パニック障害 ~今日も滝汗~

パニック障害 ~今日も滝汗~

パニック障害と診断されて、……もうどの位だ?

自分を勇気付ける意味もあり、ブログを開設しました。

(不定期更新ですが…)



もしも共に同じ思いで頑張っている方がいたら

情報交換を希望しています。

はじめましてrutile(ルチル)です。

自称、明るいパニック障害です。滝汗かきながら頑張ってます。



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おばあちゃんが他界しました。


おばあちゃん。


私の母親は私が中学生のころ癌になり、その闘病と

その後もケアもあり、私は成人するまで おばあちゃんに

育ててもらったようなものでした。


おばあちゃんっこなんだね。


そういわれることも多かったけど…私のおばあちゃんは実に

正直な人でした。私を憐れむこともなく、むしろ両親の悪口を

言って聞かせてくれました。それ故に私は早く自分1人で生きて

いきたいって思ったものです。


そして私は独立しました。


そうなってみて おばあちゃんの言っていること、よくわかりました。

若くて尖っていた頃の私はホントに可愛くなかったよね(-_-;)

そういうこと、本当に知らなかったんだよ。ゴメンね。


けどさ、おばあちゃんも あの頃の私に相当高いハードルを設定

してたよね(笑) 相当 鍛えられましたよ。


おばあちゃん。


100歳まで生きるって言ってたの本気で信じてたんだよ。

何でも有言実行の人だったからね。安心してたんだ。

突然すぎて…気持ちの整理がまだついてないけど、明日

お別れの儀式なんだね…。


おばあちゃん。

幸せな人生でしたか? お疲れ様でした。


可愛くない孫だったね ゴメンね…。 

けれど私が今こうしていられるのは おばあちゃんのお陰です。

本当にありがとうございました。


でもね、でも…


寂しいよ、おばあちゃん。

だから泣いてても今は叱らないでね。

久しぶりの更新となっちゃいました。


そうそう、(よーやく)髪を切りましたリラックマ2


最初に。


何ていうか…

『頭ではわかっているつもりなのに、どうしても割り切れない』

そんな思いを敢えて“テーマ”に設定してます。


【暴言御免 ~本当は声に出して言いたい事~】


書き逃げゴメンの暴言もモチロンあります。

でも、本当は心から問いたいことでもあったりもします。

あくまでも“私自身の主観”です。不愉快、不適切、な表現も多々あるとも

思います。


ご容赦ください。


ただ…書いていることは“今”の私の素直な想いです。


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「言葉の壁」 のようなものを今、感じています。


例えば…「頑張って」という言葉はそんなに悪いことなのでしょうか?


なぜ、「頑張って」という言葉がいけないのか?ということは私なりに

わかっているつもりです。


そう言われた時の孤独感というか、突き放された感というか…

「これ以上 何をどう頑張れっていうのよ!!」って気持ちも体験しました。

ホント、泣きたくなる時もありました。


私が言いたいのは、チョット視点からずれるかもしれないけれど

「頑張って!って言っちゃいけないんだよね」と言う人達です。


私は言葉をあまり知らない。


だから例えばストレスとか心因性が原因でなにかしら“心の病”と呼ばれる

ものにかかってしまった者に対して理解が深まっていると思いきや、

実際、それに対してのリアクションは「頑張って!って言っちゃいけないんだよね」

ということなんだなぁっていう場面があまりに多いから。


正直言えば、そりゃー頑張れるなら頑張るって!  とか

それこそ、これ以上、何をどう頑張れっていうのよ! って思う時もあるし

頑張る気力すらない時だってある訳だったりもします。


でもね…

それってフツーなことだよね? いわゆる“心の病”だけのことじゃないよね?

って思うし。


思いっきり矛盾しているのは自分でもわかっています。


「頑張って」って一言がものすごく嬉しく感じる時だってある。

誰かに対して「頑張って」としか言えない時もある。


じゃぁ…誰に言われたか?が問題なの?

それを(違う意味で)“変換”してしまってたかもしれない自分が問題なの?


言葉の壁…。


「頑張って!って言っちゃいけないんだよね」 という単なる“言葉”の問題じゃ

ないような、そんな事を悶々と感じてます。


あぁ…私、暴言吐いてますかね?

言葉を使っての表現ってむずかしい・・・・。 でもきっと言葉を欲しているんですよね。

なんかわからないけど あっ、電話しなくちゃ。 とか

なんとなーく 頭や胸に浮かんで気になるってことありませんか?


