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◆日本の大学生が授業中に手を挙げない理由

統計数理研究所が発表した「日本人の国民性調査」によると、「たいていの人は他人の役に立とうとしている」と答えた人が45%と、過去最高を記録。「自分のことだけに気を配っている」と答えた人は42%で、初めて逆転したようだ。

日本人の国民性の良いところの1つにこの「周囲への気配り」がある。自分だけでなく、周囲の人がどう感じているか、何を望んでいるかを察して、時に個人的欲求を抑えて行動できる国民性は誇るべきものだし素晴らしいと思う。

しかし、残念ながらその誇るべき国民性が逆にマイナスに働くケースも多い。

私は大学での授業や就活セミナーなど大学生に話す機会が多いが、海外の大学生と比べて日本人学生の授業中の圧倒的な「行動」の違いは授業中に「手を挙げないこと」。もちろん日本では講義型の授業が主体で、その機会すらないというのも現実もあるが、実際に求めても手を挙げて自分の意見を発表する学生は大人数の教室であればあるほどいない。

これは大学生に限ったことではなく、社会人向けの研修でも同じだ。

そういった姿勢を見て「日本の若者はシャイだ」「意見の主張に消極的」と評価する外国人も多いが、ある意味「周囲への気配り」という誇るべき国民性が裏目に出ているケースだろう。

だからといって私は「日本人は大勢の前で自分の意見を発言できない国民」とは思わない。
それは「低レベルの気配り」と「高レベルの気配り」があるはずと思うからだ。

「低レベルの気配り」とは、周囲を尊重しすぎるあまり自分の意見を主張することを遠慮すること。しかしこれでは意見の不一致などは起こらないかもしれないが、本当の意味で相手のためにもなっていない。

「高レベルの気配り」とは、例え恥ずかしさや緊張はあったとしても色々な意見を出すため周囲に役立とうと考え、勇気を持って意見を主張すること。同じ意見の主張ではあるが、これは本当の意味での「周囲への気配り」があっての行動になると思う。

グローバル化で日本の若者やビジネスマンが世界の舞台で意見交換をする機会も増えると思うが、ぜひ日本人の国民性を活かして「気配り」をしながらも、積極的に意見を主張すべきだと思う。