どもっ(。・ω・)ノ゛ りゅうおーです。



フェイスブックに地元の友達A君が投稿した記事です。



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今日は、小泉中学校の同級生7人と飲み会。


いろんな話の中のひとつである。



震災時、国道45号線二十一浜の橋は津波で破壊され通行できなかった。


「このままでは、救急車両が通れない。」


地元の土木会社で勤務していた同級生K君は、消防団。

同じく勤務する同級生のO君に橋を作ってくれないかと相談した。


会社の重機を使って仲間と国道45号線を南三陸町の北部から啓開をしていった。

重機でよけきれなかったものは、仲間が手作業でよけて行った。


そして、二十一浜の壊れた橋の少し上流に迂回路を取り付ける。


このことで、何台の緊急車両が通過したのだろうか。



K君はどこになにがあり、誰ができるのかを知っていた。

できることをした同級生の行動は、誰にも知られていない。


数日後、国土交通省の委託を受けて他の企業が別の橋を架けるまで使われ続けた橋。


その橋で救われた人たちがいた。

この東日本大震災では、各地に誰にも知られない地上の星がいたことを想像してほしい。



このふるさとは、そういった人々が支えている。


このふるさとは、そんなかんたんには無くならない。



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この話を初めて聞いたのは、震災後のゴールデンウィークに帰省したときでした。


そのときは、「なかなかやるやん(^_^)」ぐらいにしか思いませんでした^^;



正月休みで帰省したときに、改めてこの話を聞いて


「もしかして、物凄いことしたんじゃないのかΣ( ̄ロ ̄lll)!!」

と思いました。



一緒に聞いていたA君が、凄く感動してフェイスブックに投稿した記事を

本人の了解を得て、こちらに貼らせていただきました。




これが、震災から数日間大活躍した迂回路の今の姿です。


りゅうおーいきあたりばったり☆

役目を終え、水を流すために半分削られたようです。



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