大好きなバイト先の先輩と、大学生の姉がつきあいだしたのは、

わたしが高校2年の夏のことだった。
バイトでは「彼女の妹」として彼と仲良くおしゃべりもした。
わたしがのぞんでいたのは「彼女」の地位だったのに。
横恋慕とはわかっている。
それでもおしゃれをして楽しげにデートに行く姉が憎くて、悔しくて、
でもそんなことはおくびにも出せず、わたしは悶々として毎日を過ごした。

ある日、たまたま立ち寄った街で、妙な店を見かけた。
『占いとパワーストーン・護符の店』とかかれた看板がいかがわしい。
いかにもな紫のカーテンをかき分けて店にはいると、
しわくちゃの老婆が奥の椅子にちんまりと座っていた。
「恋を終わらせるとか、そういうのはありますか?」
どうせ冷やかしで入った店だ。わたしはダメ元で聞いてみる。
「恋を終わらせるねえ。ふむ。……ないことはないが」
老婆が手招きをした。
そばに近寄ると、懐からきらきら光る何かをだして、わたしの手に握らせる。
見れば、繊細なガラス製の人形だった。羽の生えた天使の形をして、弓と矢を持っている。
「なんてきれい」
「これが壊れたときに、壊した人の恋が終わる。
おまえさんのお望み通りの結果になるかは知らないがね」
代金はいらないというので、ありがたく貰って帰った。

家に戻ると、門の前で丁度姉と彼とが話をしていた。
わたしは彼に挨拶をして、姉に「おみやげ」と言って人形を手渡した。
「まあ、きれいね」
「光を当てるともっときれいよ」
そう、と姉がいい、光に向かって足を踏みだした。
その足が、わたしの差しだしたつま先に引っかかり、もつれる。
あっと悲鳴を上げて姉が転んだ。手にした人形がぱりんと割れる。
(やった!)
わたしは小躍りしたい気持ちを抑えて、心配そうに姉の身体を気遣った。
「大丈夫?」
「平気よ。でも人形が壊れちゃったわ」
姉が言い、彼の腕に掴まって立ち上がった。
ささっと膝とスカートについた泥を払う。 その手がとまった。
ふっと黙り込み、真剣な顔をして彼の顔を見上げる。
「――ねえ、話があるの」
姉が彼の正面へ向き直った。
「うん? なんだい急に」
面食らったような彼の顔を見ると、罪悪感がわき起こり、心がきゅっと疼いた。
「あっ、じゃあ、わたし先に帰ってるね」
さすがに後味が悪すぎて、二人の仲が壊れるところは見たくなかった。
わたしがいなくなったあと、別れ話をするのだろう。
そうしたら、悲しみにうちひしがれた彼の心をわたしが慰めてあげるんだ・・・。

妹が玄関に入った後、姉が言いにくそうに口を開いた。
「この前のプロポーズの返事だけど。――今転んだときになぜかわかったの。
この気持ちは恋じゃないって」
「それって、つまり」
息を呑む男の前で、女はにっこりとほほえんだ。
「恋なんて一時的なものでしょう。恋は終わって、いつのまにか愛に変わってたんだなって。あなたなしでは生きて行けそうにないわ。だから……プロポーズありがとう、喜んでお受けします!」


 妻が鼻歌を歌いながら食事の用意をしている。
 数年前、田舎に引っ越した。しばらくは、知り合いもないこの場所で鬱々として、見るからに正常な精神状態ではなかった。
 何度も元の場所に帰りたいと泣く妻の相手にうんざりし始めた頃、妻がガーデニングをはじめた。性にあったのだろう、それから次第に落ち着きを取り戻した。
 何もない田舎だが、土地だけはある。
 元々が凝り性の妻は、ミニチュアのショベルカーの購入をきっかけに、あちこちを掘り返し、埋め立て、小山を作り・・・すっかり造園の楽しみに目覚めたのだった。
「今度は何の種をまこうかなあ」
 カタログを手に、うっとりと眺める妻は楽しそうで、今ではわたしよりもこの土地の暮らしを謳歌しているように見えた。
「仕事に行ってくるよ。遅くなるから食事は先に済ましておいて」
 わたしは鞄を手に、家を出た。
 
