兄貴が倒れました、

えらい事になってしまいました、

退院しました!

っていう記録がここに残ってたけど。

 

 

そこからがまた苦悩の始まりだったけど、

ここではその記録ほぼなしなんだなあ。

 

在宅の間のいろいろの記録は

別ブログ(goo)とかでしてたような気も。

mixiとか。

なんてとりとめもなく(笑)

 

ここの日記のその後に

嵐にはまって救済してもらってた。

 

泣きながら嵐のDVD見て

実家と自分んち行き来してたあの頃。

 

自分ち帰れば、姑さんと義弟の事があったから

車内のあの時間がどんなに癒しの時間だったか。

今でも当時よく見てたTimeとか

観ると胸が苦しくなるもんなあ。

 

まさか余命宣告受けてた兄貴より

先に義弟が逝くなんて思いもしなかったし。

 

あの数年はいろんな事が凝縮されてて、

感情めまぐるしくって振り幅もすごくて、

それでも"普通""日常"のわかりにくいフィルターのかかった

シアワセというものを、実感させてもらえた事はない。

 

それこそがBeautifulDaysだったんだな。

最近の私は欲張りになってきてるよ!ごめんな!

空を見上げて、反省。

 

 

 

兄貴のおかげで介護の仕事は

自分にしかできない事があるって

誇り持ってやってる。

辛い職業だけど、

私がせんで誰がするねんって思える。

にーちゃんほどしんどい思いした人

おらへんやんって思うとなんでもできる。

 

過去の日記読み返しても、

シロートな私な!(笑)

 

看護士って!看護"師"ちゃうのん、とか。

めっちゃそこ気になったわーー。

(今やったらNSか←)

 

かあさんの『兄貴の現状を受け入れられない』って事が

どうしても理解できないし憤慨してたのね、あの頃。

 

今は母さんの気持ちの方がよくわかる。

受け入れられる筈ないやん。

わかってるから母さんも苦しかったんやろうなあ。

娘にはそこ責められるし!

 

時間が経ったら、そんな感覚も変わるんやなと

少し驚いてる。

 

アメブロ久しぶり。

どう使っていいのか、よくわからないぐらいに

久しぶり。

 

泣いて笑っての日々を

毎日残す事は

当時はやっぱり辛かった。

今でも自分の吐き出してる言葉に

涙がとまらなくなってるもん。

 

昨日、弟の誕生日で。

毎年、ビフォーの兄が私の誕生日に

メールくれてたので(仲悪かったのにさ!)

私も弟のBDには、忘れず送ろうとLINE。

 

『ふたりで兄貴の年齢に、

追いつけ追い越せしていこな』って。

 

ぼちぼちとここももう一度

読み直しながら、

今だからわかること、

今も辛い事、

兄貴と過ごした日々は、かけがえないものだったと

亡くなってもう3年になるけど

今でも私にとって大切な時間って思える。

 

昨日、兄に代わって、兄の勤めていた会社…本社の方へ行ってきました。

倒れたのが一昨年の7月。

以来、会社の社長さんをはじめ、

「待ってるから」と言って、温かく見守り続けてくださってました。

一昨年の夏、まだ兄が入院中だったとき

初めて母と二人で本社に訪れたときも

「長期療養の期間は大丈夫です。

会社の規定はあくまでも規定です。

いつになってもいいから。

復帰を待ってますから」と言ってくださってました。


実質名前だけが残り、

以後、会社に何も実績という形で貢献できていない兄なのに、

社長さんはお忙しい中、何度も実家に足を運んでくださってました。


治る見込みがないと知った時も、

母のゴールは会社への復帰でした。

癌で完治しないと言われた時、

それならどうか社員のままで、その時を迎えさせてあげたいと思ってました。


子供達が実家に会いに来てくれて

1時間後には記憶のかけらも残ってません。

社長さんがいらっしゃってくださった時

いつまでも覚えていたそうです。


大学を卒業してから、約20年。

生活のほとんどを、それに過ごしてきていたワケだから、

記憶とかそんなトコで覚えてるっていうよりも

カラダに滲み込んだものってカンジ?


だから、それを形式だけとはいえ

私の口から「退社します」と言うのは

すごくエネルギー使いました…。

辞めたくてやめるんじゃない、

それがあるから芯になってた、

そこ目指してた、

自分の生きがい、

なんで辞めなあかんねん、って。


社長さんも、総務課長さんも勿論、

一旦線引きはしますが、いつでも戻ってきてくださいとおっしゃってくださって。


こんないい会社に勤めててんやね、って

帰り際、エレベーター乗る時ふと

社長さんがた、とてもいい人で、だから代理の私もお話しやすくて

すごく感謝やなあって思った分、

ぶわっと悲しくなってしまった。





人として壊すだけでなく、

どんどん

どんどん

体の機能も壊していく病気です。



本人も辛いし、
回りの者も辛いだけです。


なんにも救いがないやん、
こんなん。

母の、ふとしたきっかけで
ぼろぼろスィッチ押してしまった。

車の後ろで泣く。


私は母を無視して、他愛ない話を兄とダベる。


帰り道は、スモールワールドに住まう父の事。

愚痴とか、胸がしめつけらる話。息がつまる。

今度は私が不意に泣きそうになるけど、
泣いてたまるか。


うちに帰ると、優しいトーチャン、無邪気なムスコ、かわいいムスメ。
わんこは2匹とも大喜びでお帰り!って言ってる。


天国やなあって思う。



私の母は、あの日、エックスデーから
毎日毎日地獄の日々です。

1年半経っても、出口は見えない。

私にとっての家族はトーチャンとムスコ、ムスメ。

でも、母や兄貴や弟や父、みんな問題を抱えてる実家の家族も
私が手伝ってあげなくてどうするの状態。

しんどいなあ。
ため息やなあ。

けど、うちの中に居る間は幸せを余計に感じる。
みんな普通で、元気で、笑っていられて、
それがなにより。

だから私は明日も実家に行かねばなるまいて。

3ケ月ごとに撮るMRI、
今月撮ったものからは特に異常はなし、
毎月してる血液検査の数値も正常範囲、
むしろ腫瘍は薬(テモダール)が効いて、
小さくなってきてます、
との所見をいただいたのが2週間ほど前の定期検診にて。

