今年は関東でも随分雪が降っています。
つい先日を含めると、今年になって3回目でしょうか?
暦の上では立春が過ぎ、もう春へ向かう時期ですが、旧暦では2月10日が元旦です。
まさに冬真っ盛り。という訳で、謡曲「鉢の木」にちなんだ鐔の出番です。
江戸初期に細川家が肥後熊本へ転封になってから、江戸時代を通して栄えた肥後金工のうち、
西垣派とよばれる一派の鉄磨地透かし鐔。
作風から2代西垣勘四郎の弟、勘平あたりでしょうか?
勘平の在銘に似たものがありますが、こちらのほうが洗練されている印象です。
左下に松を配し、その右には梅、左上には桜の花、そして花の下に※雪華紋形の櫃孔。
松、梅、桜、そして雪の組み合わせで「鉢の木」と呼びます。
武士の忠義の鏡として、よく逸話にされます。
※雪がふんわりと積もった様を雲のような形で表現しています。
謡曲「鉢の木」の題材を表現したものです。
どんな話か?読めば概略はあぁ。あの話かと皆さんご存知でしょう。こんな話です。
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鎌倉時代に北条時頼(当時の幕府執権。要は最高権力者)が僧に変装して三年間全国を旅しました。
執政者として、諸国の武士、庶民の生活を見て歩くためです。
そんな折、大雪に見舞われ、ある家へ一夜の宿を求めました。
その家の主は、さぞお困りだろうと家内へ迎え入れました。
しかしながら貧乏御家人の身で、暖をとって戴くにも薪がない。
そこで「鉢の木(盆栽)」の梅と松、桜の木を切り、薪にしました。
さらに非常時に備えて蓄えていた栗ご飯を炊き、出来うる限りの最高のもてなしをしました。
僧に扮している北条時頼は、これは大変なおもてなしだと感謝を述べた事は言うまでもありません。
そこで貧乏御家人の名セリフ。
「たとえこの身が貧しくとも、いざ鎌倉へ召集がかかれば真っ先に参上する覚悟」
数年後、北条時頼が全国へ鎌倉へ集まるよう令を発しました。
すると、件の貧乏御家人は、その言葉通り全走力で鎌倉へ駆けつけてきました。
貧乏御家人が僧の正体を知って驚いたことは言うまでもありません。
北条時頼はもてなしの心の素晴らしさとその行動を大いに褒めたたえ、
薪にした鉢の木の梅、松、桜にちなんだ地名の所領を与えました。
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江戸時代に歌舞伎でも浄瑠璃でも「鉢の木」という題で人気を博した話です。
例え作り話であってもいい話はいい話じゃありませんか?
武士は食わねどなんとやら。心は錦。そんな御家人の爪の垢を煎じて飲む、という訳ではありませんが、
「鉢の木」を題材にした鐔がいくつか残ってます。
図柄としても実に華麗。私は特に桜の花弁の表現がお気に入りです。
余談ですが、そっくりな画題に「菅原の図」というものがあります。
大宰府へ流された菅原道真の一子に仕える忠義の士、梅王丸、松王丸、桜丸の話です。
一子、秀才も謀反人だと殺害命令が下されたのを、身代わりを買って出るという話です。
これまた忠義の話で、梅、松、桜が配置された鐔です。
「鉢の木」の図と似ていますが、ただし、雪の象徴がないので「菅原の図」と区別されます。