いつ買ったのか覚えていなかったんだけど、
テレビボードの脇についている本棚の扉を開けたら、
この本の背表紙が不意に目の前に現れた。
永遠のゼロ 百田尚樹著
あ・・・そういえば買ったねぇ。アマゾンで評点が高かったから
つい買っただけの本。手にとって何気なくその帯に目をやった。
「児玉清さん絶賛!『私は涙を必死にこらえようとした。がしかし、
こらえきれなかった・・・。』」
というようなことが書いてあった。
児玉さんかあ。。。この間なくなったなぁ。
確かこれを買ったのは児玉さんが亡くなるずっと前で
去年の秋頃だったから、児玉さんの書評は、私自身
全く意識の外だった。そもそも児玉清さんという人にも
余りケアしたことはなかったんですが。。
でも、つい最近亡くなったばかりで、何となく故人のことが
気になった事もあって、読んでみることにしました。
いったいゼロとは何だろうと思ったら、第二次大戦中に活躍した
零式戦闘機、いわゆる零戦のことでした。
特効で戦死した名操縦士、宮部という人物を巡ってかつての同胞たちが
その人となりを語り、人物像をあぶり出していく。
それを通して、戦場へかり出された若き戦士たちがその時代をどう乗り切ったかや
どう散っていったか、死や愛するものとの別離をどう受け入れていったのか。
登場する一人一人のドラマを丹念に紡ぎ上げていき、
生きること、愛することという大きなテーマを読者に問いかけます。
小説としては本当にすばらしい、読ませる力のある、
内容の濃いもので、当時の空軍や海軍の有り様を知る上で、
また零戦の実際を知る上でも大変参考になる一冊でした。
読みながら、太平洋戦争地図
なんかをiPadで見ながら、勉強しながら
読み進めました。本当に今では信じられない位若い人たちが
こんなに壮絶な経験をお国の命令でさせられていたなんて。
特に、桜花という人間爆弾が存在した事をこの本で知り、
こんな自爆装置に若い青年たちが文句も言わずに乗り、敵地で
命を散らせたことをおもうと、もう、ただ不憫でなりませんでしたし、
こんなものを開発したのは同じ日本人だと言うことを知り、
一部特権を持つ日本人の有する、何かとてつもなく非情な部分を
思わざるをえませんでした。
それは、今の原発の処理と何となく通じているものがあるような
気がいたします。現場の人や福島の人は、人じゃないのか、と思うような
そういう対応が目につくからですね。
日本人はやはり繰り返すのか。
今日本を司っているごくごく上部の特権階級たちは、
やはり戦前戦中のあの戦犯たちのDNAを引き継いでいるのだろうか。
こんな事では本当に日本は滅びていくような気がする。
たくさんの勇気ある忍耐強い国民と、ごく一部の保身に走る政治家や
大企業のトップ。未だに発展途上国なのかと一瞬疑ってしまうくらい
今の責任逃れや隠蔽・保身にはしる体質、放射能被曝制限のあり方・・・。
たまたま今のタイミングでこの本を読んだけど、
なんか戦時中の大本営と、現在の震災対応とがオーバーラップして見えた。
良くも悪くも、日本人という国民性を知る上で、
この本は大変有意義な一冊だと思う。
是非おすすめしたい名著です。