進行性核上性麻痺「最期まで教えてくれた父」

進行性核上性麻痺「最期まで教えてくれた父」

療養病院入院から三か月。89歳の誕生日を迎えた六月に旅立った父と家族の記録です。

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父は自分の葬式代として、

まとまったお金を残していた。

遺言書はなく、

これで自由にやっていいよ、

と言われている気がした。

 

葬儀の打ち合わせは、

事前に相談をしていたおかげで

スムーズだった。

家族で意見が割れたり、

迷ったりした時は

母の気持ちを最優先した。

 

豪華ではないが、

お花は多めに、

戒名は父の両親と同じランクにと、

許す範囲でお金をかけた。

 

戒名をいただいた時、

私は父にぴったりだと思ったが、

姉と兄には引っかかるものが

あったらしい。

特に姉は大変なこだわりを見せ、

一つ一つの漢字の意味を

熱心に調べていた。

 

戒名はお坊さんにつけていただくもの

と認識していた私は、

嫌な文字がなければ良しと思っていた。

が、姉の真剣な表情に突き動かされ、

スマホで一生懸命検索をした。

 

結局、

戒名については質問だけにとどまり、

姉と兄も納得したようだった。

 

通夜までは2日間の猶予があった。

後は遺影を用意するだけとなり、

母と私で写真を探した。

 

父母の家のクローゼットの中に

ビニール袋に入った小箱を見つけた。

開けてみると、笑顔の父の写真が入った

写真たてだった。

すぐにピンときて、母を呼んだ。

「お父さん、

 確かこれ遺影だって言ってたよ!」

 

その時は思い出せなかったが、

私の記憶違いだったことに

しばらくして気が付いた。

 

私がまだ父母と住んでいた頃、

父が私に「遺影だよ」と

笑いながら写真を見せたことがあった。

その時の写真だと勘違いしてしまったが、

サイズはもっと小さく、

年齢ももっと若かったことを

はっきりと思い出した。

父は遺影を更新していたのだろう。

 

最新の遺影は映りが良かったが、

実年齢より、10歳以上は若そうだった。

あまりにも若過ぎるのはどうかと

母も私も考えてしまった。

 

他になかなか良い写真が見つからず

焦っていた頃、

姉と兄もそれぞれに写真を持ち寄り、

みんなで見比べた。

 

「これにしよう! これがいいよ!」

父が自分で用意した写真を見るなり、

姉が力強く言った。

「お父さんが自分で選んだんだから

 これにしようよ」

その言葉に母も折れた。

兄も私も心からそう思うようになり、

準備万端、全てがうまく進んでいた。

 

 

父の力も借りて、

通夜・葬儀の日を迎えた。

亡くなった時2~3㎝開いていた口は

納棺師さんにより、程よく閉じられていた。

少し歯を見せ、

まるで笑っているかのようだった。

 

家族だけで、

父の顔をゆっくり見て、

たくさん話しかけることができた。

出棺の時、棺からあふれるほど

お花をいっぱい入れて父を送った。

 

いい式だったよね、と家族で振り返った。

悲しみだけでなく、

心地よく満たされた気持ちも感じていた。

 

聞くことはできないけれど

父の願い通りの葬儀ができたと

信じている。