録画しておくものの、観るタイミングを逃し続けて溜まっていく映画その他。
ブルーレイに出すのも追いつかず、HDDの容量が少なくなってくると
慌てて観る。良ければブルーレイへ残し、イマイチなら削除。
今回の「エクスペリメント」は削除のほう。
この映画は2001年のドイツ映画『es [エス]』のリメイクで
どちらも1971年にアメリカのスタンフォード大学で実際に行われた
「スタンフォード監獄実験」が下敷きとなっているサスペンス。
「es」は未だにトラウマになるぐらい怖い映画だった。
人間の心理状態や性格はここまで状況に左右されるのかと
そこらのホラーよりも本当に怖かった。
で、リメイクのこれは「es」を観ていなければ同じように
怖く楽しめたかもしれないが、ラストのガッカリ感は「es」を
観ていなくてもすべてを台無しにするだろう。
リメイクなのでどうしてもオリジナルと比較してしまうが、
「es」と決定的に異なるのは監視役の研究者が冒頭以外は一切
出てこない演出。そのかわり、監視カメラが象徴的に使われるが
観ているこちらにとっては「監視してる研究者=何かあれば
この実験をストップできる存在」として救いに思っている。
それが出てこないのはなかなかの恐怖だったが、「es」のほうの
研究者そのものも暴行の対象になるという怖さのほうが
絶望感があった。
「es」は心理恐怖、「エクスペリメント」は肉体的暴力への恐怖映画
だったような所感。「es」にも暴力描写はもちろんあり、どちらも
それなりに胸くそも悪いけれど「es」のそれのほうが心理的裏打ちが
あるというか、バックグラウンドの説得力がストーリー内にあるので
単純な痛さ、怖さでは終わらない。そこが一番の違いかも。
「es」からこれを観て考えるのは実験で「看守役」と「囚人役」に
自分が振り分けられた時、どんなふうに自我は影響を受けるのだろうかと。
看守役になって高圧的になるか、囚人役で従属的になるのか。
与えられた役割と、一人でも脱落者が出たり実験が2週間以内に
中止になれば全員が高額なアルバイト報酬をもらえないという
連帯責任。
実際の実験では2週間の予定が1週間もたたずに打ち切られ、
実験施設として大学構内に作られた模擬刑務所が
本物の刑務所とまったく同じ状況になってしまったらしい。
新聞広告で募集され「ちょっとかわったアルバイト」として
応募したはずの被験者全員が、その後10年間のカウンセリングを
必要ともした。
自分はどうだろう、どうなるのだろう。
この場合の「理性」はおそらく「これはただの実験で、2週間だけの
アルバイト。今の自分はただの役割」という割り切りなのだろうが、
それがたった数日でなくなってしまえば。または、運良くそれを
保てたとしても、周囲がそうでなかったら。
暴力を奮う側と、それを受け入れてしまう側に「これただの
アルバイトでしょ!やりすぎ!」と言えるかどうか。
逆に、理性を保った人にそう言われても引き返せない心理状態に
自分がなっていたら。現に、看守役のほうの心理状態は
「役割を忠実にこなしている」というものなのだし。
自分に置き換えた時の事を考えるのが、いちばん怖い映画ではあった。
映画そのものとしては、これを観るならオリジナルの「es」を
観るのが正解。
ブルーレイに出すのも追いつかず、HDDの容量が少なくなってくると
慌てて観る。良ければブルーレイへ残し、イマイチなら削除。
今回の「エクスペリメント」は削除のほう。
この映画は2001年のドイツ映画『es [エス]』のリメイクで
どちらも1971年にアメリカのスタンフォード大学で実際に行われた
「スタンフォード監獄実験」が下敷きとなっているサスペンス。
「es」は未だにトラウマになるぐらい怖い映画だった。
人間の心理状態や性格はここまで状況に左右されるのかと
そこらのホラーよりも本当に怖かった。
で、リメイクのこれは「es」を観ていなければ同じように
怖く楽しめたかもしれないが、ラストのガッカリ感は「es」を
観ていなくてもすべてを台無しにするだろう。
リメイクなのでどうしてもオリジナルと比較してしまうが、
「es」と決定的に異なるのは監視役の研究者が冒頭以外は一切
出てこない演出。そのかわり、監視カメラが象徴的に使われるが
観ているこちらにとっては「監視してる研究者=何かあれば
この実験をストップできる存在」として救いに思っている。
それが出てこないのはなかなかの恐怖だったが、「es」のほうの
研究者そのものも暴行の対象になるという怖さのほうが
絶望感があった。
「es」は心理恐怖、「エクスペリメント」は肉体的暴力への恐怖映画
だったような所感。「es」にも暴力描写はもちろんあり、どちらも
それなりに胸くそも悪いけれど「es」のそれのほうが心理的裏打ちが
あるというか、バックグラウンドの説得力がストーリー内にあるので
単純な痛さ、怖さでは終わらない。そこが一番の違いかも。
「es」からこれを観て考えるのは実験で「看守役」と「囚人役」に
自分が振り分けられた時、どんなふうに自我は影響を受けるのだろうかと。
看守役になって高圧的になるか、囚人役で従属的になるのか。
与えられた役割と、一人でも脱落者が出たり実験が2週間以内に
中止になれば全員が高額なアルバイト報酬をもらえないという
連帯責任。
実際の実験では2週間の予定が1週間もたたずに打ち切られ、
実験施設として大学構内に作られた模擬刑務所が
本物の刑務所とまったく同じ状況になってしまったらしい。
新聞広告で募集され「ちょっとかわったアルバイト」として
応募したはずの被験者全員が、その後10年間のカウンセリングを
必要ともした。
自分はどうだろう、どうなるのだろう。
この場合の「理性」はおそらく「これはただの実験で、2週間だけの
アルバイト。今の自分はただの役割」という割り切りなのだろうが、
それがたった数日でなくなってしまえば。または、運良くそれを
保てたとしても、周囲がそうでなかったら。
暴力を奮う側と、それを受け入れてしまう側に「これただの
アルバイトでしょ!やりすぎ!」と言えるかどうか。
逆に、理性を保った人にそう言われても引き返せない心理状態に
自分がなっていたら。現に、看守役のほうの心理状態は
「役割を忠実にこなしている」というものなのだし。
自分に置き換えた時の事を考えるのが、いちばん怖い映画ではあった。
映画そのものとしては、これを観るならオリジナルの「es」を
観るのが正解。