第4549回「野田佳彦に見る宰相の言葉の軽さ、"命を賭ける"とは自決を意味する」 | 新稀少堂日記

第4549回「野田佳彦に見る宰相の言葉の軽さ、"命を賭ける"とは自決を意味する」

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 第4549回は、「野田佳彦に見る宰相の言葉の軽さ、"命を賭ける"とは自決を意味する」です。3月24日付の産経新聞から引用します(写真も同記事から引用)。


 『  野田佳彦首相は24日、消費税増税関連法案に関し、「ここで決断し、政治を前進させることができなければ野田内閣の存在意義はない。不退転の決意で、政治生命を懸けて、命を懸けて、この国会中に成立をさせる意気込みで頑張る」と語った。有識者が人材育成に取り組む「日本アカデメイア」が都内のホテルで開いた交流会で講演した。・・・・ 』


 前段の『政治生命をか懸けて』ということには、多様な選択肢があります。

1. 解散・総選挙を断行する。

2. 総辞職する。

3. 議員辞職する。

4. 頭を丸める。・・・・


 一方、後段の『命を懸けて』については、小学生ではあるまいし、一国の宰相ともなりますと、『一生懸命やります』とか『死ぬつもり』では通用しません。それが、宰相としての言葉の重さです。安易に『命』とか『死ぬ』とか使うべきではありません(ただ、『政治生命』は、はるかに軽い言葉です)。


 このような言い回しにも、宰相の言葉の軽さを感じます。そのことは、海外での発言でも、如実に現われていました。本日付の産経新聞は、かなりの皮肉をこめて、大飯原発再稼動の先送りを報じています。


 『  関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働問題には世界も注目している。日本がどのように再稼働に踏み出すかは、各国の原子力政策にも影響を与えるためだ。野田佳彦首相は先月、ソウルでの核安全保障サミットではテロの脅威にもさらされる原発の安全管理策を誇った。しかし、大飯原発の再稼働には二の足を踏んでいる。・・・・


 1週間前の核サミットの演説で、首相は原発の安全管理に自信満々だった。電源の脆(ぜい)弱(じゃく)性克服や警備態勢の強化を主張。東電福島第1原発事故を教訓に、原発を急ピッチで拡大させるアジア諸国に安全管理の「範」を示したが、その自信はすっかり鳴りを潜めた。


 理由は単純だ。政府が原発を抱える地元住民に安全管理策を明確に説明できないのは、対策が実効性を伴っていないからだ。 』


(追記) 産経新聞だけでなく、報道ステーションでも激しく批判していますが、相変わらず古舘さんの発言はスッキリしません・・・・・。