「いってらっしゃい」
 美保は夫を見送って、カタログの注文用紙を机に広げた。新作の花々が美しいカラー写真で栽培説明文とともにずらりと並んでいる。広い土地をくまなく使い、グラデーションをつけ、高低差を生かし、様々な種類の花であたり一面を埋め尽くすのが夢だった。
「最初は虫がいて怖かったけど」
 こわごわとスコップで土を掘っていたときからすると、ミニサイズとはいえショベルカーを使うようになって、一気にガーデニング熱が燃え上がった。直に虫と接することがなくなったのが大きかった。それに加えて力もいらず、ざくざくと掘り返される土塊、みるみるうちに片付いていく地面も、爽快感があったのだ。
 ずっと放置されていた広い土地は、掘り返すたびにいろいろなものが出てきて、それも美保にはおもしろかった。
腐りかけの木の根や家具。よくわからない布やプラスチックや古い電気製品、それに・・・犬の死体やなんのモノだかよくわからない骨なども・・・。
 夢中になって掘り返したそういうもろもろを、美保は丁寧に埋め直し、上から花の種をまいた。特に肥料を与えなくても、栄養のある場所は何を植えてもしっかりと元気よく花が咲く。
「今回はちょっと奮発しちゃおうかな」
 新品種の花の種を心に浮かべながら、美保はうっとりと畑の方を見た。
 数日前、造園作業をしている美保の前に見知らぬ女がやってきて、夫との間に子供が出来たと勝ち誇ったように告げたのだ。まさかと思った。夫が浮気をしていたことには全く気づかなかった。
「奥さんがちゃんと彼の面倒を見てあげないから・・・うふふ、都会に戻りたいって泣いてるんですって? さっさと帰ったら? お一人で――」
 品のない赤い口紅も、金に近い茶色の髪も、思い出すのも胸くそが悪かった。
――ギンバエみたいだったわ。ゴミにたかる不潔な虫・・・。ぎらぎらして、汚くて、うるさくて。ああやだやだ。
 志保子はぱたんとカタログを閉じた。
「夫が種まきしたなんて知らなかったわ。それにしても、あまりいい土地じゃなさそうだし、どうせろくな花も咲かないでしょ」
 窓の遠く、視線の先には、むき出しの土肌が黒々と続いている。遅い時間までがんばって、ショベルカーで掘り起こした穴は、今はすっかり元通りに均されて、種をまかれるのをうきうきと待っている。
 ゴミの埋まった肥沃な土地は、汚いモノを覆い隠し、四季折々の種が芽を吹き、根を伸ばし、思うさまに葉枝を茂らせることだろう。
「立派な花がたくさん咲きそうね」
 美保はにっこり笑って、注文用紙に数字をいくつも書き込んだ。
 
