私の記憶がぼんやりしているので、

わずかな写真だけでも記録に残そうと思って、

データを探してみるも、この頃のものが見当たらない・・・。

なんといい加減な母なんだ。

とりあえず、おじいちゃんがプリントしてくださった写真を

撮影して、保存。


1歳10か月。お兄ちゃんの幼稚園の運動会にて。

ごろんとしているから、やっぱりまだこの頃は、

おすわり完了してなかったんだなぁ。

いつおすわりできるようになったんだっけ。

母子手帳を見ても、3歳児検診のページまで、空欄。

(ごめんよ、こんなだらな母で・・・)




千葉に引っ越しして、1年半。

知り合いのいないこの土地が、

その頃の私にとっては、都合がよかったような気がする。

まだ周囲に、りぃちゃんのことを語れずにいた。

幼稚園の行事にりぃちゃんと行くのは、少し気が重く、

あまりママ友交流をもたずにいた。

(大勢のママ友付き合いが、面倒くさいという私の性格によるところもあるが・・・)



この頃の療育としては、

市の療育施設の肢体不自由児のクラスに週に1~2回登園、

PTとOT,発達の検査を年に1回、動作法を月に1回。


随分、表情も豊かになってきていたが、

まだまだ身体は小さくて、

『赤ちゃん、何カ月ですか?』などと、

通りすがりに声をかけられるくらいスモールサイズ。

『もうすぐ1歳なんです』と、笑顔で答えられるようになっていた私。


女子にねんれい聞いてきたら、

ちょっとくらいさばよんで

答えちゃっていいのよ!


お兄ちゃんの七五三の御参りでの写真より。

ご無沙汰しておりました。

記憶をたどりながら・・・。書いてみます。

というか、写真をあげてみます。



1歳8か月、初めての海を体験。

奄美大島のビーチで、水遊び。

まだおすわりができてなかったかと。




あたしも、なつを、えんじょいしたわよ!



この頃から写真が増えてはきましたが、

元来、私が写真好きではないので、

どこかに出かけた時のものしか、見当たらず。

日常の写真は、少ない・・・・。


こちらは旅の直前。実家にて。

音楽はこの頃から、大好きです。

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ちばのだいがくびょういんって、
おおきなえきのなかみたいに
たくさんのひとが、いったりきたり。

ひろいし、ひとがいっぱいだし、

まよっちゃって、たいへん。
おかぁしゃん、
つかれてサンドイッチたべてるけど、
それって2どめのあさごはんじゃないでしゅか?


11月は咳と鼻水で病院通いばかりだった。

家から車で10分のところがかかりつけの小児科だったのだが、
お兄ちゃんが発熱したときに、
やっぱり遠くて、きつそうだなぁと思って、
いつも混んでるという噂の、

近所の小児科にかかってみることにした。

口数は少ないが、
りぃちゃんの様子をじっくり診てくださる先生だった。
咳と鼻水で受診したのだが、
発達の検査と療育の相談にと、早速大学病院を紹介してくださった。

大学病院の予約が取れたのが、それから2週間後。
初めて行くのに、寒い雨の朝。

どうせかなり待たされるんだろうなぁと、
受付を済ませたら、
小腹を満たしに(私の)院内のドトールへ。
「りぃちゃんは診察前だから、ミルクちょっと待ってね~。」
と指をくわえるような表情の娘の前で、
私、この日2度目の朝食~。

思ったほど待たされずに呼ばれ、
出生時からの話をいろいろ聞かれた。

首のすわりや、おすわりの状態をみてもらったが、
ほとんどの時間は私から話を聞くだけ。
(まぁ初診だし、何か様子が変で行ったわけではないからそうなんだけど。)

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おすわりは、
まだじょうずにできましぇん。
てをついても、まだたおれちゃうんでちゅ。


「お母さんが気がかりなことってありますか?」
と言われ、
気になってたことをいくつか質問した。

〇出生時に心臓など合併症がないと言われたが、
その後変化はないのか。
〇視力など眼科的検査は、いつ頃すればいいのか。
〇出生時、極度の貧血だったが、
今現在は問題ないのか。
などなど。


心臓は、出生時に問題ないとのことであれば、
問題ないとのことだったが、
念のため心電図を撮ることに。
貧血の確認の為に、血液検査もすることに。
眼科は、一度早めに受診してみたほうがよいとのことで、

大学病院の眼科の紹介を受ける。

血液検査の結果は、また次回ということだったのだが、
予想していなかったことに、
心電図の結果のほうに、少し気になる点があるらしく、
次回循環器の先生にみてもらうことになった。

