Kagura古都鎌倉奇譚:1【壱ノ怪】かぐら、古都鎌倉に酔う(1) | Kagura鎌倉奇譚

Kagura鎌倉奇譚

1987年霜月生まれ。鎌倉在住の小説家。
2009年10月に文芸社ビジュアルアートから
処女作「巍峡国史伝」を発表。
寝子屋木天蓼公式:http://nekoya.icu
巍峡国史伝(Amazon):https://amzn.to/2xdjiZM

1:かぐら、古都鎌倉に酔う

 

 

聞きなれたチャイムの音がする。


子供の頃から大学まで22年間。教職についてから3年間聞き続けている音だというのに、鳴る度に「ハッ」と身構えてしまう。
しかし今日は用事があるので定時で上がると学年主任にも、教科主任にも、教頭にも、前々から書類を提出していて許可は得ているし、
何より明日から学校は冬休みに入る!
長期のまとまった休みが取れるのは本当にありがたいことだ。
冬休み期間の部活動も、委員会活動もないので本当の意味で゛晴れて自由の身”である。



黄昏の夕日が赤々と西の空を燃やしているというのに、

ビル風が凍る様に冷たくスーツの隙間を掛け去って行って、独りの自分の身も心も寒い。



「先生さよーならー!」
「おぅ!気を付けて帰れよ!帰るまでが遠足なんだからな!」



華の女子高生達が「キャッキャッ」と玄関を抜けて校門へ走る様を見て、危なっかしくて声をかけたというのに

彼女らは「遠足だって!」「おかん。佐竹おかん!」と、笑いながら楽しそうに走り去ってしまった。



嫌われてはいないであろうし、慕われている気がするが…。

 

 

呼び捨てだけは何度注意しても直らないようで頭を抱える。

上が何人もいるものだから、それぞれにそれぞれの場所で何回窘められることか。゛注意ができない専任講師”と、

影で噂されているかもしれない。そろそろ本気で叱らねばならないのだが、

そうすると女子は特に後々まで面倒なことになるので、慎重さと覚悟が必要だ。



— 大変に面倒なことだ。自分としてはどうでもいいのだが・・・。



しかし、流石に下の名前で呼ばれた時は反射的に叱ってしまった。
間違いではないし、教師として正しいことなのだが如何せん下の名前が゛コンプレックス”であるために過剰に反応してしまい…。

感情では動かないと決めているのに下手打ったと、自責の念に駆られた。



「おー。神楽氏。どうした?黄昏て」
「・・・うわっ?!木島先生?!下の名前やめてください。それから黄昏てもいませんから!」



木島先生は化粧っ気のない顔に、軽そうだがお堅い眼鏡をしていて、サッパリショートカットな社会科の女性の先生だ。

長身でやること早くて尊敬しているのだが、学校職員あるあるで学校以外の事はてんで疎く、しかも彼女は天然だ。

三十後半というが、恋愛にも興味が無いようで浮いた話の一つも無い。自分より一年早くこの学校に着任したということで、

何かとお世話になっている。しかし、彼女の性格上噂にもならずさっぱりとした関係でいる。



・・・まぁ・・・噂にもなって欲しくないが・・・。

 


学校で噂になると本当に面倒で、こじれにこじれる。そして目をつけられて終る。

人間関係がドロドロだというのに、噂ばかり流れるの速い。


「じゃぁ、どうしたの?夕日が綺麗~って見てたんでしょ?」
「こんな所でぼーっとそんなことするわけないじゃないですか。この後用事があるんですが、どんどん寒くなりそうだから早めに帰ろうと思いまして」


彼女は夕日で頭の先からつま先まで赤く、茜色に照らされながら凍えるような北風に身震いし、

きちんと着込んだダッフルコートから覗く、これまたきっちりしまい込んだマフラーを、暖かそうな茶色の手袋で少し引き上げて首を竦めた。


「確かにねぇ!明日都心でも雪が降るかもって、八木先生が騒いでたし本当に降るかも!食料買っとかないと~。あー、部活とかないし冬休みだから明日どこか行こうと思ってたのに~」


八木先生はうちの学校の天気予報士と言われている人で、何故か必ず誰よりも先に詳しい天気を知っている物理の先生だ。

どの先生にも言えることだが、やはり変わり者である。
その彼が降るかもしれないというのだから、降る確率は高いだろう。


そうやってこの学校に染まっている自分が何だか不思議だ。
薄暗くなり始めた神保町を、寒さの為自然と背を丸めてキャメル色の革靴の先をじっと眺めながら勤め先の事を考えた。


