何10年経っても、心が折れかけた時に勇気づけられるのはクルマの中で聴くこれ。
これは2年前のカレンダー。
2月15日は、3日後に亡くなるオカンが最後に生きてる証を刻んだ日。
2年前の今頃は、病院の待合室でオカンの手術が終わるのを待ってた。
テレビにはWBS。ニュースの内容はまったく入ってこなかったけど、大江アナがメインキャスターだったのを覚えてる。
まだコロナ禍だったから、術後の経過がわかるのは一週間後になると言われて帰宅。
夜は入院の準備。絶望感もあって眠れず。ほぼ寝ずに翌日は裏磐梯へ。すびちゃんのSUBARU車雪ロケ。
結局、2月15日はまだ意識のあったオカンと過ごせた最後の日、最後に会話などを交わした日になった。命日よりもむしろ、重い思い出のある日。
今も、3日に1度はオカンの夢をみる。
大人に育ってしまった。
8月9日は長崎が被爆したのを思い出す日。
それ以外では、あの近藤真一投手が高卒プロ入り初登板でのノーヒットノーラン達成記念日でもある。
あれから36年になるとは! もっともっと昔のような気がするね。中2の頃だったかな。
東大阪市・玉串の文化住宅で、テレビ以外の電気をすべて消した暗〜い部屋で、三角座りしながらひっそりと観てたのをよく覚えてる。ボリュームも最小限。何かに怯えていたのか。
パリーグの試合がテレビ放映されることは滅多にない時代だったから、基本、夜はいつも巨人戦のチャンネルに合わせる。
「多球場の途中経過」を知るためだけに巨人戦を観てて、どっちの応援をしてたわけでもなかったたんだけど、この試合だけは固唾を飲んで近藤真一のノーノー達成を願ってた。
9回表、最後のバッター篠塚選手へのカーブは、やや高めのボール球くさかったものの、アンパイアは空気を読んでストライクのコール。
ナイスジャッジ! と、真っ暗な部屋で、ここだけは叫んだのを今でも覚えてる。