小林麻央さんのブログ、ずっと読んでいました。
でも…笑顔のお写真からは日々痩せゆく様子が伺えて、半月前からは見ることが出来なくなっていました。
※ここからは、わたしの父の癌のことを書こうと思います。
以前やっていたブログの時からいつか書こうと思っていましたが、思い出すのが辛くて書けませんでした。
ですが、舌癌は癌全体のわずか3%。
父の闘病中に、何度も何度も「舌癌」というワードで舌癌患者ご本人やそのご家族の方の手記やブログを検索しましたがほとんど出て来ませんでした。
当時はたとえネガティヴな内容だったとしても、なんでもいいから情報が欲しかったのです。
麻央さんが書かれていたように、少しでも「誰かの世界を参考に出来ると有難い」と思う方がいるなら書くべきだと思いました。
とはいえ病気の話はどうしても暗い話になります。
興味のない方や、癌の話で辛い気持ちになってしまう方はご覧にならないでください。
よろしくお願いいたします。
※昔の日記を探し出して読んでみると、抜けていたり記憶違いの箇所があったので加筆修正しました。
父は舌癌で、2011年に他界しました。
2008年に母が突然虚血性心不全で他界してすぐ、わたしは一人暮らしのマンションを引き払い父と2人暮しをしていました。
母を亡くした父は毎日辛かったのか、お酒をたくさん飲みタバコをパカパカ吸っていました。
注意しても聞いてくれず、酔うといつも「いつ死んだっていいんだから。」と言っていました。
2010.9
父は食事中、舌の裏の異変に気が付いたそうです。
でも父はしばらくわたしに黙っていました。
年内で自分の小さな会社をたたむことにしていて、それが終わってから病院へ行こうと思っていたそうです。
しかし1ヶ月後、とても酷い口内炎のような状態になり食事をとるのが辛くなって、そこで初めてかかりつけの内科へ。
うちでは何とも…と言われ歯科へ。
耳鼻咽喉科で診て貰ってと言われ、近所の耳鼻咽喉科へ。
紹介状を書くからすぐに行ってと言われ、市立病院へ。
検査の結果が出た日に、今すぐ県立がんセンターへ行ってくださいと言われその足で行き検査の予約。
そこでまた1から検査をして、12月の頭に「結果聞くのに誰か連れて来いってさ。」と父から言われました。
母は他界していたし、兄と父は折り合いが悪かったのでわたしが一緒に行きました。
2010.12.2
がんセンターなんだから、もう癌は確定してしまったんだ…それで家族も一緒にってことは…とアレコレ考えてしまい、父とはほとんど話すことなく病院へ行きました。
「舌癌です。手術で取りましょう。でも年末年始は医師も看護師も人手が足りず万が一に備えられないので1月に予約を入れてください。」
「とても難しい手術になります。12時間はかかるので朝一での予約にしてください。」
受付へ行き、最短で1月13日と言われたのでその日にしました。
「手術までの間に進行を遅らせるため、2週間入院して抗がん剤を使いましょう。」と言われ、12月の中旬〜入院。
2010.12.18
抗がん剤の副作用で吐き気に襲われていましたが、口内炎のような症状は少し和らいだ様子でした。
父は病室で「おめでとう」と少し照れ笑いしながら言ってくれました。一緒に過ごした最後のわたしの誕生日でした。
2011.1.13
父が舌に違和感を覚えた時からこの日まで、すでに4ヶ月半が経っていました。
手術へ向かう直前、手術用の着圧ストッキングを履くのを手伝いました。
キツくて中々履けなくて、笑い合ったことを覚えています。
腕を組んで一緒に歩いて手術室まで行き、「母さんが川の向こうで呼んでても行っちゃダメだよ!いってらっしゃい、頑張ってね!」と手を振りました。
父は笑いながら「今夜はカレーだよって言われたら行っちゃうかも」と振り返らずに手を振り返しました。
手術室のドアが閉まっていくのを、ドラマと同じだなぁなんて思いながら眺めていました。
手術は予定時間を過ぎて夜中までかかりましたが、無事に成功しました。
舌の左側半分と、下顎の1/3を切除。
舌の再建には左腕の皮膚を使い、腕へはお腹の皮膚を。お腹の皮膚は引っ張って縫ったそうです。
それと、術中の呼吸の為に喉に穴を開けてそこから人工呼吸器を付けていました。
手術室からストレッチャーで運ばれて来た父は、顔がパンパンに腫れ上がっていました。
そしてたくさんの管に繋がれ、拭き取れていない乾いた血で顔や首が汚れていました。
真っ赤に充血して潤んだ目でパチパチと頷くような合図をしてくれたので、右手の人差し指に触れると少しだけ動かして反応してくれてからICUへ運ばれて行きました。
術後すぐに医師からは、「リンパに少し転移していた所もキレイに切除しました。」と言われました。
転移という言葉に驚きましたが、少しだって言ってたし…切除したなら大丈夫だよね!と思いました。
翌日、着替えなどを持って面会に行きました。
眉間にしわを寄せ、右手でシッシッとされました。
痛みを堪えるのに必死だから帰れって事みたいでした。
4日後には一般の病室へ(ナースステーションから一番近い大部屋)。
磁石のお絵かきボードで筆談が出来るようになってました。
口よりも、腕が痛いと。
痛みですぐに起きてしまうから眠剤をもらったと。
1時間しないうちにウトウトして来たので帰りました。
術後しばらく、話せない食べられない動けないと父はとても辛い入院生活だったと思います。
けれど、治ると信じて前向きに治療に取り組みました。
「いつ死んだっていいんだから。」なんて言っていたけれど、まだまだ生きたいという気持ちが伝わって来ました。
「1ヶ月後くらいに一度退院して、体力を回復させてから再入院して放射線を始めましょう。」と言われました。
続きます。