生徒は正直可愛い。色々と細かに気になってしまう性格で、女生徒にも男子生徒にも気づかないふりをして

問題解決をするヒントを与えたりしていた。乗り越えなければならないと思ったところは、見守るだけにしていた。
他の先生方や上役は良く知りもしないのに、誰かから聞いた話だけで決めつけて自分にアドバイスしてくる。

勿論そうでない先生もいて゛気にするな”と肩を叩いてくれる方もいる。


ー俺が若いからだろうな。


そればかりはどうにもならない。そして、自分は男とか女とかの上下は全くのだが、どうしても学校というところは男尊女卑で、

しかも若い女性は肩身が狭い。理不尽だと思うことも沢山見てきた。


自分に権力があったら…。自分が主任だったら…。


辞めていく先生たちを見ながら腸が煮える音を聞いていた。
大人の"いい子”"優等生”の型を押し付けられ、心を閉ざす生徒を見ては歯噛をした。


「教育」とは?「大人」とは?


自分は疑念を抱いている。
どこかに本物の大人はいないのか?
子供たちの見本になり、若者にこうなりたいと思わせる大人が…。



ま、しかし、だ・・・。「本物の大人」と言われて・・・どういう人物かと聞かれたら上手く言えないのだが・・・。



『いやいや、もうよせ俺。明日から…いやいや!もう今から冬休みなんだぜ?!これから帰って地元の駅で予約した新発売のゲームを受け取って、毎日引き籠ってゲーム三昧の日々が始まるんだ!!こうしちゃいられないだろ!』



無駄なことなど考えず、兎に角足を動かす。それしかない。
考えれば考えるだけゲーム時間が減るだけだ。



『ん?』



神保町の階段を降りようとしてハタッと立ち止まる。
この地下鉄の入り口は煙草屋と隣接しており、煙草を吸うエリアが真横にあるため数メートル先からも臭う。
何でこんなところに仕切りも無しに喫煙場所があるのかといつも息を止めながら駅への階段を下りている。
申し訳ないが帰りの気の抜けた、油断した瞬間に吸い込む煙や臭いは鼻が良い上に気管支が弱い自分にしたら毒ガス同然で、

偶に身構えないでいるものだから参る。嫌味のように咳をしてしまうのも気が引ける。



いやいやそうではない。



自分は階段を慎重に降りながら隣で懸命に重い荷物を持ちながら階段を下りているおばあさんがいた。


身なりが良い。
というか、とてもオシャレで品の良いおばあさんだ。


三味線を弾くような方々の粋な感じではなく、武家の歴史的に言えば奥方のような・・・。

現代で言えば皇室の方のような上品な着物を着ている。

水色のような…黄緑のような…落ち着いた風合いの着物にチャコールグレーのポンチョ。

白髪の髪をゆるくもしっかりとまとめて首元で丸めている。自分にはその構造がどうなっているのか分からないが、

清楚で上品だというのは分かる。紫の花模様が描かれている大きな風呂敷を抱える左手と、

竹の取っ手の柿のような色の布カバンを必死で掴む右手には黒いスマートな手袋をしている。


それを誰も手伝おうとしていない。
まだ水曜だからか、全員死んだ目をして先を急いでいる。


自分も疲れていたらああなってたかもしれない。
だが、今はどうだろうか?これ絡まっているのは長い極楽だ。
ゲームの世界に胸が膨らみ、気持ちも弾んでいる。

どこか・・・迷うことも無く彼女に自分は近づいていた。



「おばあさん、大丈夫?俺持つよ」



肩に触れてから彼女の手に手を添えると、おばあさんは驚きに目を丸めて自分を見た。


『綺麗な人だなぁ』


正直振り向いた瞬間驚いた。
薄く化粧をしていて、控えめに引いている紅が美しい。
二重瞼にきらきら光る瞳。
表情は思ったより明るかったので少し驚いた。


「まあまあ、そんな・・・悪いわ・・・。重いし・・・」
「重いからですよ。この駅、エスカレーター無いから自分も早く改装してついたらいいのにって普段から思ってるんですよ」


ひょいと彼女の荷物を持つが、男の自分でも正直重いと思った。
両手にずっしりとくる。いったい何が入っているのだろうか?


