System Is System. -59ページ目
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If I Die,I Die
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「スパイと失敗とその登場とエロスの涙005」

 しかし、David Sylvianのこの約30年間にわたる変貌ぶりは、いったい何なのだろう。Japanを解散し、準備期間を経て発表されたソロ・デビュー・アルバム『Brilliant Trees』は、坂本龍一を始め、かなりマニアックなミュージシャンたちが参加し、Japanをさらに進化・深化させたクオリティの高いサウンドを構築していたのだ。そして、彼は、Holger CzukayやRobert Frippらとの交流を深め、サウンドのみの楽曲も積極的に発表して行く。それは、まさにサウンド自体がアートとも言える孤高の音楽を現前したのである。
 『Dead Bees On A Cake』と自身の選曲によるベスト『Everything & Nothing』を頂点として、2000年代には、新たなサウンドへと歩を進める。それが、即興演奏と彼のPoetry Readingっぽいヴォーカルが詩的サウンドを現前する『blemish』だ。その次作である『manafon』は、さらにその徹底度を高め、まるで日本の古典芸能である能や謡を彷彿とさせる彼独自の音楽が構築されている。音響系のミュージシャンの参加も注目されたものだ。
 常に最新作がベストとなる類稀なミュージシャン、それがDavid Sylvianである。2011年には、『manafon』を展開させた新作『Died In The Wool』を発表。これも静謐で素晴らしい充実したサウンドである。
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「スパイと失敗とその登場とエロスの涙004」

 先鋭的ミュージシャンによるアイドルのプロデュース・作曲や演奏への参画が、1980年代初期の特徴のひとつであると言えるだろう。
 今、思い付くのは、YMOの坂本龍一の飯島真理、YMOの細野晴臣の松田聖子や真鍋ちえみ、大沢誉志幸の山下久美子あたりだろうか。この頃、大沢誉志幸と銀色夏生によるクリエイター・ユニットも、水面下ではかなりの影響力を持っていたように記憶する。彼らは、大沢誉志幸本人のアルバムを始め、山下久美子や吉川晃司などの歌謡ロックのヒットナンバーを繰り出す。しかし、後々まで特に語り継がれ歌い継がれたのは、大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」だ。
 私は、確かYMOに関してはデビュー・アルバムを当時は聴き込んでおり、セカンド・アルバムが大ヒットした頃には飽きており、その後、『BGM』や『テクノデリック』で戻った不熱心なファンであった。坂本龍一のソロ・アルバム『B-2 UNIT』を当時は愛聴しており、これは今でも名盤だと思うのだ。坂本の『B-2 UNIT』と1985年発売の『エスペラント』が、私にとって坂本龍一のベストである。かなり偏りがあるのだけれど。
 坂本龍一は、David Sylvianと組んで、不定期にコラボレーションしているが、このユニットは1+1=∞な素晴らしいユニットである。始まりは、Japan『孤独な影』での友好的参加であり(Taking Islands In AfricaでのJapanと坂本龍一の共作)、Japan解散後は、David Sylvianとの連名で、「Bamboo Music/Bamboo Houses」「禁じられた色彩」を発表し、その活動は1990年代~2000年代まで継続されるのだ。最高の美的サウンド・ユニットと言って良い。そして、坂本龍一は、Alva NotoやFenneszとのユニットを経て、彼なりの究極のアルバム『out of noise』を2009年に発表するのだ。歌はない。曲によってはメロディさえもない。
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「スパイと失敗とその登場とエロスの涙003」

 1980年代初期と言えば、我が愛するJapanが解散し、David Sylvianがソロ・デビューした頃でもあるのだけれど、彼のミニ・アルバム『Alchemy 錬金術』が特に印象に残っている。これ、確かカセット・テープで最初は発売されたもの。彼にしては初のヴォーカルなしの作品だった。同時期に発売されたヴィデオ『旅の予兆』も同じ傾向の作品で、環境ヴィデオっぽい構成に、京都で彼がポラロイドで撮影しているシーンが挿入されていた記憶があるのだ。当時、六本木WAVEだったか、見本パッケージに「Davidのヴォーカルは録音されていません」との但し書きに笑ったものだ。
 Davidにサインをもらったのもこの頃だろうか。Fred Frithのユニットである実験的音楽集団Massacre(マサカー)のライヴが渋谷PARCO・Part3で行なわれた際に、会場にDavidがお忍びで来ていたので、ミーハー丸出しでサインをもらったのだ。エリック・サティの伝記本の巻末の空白ページに細字のボールペンを渡して描きにくそうだったけれど。この時のサインは、今も大事なコレクションである。
 その日は、確か、雨だった。かなり激しめの。激しい雨って言葉の組み合わせには必ずモッズを思い出す。
 実験的音楽集団と言えば、日本ではMariah(マライア)を思い出す。清水靖晃や笹路正徳によるユニット。奥平イラがジャケットを手がけた『うたかたの日々』が特に印象に残っている。確か、清水靖晃を始めとする、このユニットのメンツがプロデュースや演奏などで参加した亜蘭知子という女性ミュージシャンを、この頃、かなり気に入っていた。
 かなり暗いのだけれど、聴き込むと抜けられない気持ち良さが癖になるサウンドだったのだ。『浮遊空間』『神経衰弱』など。その後、亜蘭知子は、先鋭ジャズ・ミュージシャンからフュージョン系ミュージシャンの参加に変わり、1980年代初期の前衛ロック・ジャズの実験性からフュージョン系に変貌するのにつれて、私の興味も薄れて行くのだけれど。
 その後、亜蘭知子は、アイドルの作詞家として定着し、渚のオールスターズに参加したり、著作を発表したり、TVのパーソナリティーを務めた後、ブログで復活し、2010年には復活ライヴを行なう。自身の選曲でベスト・アルバムも発売。
 1980年代初期の特徴として、先鋭的ミュージシャンによるアイドルのプロデュース・作曲や演奏への参画があげられるだろう。上記のMariah(マライア)のメンツも、その代表格である。
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「スパイと失敗とその登場とエロスの涙002」

