思うに、私ら世代は授業でパソコンは登場しなかった(正しくは存在してなかった)わけで、
個人が所有して、それぞれのニーズに合わせた使い道しかわからない人が多いのが現実。

IT化が進んで仕事がラクになった一方で、ある程度の知識(スキル)を持ち合わせていないと事務仕事はついていけない。

パソコンスクールに通うお金がない、そんな時間があれば働く、などなどの理由で私もずいぶんと遅れをとってしまった。

エクセル・ワード・パワーポイントなどの使用が当たり前となっているいま、自宅のパソコンをインターネットでしか使用していない=文字入力ができるなら大丈夫という程度ならまだしも、
業務で実際はそうでないケースにぶち当たる。

とはいえ頚椎・腰椎椎間板症持ちに立ち仕事はムリなわけで。

先月辞めた会社の同期の人も同じ世代で、実際事務仕事をするとなると厳しい場面が多かった。
彼女も持病を抱えていて出来れば次も事務系が良いと話していたが、なかなか決まらずとうとう立ち仕事のサービス業に就かざるを得なかったようだ。

いろいろ難しい時代になったよ、本当に。
個人の努力なくして成り立たないのは充分理解はしてるけどね。

ただ、何人であろうと「適材適所」ではない職に就かざるを得ない事情があって、それをカバーできるほどの社会制度がまだ充分に追い付いていないのが現状なのだと感じる。

この日本は高齢者の就労率が主要国の中で非常に高い。
昭和15年生まれの75歳になる私の母も例外ではない。
年金だけでは生活が成り立たないからである。
本人は「身体がいうことをきく内は働かないと」と言う。
近所の悠々自適に暮らすおじさんに「あんたの母ちゃんは働きモンだなぁ」とよく言われたが、
その反面、自分としては情けない気持ちになってしまう。
高齢の母を働かせていることに罪悪感があるからだ。

さて、既に破綻しているとされる年金制度ですが、私たちは将来何歳になればもらえるのかしら。

そもそも期待などしていない。
制度そのものはもちろん、経済的な事情で払込を免除している期間が長いというのが一番の理由。

貯金にしても病気や何かであっという間になくなってしまう程度の額しかない。
なのに、いろいろ踊らされて「今が楽しければいい」的な感覚で消費生活を送っている。
どんなにお金があろうと健康な身体が一生続く保証など誰にもないのに。

こういう人は私だけではないだろう。
その世代がこれから高齢者になった時の状況を考えると本当に心配。

心配というより、鬱になるという方が正しいのかな。

こんな不安な世の中をどうにかしなくちゃと考えることは健全な精神状態ではあるが、
その反面、鬱なのである。

多くの人は専門家でない限り、社会保障制度を隅々まで理解ができていない。
そのため、それに照らし合わせて自分の置かれている状況が「貧困状態」であり、社会保障制度の庇護を受ける権利があるということに気付けない場合も多いのではないかと推察する。

かくいう私は本当に中途半端な理解度なので、もっと知っておかなければならないと痛切に感じる今日この頃。