朝日新聞阪神支局襲撃から30年 言論の自由テーマに議論  


今年は日本国憲法施行から70年の節目の年でもある。


民主主義を曲解した日教組や公務員労組による年金等に見る不当厚遇といったデメリットの部分はあれども戦前憲法における「ある種の権威とその周辺の存続だけを前提とし他の国民をそのための消耗品とする」、安倍に代表される「自分の言うこと、為すことだけが絶対だ」とする「人治主義」という19世紀の遺物から脱却する「法治主義」が貫いてこられたことにその大義がある。


政治や経済システムが間違って運営されていればそれを堂々と指摘し改善策を求められる(それが実現されるか否かは別として)という国民の表現・表意の自由が確保されてきたことが、愚昧で破滅的嗜好の政治家による失政を食い止める歯止めとなってきたことは紛れもない事実である。


それを、首相である安倍が「自分のやることは犯すべからざる絶対なものであり、反対する者は処罰する」であったり「(国民はまったく求めていないが)憲法改定(改正ではない)を2020年に有無を言わさず強行する」という断言、その見通しが立たぬとあれば、”同胞”である北部朝鮮の支配者と通謀して徒に危機を煽るというわけだから何をかいわんやという非常事態である。


この改憲の意図を見誤ってしまえばその帰結は米国も手心を加えて日本の復興に助力した太平洋戦争前後の比ではない。


テロ団体による直接ターゲットにされるだけではなく、極東戦争による致命的壊滅回避のために引き揚げてしまう在日米軍の離脱によって日本が露中朝連合によって「死の島」にされしまうのだ。


また為政者による真の意図である「ある種の権威(戦前戦中は天皇、現在は首相)とその周辺の存続だけを前提とし他の国民をそのための消耗品とする」という事実だけは、子供たちにもごまかして伝えることは許されない、近い将来の破滅を招くからだ。


国民が自分自身で考え、おかしいと思ったことは率直に口にすることができる、その権利が確保されない限りその民族はやがて破滅に瀕していく。


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憲法といえば9条を取りざたされることが多いが、その確保の前提として前文 国民主権、第11条 第97条 基本的人権の尊重、第21条1項 表現の自由の確保は最小限でも確保しておかなければならぬものだ。


これこそが日本国憲法の真の三要素だ。


これらを否定(改憲自民案)されてしまえば平和主義なるものも成り立たないからだ。


国家の重大方針は突発的緊急対応を除き少数の上層部ではなく、国民の総意によって決定する。


これを第11条2項として新設して「国というのは少数の支配者ではなく国民のためにある」と宣言すべきである。


また基本的人権は国民の不断の努力という曖昧模糊とした第12条の表現を改め、「選挙への投票義務の履行や請願、意見表明、解職請求(リコール)といった手段を通じて」を加筆するとともに、地方自治体首長らと同じ行政である首相以下大臣のリコールの道を開いて国民の側から誤りを糾すことも不可欠だ。


そうすることによって、戦前戦中のように国民が諦めてしまって付和雷同により破滅へと引きずられてしまうことを防がなければならない。


具体的対応は手続法に譲るとしても、12条第2項を新設して少なくとも選挙投票は義務であることを定めて(棄権罰則については手続法に委任)なければ国民側の無責任と怠惰によって70数年前まで継続していた全体主義への逆戻りがいとも簡単に実現してしまうのである。


15条の公選と罷免だが、これについては現在、最高裁判事だけにとどまっている国民審査(これも国民の関心の低さから空欄として投函する者が多く、機能しないがどういう形ででも○×どちらかをはっきりと書かせるべきだろう)を、各省庁次官(長が大臣ポスト)、日銀総裁、会計検査院長、検事総長までは拡大させるべきだろうし、そのために投票所に出向く手間を省く目的でのネット投票化は必須である。


もちろん15条条文に公選への投票については義務でもあることをくどいくらいに明記しておくべきだ。


非婚化ひいては少子化の主因である、今なお残る「役割分担の神話w」や時代を問わない「えり好み嗜好主義」を改善するために24条 婚姻(抽象的で何を言っているのか不明な2項を廃止してそこに入れ替えたいところだが)に第3項を新設して「外見や誤解に基づく性格評価から成る間違った相性判断を防止するための啓蒙」、自閉症気味の人について「好ましい印象を人に与えるための会話法など人付き合いについてのケースメソッドの適用」など具体的手法については手続き法に譲るにしても国として、国民の幸福のために尽力する旨を謳わないとことは進まない。


50条、議員の不逮捕特権だが、逮捕許諾請求は否定しないものの容疑が明確な場合について「会期前逮捕→会期中は釈放」は理不尽、後半は削除すべきだ。


53条、臨時会の召集だが具体的に何日以内に内閣が召集しなければならないと明記していないため、野党の要求を安倍内閣が握りつぶして回答を引き伸ばして時間切れという事例が何回か発生している。


年末まで日がないことも多いから20日以内に内閣が召集しなければならないと時限を区切ることだ。


これらの「加憲」によって、為政者の動向によっていとも簡単に破滅へと引きずられてしまう「憲法におけるセキュリティーリスク」の穴をふさいでいくことがいかに大切か、安倍政権というものは思い知らせるべく現れた実例としての反面教師である。


最後に筆者も、実は9条保持に固執して無抵抗のまま「座して死を待つ」べきだとは思っていない。


玉虫色であり、いかようにもできる解釈に時間を要し政権ごとにそのための具体策が異なる9条は非常時における対応に苦慮をもたらすという致命的なマイナス面があることは否定できない。


戦力をまったく保持しない国家というものは周辺国による錯誤と忖度(日米安保?条約)というありえない確率で生じる偶然のもとにしか成り立たない。

 

「明確化」と観点からいずれ変えざるを得ないだろう。


日本国憲法



憲法:施行70年 国民主権を鍛えよう=論説委員長・古賀攻