これまでずっと、心臓だけは大丈夫と思っていたので、
ちょっと不安。大したことでなければ、いいのだが。

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あたちがおなかのなかにいたさいごのひ、
なんだかとってもくるちかったの。
だから、おかぁしゃんに「たすけて!」ってあいずをおくったんでちゅ。
そしたら、せんせいがおかぁしゃんのおなかをきって、
あたちをくらやみからだしてくれたの。
ちょっとはやかったけど、
でてきちゃったんだ。

はじめてあたちをみたおかぁしゃんは、
にっこりわらっていたね。


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入院中の1年前、
朝からなんだか貧血気味で、
ベッドの上で横になっているのに、
クラクラする私。
夜になって、りぃちゃんの心拍数低下に気付いてもらい、
急遽帝王切開で助けて頂いた大事な娘。
最近、抱っこしているときに、
りぃちゃんにぎゅっと腕を掴まれると、
(あ、また私にしがみついてる!)
と苦しいながらも、必死に私にしがみついていただろう

あの日のことを思い出す。

早いもので、先日5日で1歳を迎えることができた。

おすわりも、ちょっとだけ安定するように・・・。

(まだまだ前のめりになるけれど。)

特に心臓に合併症もなく生まれ、
大きな病気もせずに、元気に1年を過ごしてこられて、

ほんとうによかった。
風邪をひいたらそのまま肺炎になってしまうのではと、
夜中も眠れずにいたが、
未だ発熱することもない健康優良児。

お誕生日の日は、
りぃちゃんパパのおじいちゃんがお祝いに駆けつけてくれた。
ケーキのロウソクは、お兄ちゃんに吹き消されちゃったけどね。

りぃちゃんの離乳食メニューに、
お祝いの鯛を入れてあげたら、
美味しそうにたくさん食べてくれた。


1歳、おめでとう。

そして、ありがとう。

まとめて3つの記事をアップしましたが、

いずれも告知の頃のもので、

私の心が病んでいた、苦しかった時期の話です。

長文ですので、お忙しい方はスルーしてくださいませ。



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告知の頃のことは、

思い出すだけでも辛いのだが、

どうしても書いておかなくてはと思う。


私がこうして今、りぃちゃんと楽しく生活ができているのは、

たくさんのママさんのブログを読んだから。


告知当時、どんな励ましや慰めの言葉も、

心からは受け入れられず、

ただただ作り笑顔で、聞き流していた。


告知の日までは、可愛いかった我が子が、

ある日を境に、可愛くなくなったわけではなく、

どうしていいかがわからなくなって、

気持ちが凍りついていた私だった。


気持ちが凍ったまま、両親や家族の手前、

普通の母親を演じていた。

人前では、たとえ家族の前でも泣けない私だったので、

いつも声を出さずに、夜中に涙を流した。


そんな自分が、苦しかった。

何もかも投げ出して逃げたかった。

これから先のことばかり考えて、

明るい未来など、全く想像できず、

これから先、暗闇が続くであろう、

私の人生を終わらせたかった。

考えるのことは、りぃちゃんのことではなく、

自分のことと、お兄ちゃんの将来のことばかりだった。


そんな苦しい日々の中で、

私の気持ちが安らぎ、少しほっとするのは、

同じ境遇の先輩ママさんのブログを読む深夜だけだった。


私もいつか、こんな風に笑って楽しく育児ができる日がくるのだろうか、

りぃちゃんを100%受け入れることができる日がくるのだろうか、

心から我が子を愛せる自分になれるのだろうか。

そんな疑問ばかりだったが、

たくさんのブログや手記を読むごとに、少しずつ少しずつ、

あぁ、私もこんな風に笑いながら子育てしたい!

こんなに元気で明るいお母さんになりたい!