 しかし、香山リカ『ポケットには80年代がいっぱい』=真珠子、バタイユ『エロスの涙』、「落合多武:スパイと失敗とその登場について」が、三種の神器として、私をどこへ誘うのかは、まったく不明だ。バタイユの『エロスの涙』は、多数の画像をパラパラと見るだけで、文章は難解過ぎて何を主張しているのかも良くわからず、落合多武にいたっては、何がスパイなのか何が失敗なのか何が登場するのかも不明なのだ。
 ここに挿入される予定のドロウイングさえ何も描かれてさえいない。描かれる気配さえまだないのが現状である。いったい、これは、どういう状況なのか。
 1980年代初頭より、ほとんどリアルタイムでレコードなりCDなりを体験している、我が崇拝のDavid Sylvianの新しい名盤『DIED IN THE WOOL』を聴いて心を落ち着けようか。日本の古典芸能である能か謡をイメージさせる彼の『Manafon』展開盤。しかし、池田亮司のある種の音楽も、やはり日本の古典芸能である雅楽をイメージさせるのだけれど、これは偶然なのだろうか。ある種の音楽は、先鋭化・先端化すると日本の古典芸能にどうしても近付いてしまうのだろうか。
 とりあえず、この「スパイと失敗とその登場とエロスの涙」という文章は、脈絡もなく、きちんとした裏付けもなく、ある種の固定文体のもと、続けられるエッセイとも随筆とも判然としないシリーズであることを改めてお断りしておこう。
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「スパイと失敗とその登場とエロスの涙001」

 1970年代末~1980年代中盤までを回想した、香山リカ『ポケットには80年代がいっぱい』(ブックデザイン:祖父江慎+佐藤亜沙美、ドローイング:真珠子、発行:バジリコ)を手にし、読了したのが、この文章を書く契機のひとつと言えるだろう。
 バブルに至る直前までこそが、彼女の言う80年代なのだ。その視点は、私も共感できる。『ポケットには80年代がいっぱい』にも、その死が語られる北村昌士が編集長だった雑誌「FOOL'S MATE」に出入りしていた約半年近くの期間が、非常に懐かしい。
 内容とは別に『ポケットには80年代がいっぱい』のイラストが妙に引っかかり、インターネットで検索して、真珠子本人のウエブサイトを発見し、内容をチェックしてみた。気まぐれに描きなぐったような線と色彩、そこから生まれる出来損ないのような少女像が、妙に魅力的なのは、どうしてなのかわからないのだけれど。
 その後、もうひとつの契機が生まれる。内田康夫『蜃気楼』(サスペンスはほとんど読まないのだけれど、内田康夫の浅見光彦シリーズだけは別格で、テレビドラマとともにファンである。問題は必ず浅見光彦が解決してくれる)を読了し、何か読む本はなかったかと書棚を見ていた時のことだ。
 確か昨年に購入して放置してあったバタイユ『エロスの涙』(発行:筑摩書房・ちくま学芸文庫)を手に取り、開いた瞬間、挟んであった栞が落ちた。それは、栞にしてあった展覧会のチケットだ。青山のワタリウムで昨年の5月から開催していた「落合多武:スパイと失敗とその登場について」。亡父の三周忌に帰省した時に寄って見た時のものだ。中途半端なドロウイング、その展示方法など非常に面白かった展覧会だった記憶がある。
 この時、香山リカ『ポケットには80年代がいっぱい』=真珠子、バタイユ『エロスの涙』、「落合多武:スパイと失敗とその登場について」、この3種類が重なり、三種の神器のようにインスピレーションとして私の中ではじけた。
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