鬱蒼と茂る林の木々の間から、灰色の空が見える。もう日暮れも近い。風音が強くなっていた。
俺は身じろぎひとつせずに、狭い隙間から外を眺めていた。
何時間も同じ姿勢を保っているため、手足はこわばりふるえを起こしている。
足下でなにかが軋む音がする。小さく振動が響いた。
頭上には無惨にへし折れて曲がったガードレールが垂れ下がっている。
車は山道を曲がり損ねて、崖下へとダイブした。
道を飛び出たときには死を覚悟したが、運良く突き出た木の枝に支えられたのだった。
問題はこの道が旧道で人通りがないこと、あとどのくらい木の枝が持つかということ、
自力ではここから抜け出せないということだった。
山は日が陰るのが早い。
見る間に空気の色が闇に染まる。
「誰かいませんか」
声を限りに叫んでも、風音に紛れて答える人もいない。
飲酒ついでに気が大きくなってドライブをしようと思い立ち、
人気のない道を選んだ自分のバカさ加減が恨めしかった。
足下がみしりと音を立てる。
風がでてきたのだろう、車体がぐらついた。俺は均衡を保つため、必死になって腕や足を突っ張った。
漏らした小便で腰から下はぐっしょりと濡れている。
気持ち悪さを感じるよりも、足下が滑ることの方が重要事だった。
じりじりと時がたっていく。
気の狂いそうな静けさの中で俺は神経を研ぎすまし、助けを待った。
と、草むらをかき分ける音がして、土くれがぱらぱらと車体に落ちてきた。
見上げる先に、黒く人影が見えた。
「おおい」
大声を出したつもりだったが、のどから出たのは嗄れたかすれ声だった。
「おおい、助けてくれ。頼む」
絞り出すようにして、精一杯に身を乗り出してみる。がけの上に男が立っている。
距離にしてほんの数メートル、ロープを投げてもらえれば難なく掴まって上れそうに思えた。
「見えてるんだろう、頼む」
人影が視界から消えた。
このまま置き去りにされる恐怖で背中を汗が流れた。
「おおい」 
震える声で呼ぶと、またひょいと顔をのぞかせた。取ってきたのだろう、手には太いロープを抱えていた。
「車で落ちたのかい」
見捨てられなかったことにほっとする。そうだというと、手にした財布をひらひらと降って見せた。
「これはあんたのか」
俺は頷いた。と同時にいやな予感が胸をよぎった。財布の中には分不相応な大金が入っている。
俺を見殺しにして金を懐に入れても誰にもわからない・・・。男が財布を開いた。中を確かめる。
「免許証も入ってる。一人できたのか」
俺はそうだと答えた。ぎしっと枝がしなる音がして、車体が傾いだ。
「助けてくれ。金はぜんぶやるから」
「金なんて欲しくないよ」
必死の訴えの目の前に、ロープが落ちてきた。
掴まって上れというように、上で人影が両手で支えている。
俺はそろそろと窓から身を乗り出した。
体を支えるロープはぎりぎりの長さで、体に巻き付ける余裕がない。滑らないよう、しっかりと指をくいこませた。
ジリジリとからだを浮かせて車を抜ける。みしっと音をさせて枝がたわんだ。車が傾く。
ガタッと足下が揺らいだ。
ふっと無重力の心地がして宙に投げ出される。かろうじてロープを掴んだ右手で体重を支え、わずかな岩の突起に足をかける。
がががと地面が揺れた。地響きをたてて車が滑り落ちていく。
「ぎりぎりだったなあ」
上から声がして、ロープが引き上げられる。男に支えられながら、俺は慎重に足場を探り上を目指した。
飲み過ぎた酒のせいで思うように体が動かない。息切れして途中の岩棚で休息をとった。
「大丈夫かい」
うなずいた。日も落ちてしまった。もうほとんど先が見えない。
暗闇の中。手にしたロープだけが私の命を支えている。
「岩棚ができている。そこで少し休むといい」
ぎりぎり立てる程度の出っ張りだが、息はつける。両足が乗ったところでロープがゆるんだ。
「綱を体に巻き付けて、しっかりしばるといい。」
そう言われて、腰に巻き付けなおして周りを見た。頭上斜め上に太い木の幹が見える。手を伸ばしてもまるで届かないが、引き上げてもらえば、なんとかたどり着けそうだった。その先は、木を踏み台に一気に上れそうに見える。
「あとすこしだから」
そう言われてうなずいた。先の道筋が見えれば、力もわいてくる。じんじんと鈍く痛む腕をさすっていると、しばらくマッサージ休憩を取るよう気遣う声がした。
「なんだってこんな山の中へ来たんだい」
聞かれて苦笑した。確かにわざわざくるような場所ではない。
「子供の頃に来たことがあって。懐かしくてちょっと」
本当だった。こう見えて高校時代はやんちゃもしたし、ずいぶんと周りに迷惑をかけた。今でもその時代を覚えてる奴には顔を背けられたりもする。気にすることはない。いつまでも過ぎた事を覚えてるちっちぇえ奴らだ。
「そろそろ準備はいいかな」
声をかけられてうなずいた。
ロープを腰にしっかりとくくりつけ、右手首にも輪にして通してある。
これでロープから体がはずれて落ちることはない。
「お願いします」
声を張り上げた。ロープが上に持ち上がる。くんと引かれた。右手が強く引かれ、体が傾いだ。ちょっと強いと文句を言いかけた。
そのとき目の前をざざと黒い固まりが滑り落ちた。ぐいとロープが突っ張った。身体が浮き上がる。斜め上に生えている木にロープが引っかかり、手首を持ち上げていた。
「なんで・・・」
綱の先、丁度反対側、目の前の位置に首吊りの体が揺れていた。顔が白く闇に浮き上がる。シャツの首に懐中電灯をくくりつけてあった。
「――冗談だろ」
見覚えのある顔、かつての同級生だった。気が弱いのをいいことに、悪ふざけをして軽くいじった・・死ねと言い、裸にしてトイレに顔をつっこんだ。泣いて謝るのを携帯の写メで撮った。軽い冗談のつもりだった。
「なんなんだよ、おい」
首がおれたのだろう、変な角度で曲がっている。飛び降りた衝撃のままゆらゆらと揺れている。両手はだらんと下がったまま、だらりと延びた舌が膨れ上がって何か言いたげだった。
「おまえ、なんなんだよ」
右手が引っ張られてぎちぎちと骨が痛んだ。外そうにも、思い切りきつく結んだ結び目ははずれない。体を斜めにして、小さなくぼみに左手をかけて、磔状態でなんとか体勢を保つ。
『死ねよ、死ぬとこ見ててやるからよ』
周りを囲んでさんざん蹴りをいれ、はやし立てた、あのときの光景が、鮮やかによみがえった。
――もうやめてよ。お願いだって。
『なんでおまえの頼み聞かなきゃなんねーんだよ。さっさと死ねよ、笑ってやるから』
ざわ、と風音がなる。
足がしびれて、体が前に傾いだ。歯を食いしばって足場を外れないよう身体を支える。少しずつ体力が削られていく。
学校を辞めて引きこもったと聞いた。目の前からいなくなればどうでもよかった。たった今まで、その記憶さえなくしていた。その程度の、興味すらない相手だった。
『悪かったって。頼むよ』
――なんでおまえの頼み聞かなきゃなんないのさ。
風に揺れてゆらゆらと、首吊り死体が揺れている。くるんと白目をむいてこちらを向いた。
――死んだよ。ほら笑えばいいよ。
声が聞こえた気がした。
のどから舌の根本までを突き出しながら、彼の口元は楽しげに笑っていた。