という希望にいつしか変わってきた。


そして、私の凍った気持ちが、確実に溶け始めたのは、

りぃちゃんが私に向かって微笑みかけてくれた春先のことだった。

生まれて、3か月がたった頃だったと思う。

誰に装う気持ちもなく、本心から「かわいい!」と思った。

思わず、ほっぺに頬ずりした様な気がする。


今もどこかで、

ダウン症のお子さんを授かって、あの頃の私のように、

人生のどん底とも思えるような事態を

嘆き悲しみ、苦しんで心を閉ざしていらっしゃるお母さんがいらっしゃるならば、

いつか必ず、

自然に笑って楽しく育児ができる日がきますよと、伝えたい。


そして、温かく見守ってくれている家族や友人、

人づてに私の家族のことを聞いて、

案じてくださっている方に、元気にやっていますと、伝えたい。


そして、まだまだ不安定な私自身が、

これから訪れるであろう大きな壁に立ち向かっていくために、

気持ちを整理する場所として、

自分自身のために、書き記していきたい。


ただ、私もブログを書かなきゃ!と思いたったのは、生後3か月の頃だったのに、

その後りぃちゃんパパの転勤で、引っ越ししたりの大騒動で、

実際に立ち上げたのは、生活が落ち着いた6か月になってからになってしまったり、

更新が月に1回だったりなんかするくらい、

かなりゆるゆるのブログですけれど。

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はじめてのおしょうがつは
びょういんで
ひとりぼっちだったんでちゅよ

(まだ告知を受ける前の何も知らない頃。

お兄ちゃんにあまりにもそっくりな寝顔で、
 何も疑っていなかった。)

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2か月も早く生まれたりぃちゃんは、
出産予定日まではNICUに入院の予定だった。
告知を受けてからもそれまでと変わらず、
約2週間、毎日おっぱいを届けに行った。

その頃、私とお兄ちゃんは実家でお世話になっており、
りぃちゃんとの面会時間以外は、
赤ちゃんのお世話をする必要もなく、
お兄ちゃんの世話をするだけの生活だった。

深夜から明け方まで、携帯でダウン症のことを調べまくった。
ほとんど無知だったので、本や資料を購入して読みまくった。

ダウン症ハンドブックなど読んではみたものの、

りぃちゃんは手元にいないし、とても先のこと過ぎて、
よくわからなかった。
その頃の私は、いわゆる葛藤期に該当し、
心は凍っており、毎日毎分毎秒心は乱れていた。

小児科の先生が、いろいろ話をしてくださっても、
「そんなにいろいろ教えてくれたって、
 先生の子どもはダウン症ではないでしょ?」
などと笑顔の裏で、ひねくれたことを考えてしまう時期だった。


お兄ちゃんと二人で笑っているときだけが、
何も考えずにいられて平穏な時間だった。

告知を受けてから、号泣することもなく、
毎朝、目が覚めると涙がじわ~っと浮かふように泣いていた私だったが、
1週間ほどが過ぎ、泣かない朝がやってくるようになった。

というのは、
ダウン症児ママの面白いブログをいくつもブックマークし、
毎晩笑いながら読むようになってきていたからだ。

ダウン症以外でも障がいを持つ子どもを育てるママさん達の、
元気な明るいブログが楽しみになった。

とあるブログで、
「この子達はお母さんを苦しませるために生まれてきたわけじゃない。
 お母さんに会いたい、ただそれだけの思いで

 必死にお母さんのお腹にしがみついていたはず。」
というような内容の記事を読み、
りぃちゃんも何度も切迫早産で危なかったところを、
心拍数低下しながらも最後まで私にしがみついてたんだと、
命を助けて頂いたことを思い出した。

告知から約二週間、
その頃のゆがんだ私の気持ちを前向きにしてくれ、
私の心が受け入れることができたのは、
博識な先生の言葉でもなく、
励ましたり気遣かってくれる家族や友人、周囲の言葉でもなく、
同じ境遇の先をゆくママさん達の言葉だった。

「〇〇さん、りぃちゃん、泣きますか?」
と担当の看護師さんに私から質問した。
声をあげて何かを訴える時があるのか、知りたくなった。

「おかあさんが来る前に、おなかがすいた~って、

 大泣きすることが、ありますよ!」と聞いて、嬉しくなった。

いつしか、りぃちゃんに会いに行くのも楽しみになり、
早く一緒に暮らしたいと思うようになった。
退院の日が待ちどおしくなった。

告知の日を最後に、

しばらくりぃちゃんの写真は、ない。


========


告知を受けた翌朝、

実家の庭は、一面の銀世界だった。

滅多に雪など降らない九州の南の町で、

まるで奇跡でも起きたのかと思われるほど、

見事な雪景色だった。


昨日の話は、夢だったのではないだろうかとも考えたが、

私の腫れ上がった目は、そうではないことを物語っていた。

初めて見る雪ではしゃぐお兄ちゃんと、しばらく戯れてみたが、

明らかに昨日までとは違う自分に、心が重かった。


いつものように、いつもの時間に、

搾乳した冷凍母乳を届けなければならない。

どういう顔をして、りぃちゃんに会えばいいのか、

看護師さんに話しかけられたら、なんと答えればよいのか、

泣かずに面会できるだろうか・・・。

頭の中は混乱してよくわからないまま、NICUのドアを開けた。


いつものように笑顔で、看護師さんに挨拶ができた。

昨日までと変わらない様子を装って、りぃちゃんを抱き上げた。

(そうか、いつもいつも眠っているのは、そういうわけだったのか・・・。)