そっかー、
抗がん剤が効くと、取れない癌も消滅するって事も
あり得るのか、と
今までは期間限定やと思ってた兄貴の命、
意外と、細く長く続く道が見えた気がした。

テモダール飲むと、副作用で体がダルくなったりする。

あにサンはよくも悪くも、敏感でなくなったので(むしろ、鈍MAX)
服用中でも顕著に副作用はなかったんだけど、
今回は、テモダール飲みだした2日目あたりから、頭が痛い、との事。

記憶が持続しない人が、数時間経っても頭が痛いと言うと、
それは間違いなく痛いはず。


最初は通所サービスでは『風邪じゃないですか?』に始まり、
MRIは異常もなかったり、じゃあ風邪なのかな、
それとも薬の副作用かな、と、
○んセンターの主治医の先生に電話して指示を仰ぐと、
『内科受診してみてください。』と。

内科受診したら、風邪の症状ではない、と。
(この内科にて、看護婦サンに奇異の目で見られた、という話は、また別のテーマで)

訪問リハビリのOTさんに相談すると、
血圧が、下が100を超えてるのはよくない、と。

で、緊急の際(例えば痙攣)はうち(○んセンター)ではなく、
(一番最初に看てもらった)O西脳外科にって言われてたので、
そこへ行ったのが火曜の夕方。
で、CT撮ってもらうと、水が溜まってて、それが脳を圧迫しているって事がわかりました。

その日は点滴を受けて帰宅、あとは○んセンターの指示を受けてください、と。

次の日は、主治医の先生がたまたま出張らしくて
連絡は取れないわ診てもらえないわ、
やっと木曜に受診にこぎ着けました。
 

入院っつっても、短期です。
入院したら、看護師さんや同室の人に迷惑かけるのを見据えて、
母と二人で交代24時間つきっきりを覚悟してたけど、
そういう事情も察してくださって
主治医の先生が提案してくれた方法は短期間の入院で済む、とのこと。

詳細や経緯は、またすぐに改めて。


今までは、負の感情がぬぎいきれない事しか
ここに上げる内容がなかったけど、
今回はただ事実を記録するという、
事務的な内容が書けるから。

でも久しぶりの入院で、
またトラブル発生もなきにしもあらずやけど
それはそれで、その時の事やから。

とりあえず、明日寝坊しないで早起き!!
大丈夫か私…!

来年はたぶん、行けない、のではないかと。

今年、見せてあげたかった。

見たらたぶん、

忘れっぽい脳の中に

そうの光景が焼き付けられたんじゃないかな。

それと一緒に、感動できたのならその感情も

覚えていられたかもしれない。


連れてってあげれなくって、

ごめん。

兄の事に関して語ることは

ただ辛いだけで。

言葉を選ぶのもしんどくて。

現実見直すのも、そむけたくなることばかりで、

《記録マニア》の私でさえ結局、

その時々のことを向き合って綴る事ができません。


今年、年明けから毎日毎日、

どんだけーーーーってほど涙の日々。

今はやっと涙おさまって。

兄と母の前では、私ぐらい笑っておかないと、

笑って兄の抱える深い苦しみを

「そんなんダイジョブー!」って

笑い飛ばさないといけない、それが私の役目だなあと、

兄はホントは私にもっと真剣に聞いて欲しいのかもしれない、

もっと深いところにもぐりこんで欲しいのかもしれない、

真剣に掘り下げで欲しいのかもしれない、

そやのにそこから笑ってごまかして、逃げてる私です。


金曜の夜、

いつものように兄の様子をトーチャンに聞いてもらってたとき、

ふと気付いた事があった。

話を聞いてるトーチャンの表情が、すごーく、優しい。


その時、よもやあんなに仲悪かった兄の

そんな一面見れるようになるなんてねーって話を二人でしてた。

その時、

障害を抱えるようになり、

人から冷たい目で見られるようになった兄に対して、

トーチャンの、心から受け入れてくれてる優しい表情が見て取れたんだ。


にいちゃんのそんな(実は優しかったという)一面なんて

知らない方がよかったよ、今、あんな辛い思いさせてまで、って

話ながら涙出てきた。

トーチャンは、「それでも、今、生きてくれててよかってんやで」って

言ってくれる。

そう言いながら、

トーチャン本人いつも兄の事を「普通やって思ってるで」って

ほんとに普通に受け入れてくれてるんだけど、

その時、普通以上に優しさが顔に溢れてることは、

トーチャン自身は気付いてない。

それがまた、嬉しいやら悲しいやらの私なのだ。


ただね、

ほんとにね、

そんな人と一緒になれたことが、

私にとってのなによりの幸せだなあって思う。

いつもこれは神様に感謝してること。

でも同時に、

幸せって気付かせてくれるのは、

兄貴の不幸の上に乗っかってしまってて、

兄にごめんね、って思う。


にーちゃんの現実と、

トーチャンの優しさと、

いろんなものが入り混じって、

たまにやっぱりドカーーンと泣きたくなる私なのだ。