れず頓服を飲んだら、朝8時に鳴るはずの目覚ましを止めてお昼まで寝てました(笑)。
薬の加減もそうだし、寝る前にすることを何にするかなど調整の余地アリです。
うつになったこと、ずっと恨んでいた。
なぜ私が?なんでこんなに頑張って生きてきたのに。私の何が悪かったわけ? と。
でも、フジ子・へミング『魂のことば』にあった

どんなに教養があって立派な人でも、心に傷がない人には魅力がない。他人の痛みというものがわからないから。




これをみて、うつになったこと、3回も入院してしまうくらい辛い気持を味わったことは必然だったのかもしれないと、ふと思った。
別にうつになんてならなくたって、私は2浪もしているし傷はあると思っていた。
実家だって貧乏だし。
でもきっと違ったのかもしれない。
もしくは、別の角度からみたときに私の心には傷がなかったのかもしれない。

分かったつもりになって、苦労してきたつもりになって生きてきた。
仕事もできるようになってきたつもりだった。
でもきっと何かが足りなかったんだ、そう思った。

神様が、このままでは私はダメだと判断したのかもしれない。
本当に辛いとは、苦しいとは、不安とは、死にたくなるくらいの気持ちって・・・と。
病気になるまで、全くわからなかった。
常に「努力」をモットーに元気に、元気が出なくても元気になれるようにコントロール出来ていた。
今、少しは他人のそんな気持ちがわかるようになった。いや、正確には分からないのかもしれないけど、言えるのは、それがどんなに苦しいことかを分かるようになった。

やっぱり必然だったんだな。
偶然ではなく必然。世の中は全て必然で成り立ってる。誰が言った言葉か、あるいは朝礼か何かの時の言葉なのかだったのかは忘れたけれど、高校の時に聞いた言葉の一つだ。そして、私はその言葉を信じている。
くやしいけど100均の目覚ましでは起きられない。
電気屋さんまで買いに行こうと思う。
いくらくらいするのかな?悔しいからめいっぱい高機能なやつにしてやろうか(笑)。
以前夫から言われた「いつになったら働けるの?」の答えのために、「何をして働こうか」を考えてみた。
病気になってからも続けていた履歴書に唯一書ける職歴「SE」、これはもう無理だろうと思っている。
もしかしたら、思い出してまたバリバリと出来るかもしれないけど、離職期間が長すぎる。忘れていることが多すぎる。
自宅でリハビリできる範囲も限られている。
なぜなら企業では数十万するソフトを導入してそれを使って仕事をするからだ。
そんなお金ないし、ましてやどのソフトを使っているかは企業次第。
私がただの転職目的で探しているのであれば、いくらでも柔軟に対応できるだろうけど、
離職して、記憶をなくして、それでも年相応のSEになれるかと自問自答した結果、無理だろうと。

じゃあ私には何ができるんだ?と考えてみた。
数学を教えること。数学は好きだし、忘れているところがたくさんあるけど、でも好きだった気持ちだけは忘れていない。

プラスに働くかどうかは不明だけど、数年前に失効してしまった教員免許がある。
それになんといっても出身が理学部数学科だ。数学のプロとしてみてくれるんじゃないか。
塾とか、家庭教師として働いてみたい、そう思った。
大学時代に家庭教師に行っていた経験もある。

大学時代と違うのは、ここはお受験がある地域だということ。
だから、大学入試で数学科に合格したときくらいの知識を思い出さないといけない。
小学生から大学受験生までなんでもござれ。というのをウリにして。

今中学生の問題集を解いている。
単純なミスがあったり、時間切れのテストに悔しい思いをしつつも、どこかで楽しんでいる私がいる。
今の子たちにこんなおもしろいものを、嫌いになってほしくない、ちゃんとした答えがある科目なんてそうはないんだ、実は。

英語の作文にせよ、現代文の要約にせよ、答えはあってないようなもの。
それに比べて、ビシッと答えが出てくる数学は楽しい科目なんだってことを教えてあげたい。

私が尊敬する、代ゼミで出会った「木須一郎先生」は自分自身も、常にものすごい勉強をされてた。今は自分で塾を開いているけれど、私が予備校へ通っていた当時は全国の校舎に出張講義をされていた。
私は札幌だったけど、札幌の翌日は福岡だった。授業の終了の鐘が鳴っても中途半端に辞めずトコトン解説してくれた。そして、空港行きのJRに毎回のように飛び乗っていた。
僕の自給は10円くらいなんだよ・・・と言っていたっけ。
なんだか今勉強を始めて、その意味がちょっとだけ分かりつつある。
私もできるなら木須先生のようになりたい。夢はでっかくね。

まだ教える仕事に就けるほど記憶は戻っていない。
ひたすら勉強している段階だ。
でも、今中学生から始めて、いつか大学受験を制覇した暁には、胸を張って塾なり家庭教師事務所へ応募してみようと思う。

その日は近いのか、遠いのか、空振りに終わるのかは、神のみぞ知るである。
私にウツというド派手な試練を与えた神は、次にどんな試練を与えてくるだろう。
もう神様が与えてくる試練に負けない。負けるもんか!
そう思える自分が、やっと訪れた。

私の座右の銘
「仏様はその人が乗り越えられるぎりぎりの試練をお与えになる」
何の仕事に就こうか、そう考えた。

SEの仕事を以前やっていたから・・・と思ったが、これだけ記憶がぶっ飛んで、勉強しながらもう一度させてくださいだなんて、そんなこの世の中甘くない。

事務とかそういう仕事はしたことがない。
経理だとか、簿記だとかさっぱりわからない。

結局大学時代に思い描いていた教師(塾)とか経験がある家庭教師くらいしか、私にはないように思う。
ラッキーなことに失効しているけど教員免許がある。これが身を助けてはくれないだろうか・・・

数学の知識もぶっ飛んでいる。でも、全てじゃないことが最近分かった。穴ぼこだらけの記憶なのでもう一度中学1年生から勉強をやり直し、ハイレベルな問題まで対応できるように勉強することにした。

夫は私よりも数学の知識がある。
主治医に「同じ職業は良くない」と言われたけれど、厳密には違う職業になるし、私が教えている姿を見られることもない。
ただ、自宅勉強する際に、わからなかったら夫に質問できるのは、悔しいけれどここはひとつラッキーと思うことにした。

中学3年分はまだ手つかずにしておいた。まずは1,2年対策。
やっているうちに思い出せたらいいなぁ・・・

勉強する時間を作るために、今までの13時間睡眠はやめようとおもう。
目覚ましをセットして、朝8時くらいに起きて・・・という普通の人の生活にシフトしよう。
病気のことになると夫の検閲が厳しいので、ここにブログを開設しましたが、
ツイッターも検閲が厳しい。

ということで、ツイッターも新しいアカウントで開始しました。
IDは
megumu_fun


です。もしよかったらフォローしてくださいね。