でもって夢になんて出て来ちゃったりしたら某スピリチュアルカウンセラーに

言われなくたって行動したくなっちゃったりもしますよね。


って、実際 行動に移すまでにも数日かかっちゃたりもしたのですが。


(やっぱり) 

「電話してよかった」


そんな気持ちで終えました。大袈裟な予言めいた事なんて何にもないですけどね。


実家の親には私のPDの事、詳細には伝えてない。

でも以前ほど帰れなくなってしまった理由(言い訳になるの?)にこう伝えた。


何だかね…ストレスっていうのかな?

私、電車に乗れなくなっちゃったの。 大丈夫。 今の職場には自転車で行ってるよ。

でもね、自分でもわからないんだけど、 電車とかダメになっちゃったんだ。

ゴメンネ。 病院にも行っているから大丈夫。 思う様には回復してないかもだけど

行ける時は行くからあまり心配しないでね。


“パニック障害”なんて伝えたってきっと通じないと思った。

自分的には精一杯に“現状”を伝えたつもりだった…。 それからしばらく時が流れた。


で、久しぶりに電話してみた。 で、他愛のない会話をしつつ様子を伺って

(そんな微妙なことって…ありませんか?)切ろうとしたら こう言われた。


「ところで、体調はどうなの? 

電車に乗れないって前に言っていたけど。

仕事は続けてるんか? 

(…しばし沈黙の後)


“求心”飲んでみたらどうかい?」


求心…といえば(動悸、息切れ、目眩がキャッチコピーのようなオクスリです)


数年前の私なら『もうイイッ!!』 とその言葉を聞いた瞬間に一方的に

ガチャっと電話を切ってたでしょうなぁ。まぁ“キレ”るって感じで。


でもね。笑っちゃったんだよね。

でね、なーんかジーンと来ちゃったんだよね。


沈黙の間がそれを伝えてくれた気がします。


自分が大人になったのか、親が年をとったのかわからないけど。

言葉を超える“想い”のようなもの、そんなこと思いました。

今日は病院の日でした。


3週間に1度の通院、いつも同じ時間の予約。

ここ最近は本当に待合室の人が増えたなぁと実感します。

“予約”を入れていても1時間以上 待たされる事も結構あります。

予約制なのにそれだけ新しい患者さんが増えたからでしょうか?


で、診察といえば5~10分。


「最近、どうですか?」

「まぁ、相変わらずです…」


ってないつもの会話から始まります。

が、今回はチョット違う面持ちで病院に行ったのです。

前々回から「認知行動療法」をしてみましょうと言われ、それについて

書かれたプリントと宿題を提出した後、初めての診断だったので。


でもね…一生懸命 書いた宿題。

(私の問題リストというもの。解決したい問題を書き出す。

その事柄を身体、行動、精神に分けて書くということ)


最初、それを提案された時は(人にアレコレと言われたくないぜ!という

“エゴ”の分部が否定的にそれを受け止め)私は自分でも自己観察

をしているつもりです。と生意気にも先生に対して(←何様だよっですよね)

言ってしまいました。


けれど、自分では気づけない 自分ではわからない何かがあるのかも

しれないとやってみる気になったのです。で宿題を書き(自己観察

してるので楽ではありました)


で、その診断の日。

先生は私が書いたその宿題のプリントが何処かなぁ?と探した後、

それを読み上げました。で、同意を求めます。


(っていうか…そこに書いてあるよね?も、もしかして今初めて読む訳?)


ガーンずーん


今日は、ほとんどそれで終わり。

私は“今1番、不安に感じている歯医者に行くこと”を聞いて欲しかった。

最後に自分から切り出した。

「笑気麻酔をしてくれる歯科を探して、歯医者に行ってみようと思うのですが

笑気麻酔をするとしたら頓服薬は飲んで行っても大丈夫でしょうか?」


「大丈夫でしょう」


…。


あぁ、、、歯医者に行こうって勇気をチョットでも出したっていうのにそこは

スルーですか。。。


そして、本日の診断も終了。次の宿題もだされました。

「面倒かもしれませんが、書くことが大切ですからね」と。

(だからそれはやってます、って…)


確かに患者さんも増えて、全員と向き合っていたらとても午前中には

こなせない人数でしょう。


でもね…。


薬さえもらえればイイか、そんな風に思っていた3件目の心療内科。

チョット今回は期待していたのですが…理想と現実ってありますよね。

それって患者と先生のギャップでもあるのかな?


期待し過ぎですかね?