【参謀総長の椅子】

 参謀総長、自衛隊でいうところの統合幕僚長という役職は、言うまでもなく軍隊における最高位の役職です。官僚の世界でいうところの事務次官のポジションになります。

軍隊という典型的な階級社会のなかで出世を目指す将校たちにとって、「参謀総長の椅子」何よりも輝かしいポストになるわけです。

しかし、これは非常に奇妙なことです。「参謀」(自衛隊用語で“幕僚”)とは、「指揮官の補佐をする」役職であり、小隊から師団に至るまで、全ての部隊で「指揮官」に服属する存在なのです。それなのに、最高位のポストだけが「○○指揮官」ではなく「参謀」総長なのです。

もちろん現代の軍隊では「最高指揮官は国家元首(政治家)」とすることで、理屈を合わせています。それでも、これはかなり強引です。防衛省にも事務次官がおり、政治家の補佐役は既に存在しているのです。

確かに有史以来、軍隊の最高指揮官は、基本的に政治家による兼任でした。アレクサンダー大王然り、シーザー然り、ナポレオン然り。そして、彼らの脇には常に軍服を着た補佐官がいたことでしょう。国家元首が軍服を着ない場合、彼ら「補佐官」たちが実質的に軍隊の行動を決めていたことになります。マリア・テレジア時代のオーストリアなどがその典型です。そう考えると、参謀総長の役職は、彼ら「補佐官」たちの名残りだと思えるかもしれません。


しかし、そういった職務上の類似点にもかかわらず、旧来の「補佐官」たち現代の「参謀総長」の間には、その「椅子の輝き」という点に於いて決定的な断絶があります。

マリア・テレジアの補佐官の名前を、誰が知っているでしょうか? 「指揮官」であるダウン将軍の名前は知られていても、「補佐官」の名前など誰も知りません。おそらく、当時の軍人たちも、補佐官のポストになど誰も憧れていなかったでしょう。




 軍隊に於ける最も輝かしい椅子を「指揮官」から奪い取ったのは、他ならぬ「参謀総長」モルトケです。

モルトケが就任するまえ、「参謀総長」は単なる研究機関の名目上のトップでした。しかし、モルトケが退任するとき、「参謀総長」とは最も先進的な軍隊組織に於ける最高の栄誉と実権を併せ持つ存在となっていたのです。

「参謀総長」の椅子は、モルトケによって輝かせられたのです。

あるいは、「モルトケが座ったから」というただそれだけの、しかし誰も反抗することの出来ない理由によって「参謀総長」という物置小屋の椅子が、最も輝かしい椅子だと認識されるようになったのです。



近代軍隊とは、モルトケが座った物置小屋のボロ椅子を、「あれこそが軍人にとって最高の椅子なのだ」と褒め称える軍隊なのです。そして、出世を目指す将校たちはこぞってそのボロ椅子に突進するのです。

 

 

 

 

 



最も偉大な人間とは、最も輝かしい椅子に座る人間ではありません。

「彼が座ったから」というただそれだけの理由によって、「輝かしい椅子」の定義をまるごと引っ繰り返してしまうような人間こそが、最も偉大な人間なのです。