「はぁ・・・力持ちだねぇ、お兄さん。そう・・・やっぱりエスカレーターは無いのね。おばあさんには大変だわ。ありがとうねぇ」


“花がほころぶ様な笑顔”というのは、まるでお姫様のように可愛い子や、少女の笑顔のことを言うのだと自分はこの25年間思っていたが、
このおばあさんの上品で本当に嬉しそうな、幸せそうな笑顔を見た瞬間それは間違いであり、今この時の充実感といったらゲームや冬休みを一瞬忘れさせるほどの破壊力があった。



『自分にばあちゃんがいたら・・・こんな気持ちになったんだろうなぁ』



残念ながら祖父母は皆他界しているので会ったことも無い。



『これがばあちゃん孝行だと思って一肌脱ぐか』



決意を固め、彼女を手すりに促し荷物を持ち直すと歩調を合わせて階段を下りた。


「おばあちゃん、これからどこ行くんですか?良かったらある程度まで俺、荷物持ちますよ」


そう言うとおばあさんには「ええ?!」と言いながら口元に手を当てて、くすくすと微笑んだ。


「おばあちゃんはね、これから遠ぉーくに行くから、お兄ちゃんがお家に帰れなくなっちゃうわ。いいのよ、この階段が終わるまでで」
「とーく、ってどこまで行くんですか?え?まさか、県外?飛行機とかですか?」


彼女はまた笑った。
可笑しそうに笑ってくれる。
このゆっくりまろやかな声音と口調を、何だかいつまでも聞いていたくなる気がする。


「飛行機なんて乗ったら、おばあちゃんはどうにかなってしまうわ。違うのよ。神奈川県のね、鎌倉に帰るのよ。そこがお家なの」
「鎌倉ですか!?良いとこですけど、遠いですね!!」


しかし、何となく納得した。
うっすらお金持ちが多い地域というイメージがあるあの鎌倉なら、
着物でこの雰囲気はぴったりだ。
しかし、今から帰るとなると夕飯時過ぎぐらいに夜道を歩くことになるのではないだろうか?


「となると、錦糸町から乗り換えたら1回乗り換えで済みますよね?で、その後は総武線・・・。うん。乗り換えまで行きますから。行きましょう」
「いえいえいいのよ!お家遠くなっちゃうし、こんな大荷物悪いわ!」
「錦糸町乗り換えで全然家に遅くならずに着くんで大丈夫です。体もこう見えて結構鍛えてますし、ね。トレーニングみたいなもんです」


そう言って風呂敷を上下に動かしてほほ笑むと、リードするように先に歩いて行った。
おばあさんはすまなそうにしながらも、話しているうちにだんだんと荷物などのことを気にしないようになってくれて、

鎌倉の面白い話を聞かせてくれたりした。
今日は友達に会いに行ったのだとか。お土産を持たせてくれたのはありがたいんだけど、

仕事の荷物と合わせたらこんなことになっちゃったのよ。
そう、他人事のように言う彼女が可笑しくて、久しぶりに心から笑ってしまった。



愛想笑いじゃない笑いは・・・愛しささえ感じる笑いはいつぶりだろうか?



「貴方にガールフレンドがいなければ、私の孫娘を紹介するのにねぇ…」


何故か居る体で話を進めているが、自分には生まれてこの方彼女なんてできたことが無い。

正直気色ばむが、この手の話は危ないこともある。とんでもない縁談だったら完全に人生が詰む。ここは穏便に、さりげなく、が一番だろう。

とりあえず幾つなのかを聞いたら案の定30幾つだったかしら?ときた。危なかった。
いや、この人の遺伝子を継いでいるならあるいは有りかもしれないが・・・。


彼女は何度かこの話を繰り返しながらも、景色は流れ、錦糸町の乗り換えをし、総武線の乗り場まで来た。


「本当にありがとう。お兄さん。東京でこんな素敵な人と出会えるなんて私は幸せ者だわ。感謝いたします」


彼女は深々と腰を折った。


「や、やめてください!こういうのはお互い様ですから!そ、それに…。自分にはおじいちゃん、おばあちゃんがいなかったので…。僕の方こそお礼を言いたいです。ちょっとでも…おばあちゃん孝行が出来た気がして。だから…」


彼女は目を潤ませながら自分の腕を摩ってきた。

「貴方は本当にいい子だねぇ…。天国で皆喜んでるよ。自慢の孫息子なんだよって…。味わわせてあげたかったねぇ…。申し訳ないね、私がこんなに良い想いしてしまって…」

コートと手袋越しなのに・・・


『あったけぇ…。これはヤバいわ』


彼女の何かに釣られて…目頭がツンと熱くなる。
彼女は申し訳ないと更に呟いて白いハンカチで涙を拭った。


「あのね、これはお礼。凄くいいものでね、ご利益もあるから身に着けておくといいよ」
「え?!そんないいですよ!!」


手に握らされたものは、丸い円盤状の石のネックレス。
石の名前も知らない自分でもこれの名前は知っている。
営業をしている同級生の友達がジャラジャラと腕に鈴なりにつけていた金っぽい石。タイガーアイだ。


「えぇ?!いやいやいや!ダメですって!」


彼女は自分の荷物を持ち直して、お茶目に笑いながらそっぽを向いた。



ーくそっ!ばあちゃんのくせに可愛いかよ!!



こちらが負けたのを察すると彼女はくすりと微笑んでからこう言った。




「それが貴方を導き、護ってくれるわ。大丈夫。何も恐れないで。貴方の人生はこれからが本番よ。じゃあ、本当にありがとうね。お兄さん」




何だか急に、彼女が見知らぬ人になったような感覚になった。
普通に生きてたら聞けないであろう、
とても意味深な言葉。聞きなれない言葉だ。





ー俺の人生が・・・これからが本番?とは?





しかし、彼女はこうして逡巡しているうちに踵を返して、改札を出ようと遠くなっていってしまう。


「あ、き、気を付けて!!帰り道はタクシー使ってくださいね!お金、バックに入れておきましたから!」


彼女は本日何度か目の「ええ?!」という叫び声を上げたが、改札を通った上に大荷物と人ゴミでどうにもならず、

頭を下げて喧騒に消えて行った。



とんでもなく、長い時間だった気もするし、一瞬の事だった気がする。



どうしてあそこまでしてしまったのか?


気分が良かった、だけだろうか?
ほぼ衝動的だった。
ノリと勢い、という奴だろう。



しかし…孫娘の件は聞いておくべきだったろうか?
それは少々惜しかった気がする。




それから、もう一つ失敗談がある。

「ああああああーーーーーー!!!何で本屋寄るの忘れたんだ俺!!!俺のゲーム!!俺のゲーム三昧ライフが一日で遅れただろうがぁーーー!!!」



家に帰ってきて、シャワーを浴びて、さて。
と、ゲーミングチェアーに腰かけて自身の失態に気が付き、絶望の淵に落とされたのはつい先ほど15分ぐらい前だったろうか。

今日を何のために生きていたのか分からない。
ああ、今自分がやっていない間にも世のゲーマー達は今回発売の神ゲーを、貪るようにプレイしているのかと思うと、今からでも本屋に駆け込んで予約の棚から引っ張り出してきたい衝動に駆られる。




「寝よう。寝たら次の日だ。明日速攻本屋に行こう」





面倒だが、その帰りにゲームのお供になる美味しいものを買って帰ればいい。そうでなきゃ、やってられない。


ふと、おばあさんがくれた石を見る。


スベスベで、きらきらしていて、深い色だ。茶色と金のコントラストが美しい。

良いもの、というのもシチュエーション的にも、貰った人物的にも相まって高級で特別なものに見えて来る。




ーそれに・・・。




何だか引き込まれるような気もする。見ていて飽きない。




『それが貴方を導き、護ってくれるわ。大丈夫。何も恐れないで。貴方の人生はこれからが本番よ』




「あのおばあさん、何者なんだろうか・・・?」





不思議な魅力、不思議な雰囲気な人だった。



いやいや!!



慌てて首を振る。

 


こうしてゲームを忘れたのだ。早く寝れば早く朝が来る。
勢いをつけて布団に潜り込んだ。
寝つきはいい方で、すぐに自分は眠りにつけた。




この日から自分は・・・
妙な夢を見続け、
妙なモノに絡まれるようになり、事件に巻き込まれ、
運命を変える出会いをし、
まさしく、
人生の本番が訪れたのだった。

しかし、そう思えるのも暫くしてからである。

鎌倉。
この時そこが人生を変える町だと…欠片も思わずにいた。