この日の私の気持ちは、りぃちゃんを

受け入れるでも、受け入れないとかでもなかった。

ただ、人形を抱くかのようにして、お風呂に入れたような気がする。


何気なく、私の様子をうかがっているような看護師さんたちの

様子が、辛かった。

告知後の、母親のフォローも大切な仕事なのだろう。

きっと、私が病院に現れたことで、一安心しているに違いない。

次は、私がわが子を受け入れられるかどうか、うかがっているに違いない。

私の心の中は、りぃちゃん自身のことではなく、

私へ向けられる視線のことばかりで、いっぱいだった。


声をかけられたら、泣いてしまいそうだったが、

その日、看護師さんからは、

用件以外声をかけられなかったような気がする。


りぃちゃんと同じころに、低体重の早産で生まれた双子ちゃんのママとは、

いつものように、笑って話すことができた。

もう1月も一緒にNICUで過ごした、りぃちゃんの初めてのお友達。

そういえば、

双子ちゃんのママも、検査を受けたと言っていたが、

二人とも、おっぱいの飲みはいいし、元気に泣くので、

きっと大丈夫だったんだろうなぁと、うらめしく思った。


そして、いつものように、私の乳首をくわえると、

りぃちゃんは、ほとんどおっぱいを吸わずに、また眠ってしまった。

昨日までの私は、「りぃちゃん、頑張って!起きて~!」などと

笑いながら彼女を起こして、なんとかおっぱいを吸わそうと必死だったが、

この日から、看護師さんの手前、一通り乳首をくわえさせたら、

すぐに哺乳瓶に頼ってしまうようになっていった。


「また、明日、いつもの時間に来ますね。」と看護師さんに伝え、

白衣を着替える部屋へ入ったとき、

担当の看護師さんが、周りに人がいないことを確認して、

私に声をかけた。


大丈夫ですかと、私を気遣う言葉と、

哺乳力の弱さのことや、親の会のことなど、話してくださったように思う。

返事をしたら、泣いてしまいそうだったので、

ただただうなずくことしかできない私だった。

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たたいてごらん~とか、
こっちむいて~とか、

わらって~とか、

そんなにつぎつぎいわれても、
いっぺんにできまちぇんことよ、

まったくもぅ!


お兄ちゃんが幼稚園に行っている間、
ちょっと静かなひととき。
お兄ちゃんが帰ってくると、
そっくり返って跳ねて喜ぶりぃちゃん。

ボタンをさわると音の出るおもちゃや、
さわるとカサカサ言うボールが大好き。

写真のグロッケンもどきも、スティックを振って音を鳴らしちゃう。

長かった咳と鼻水も、
ようやくおさまってきて一安心。

風邪も治ったところで、
以前からダウン症の親の会で聞いていて気になっていた
「動作法」の見学に行ってみることに。
お向かいのマンションに住むYちゃん(りぃちゃんと3か月違いの同級生)の

ママと一緒に。

実は、りぃちゃん、
もうすぐ1歳になるのに、
これまで療育センターやリハビリセンターなどに全く行ったことがない。
「どうしようどうしよう。このままじゃいけないよな~」と思いながらも、
毎日慌ただしいことを理由にして、
何もしないまま11か月が過ぎていたから。

そんな私に、親の会で声をかけてくださったのがYちゃんのママ。
「うちも療育センター以外、何もやってないの~。

 動作法の見学に、一緒に行ってみない?」

「動作法」って、確かダウン症ハンドブックに書かれてたっけな

くらいの知識しかなかった私。
見学に行って、
Yちゃんママと私は、速攻申し込み。
そして、ポーテージも一緒に見学に行こうと張り切る母二人。

ようやく重い腰をあげて、
はりきるかぁちゃんになってきました。
(かなり遅いスタートですが…。)


つか、まだ見学に行っただけなんですがね・・・。

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ガジガジ、ガジガジ。

なんでもかじりたいじきなんでちゅ。

おきにいりのメリージム、

これがまたいいおあじなんでちゅが、なにか?


10月後半からお兄ちゃんが鼻水・咳の風邪。
りぃちゃん、抵抗力低いのに、

うつっちゃって肺炎とかになったらどうしようと不安な毎日。
これまで、11か月までまだ一度も発熱したこともなく。
健診と検査以外で、病院に行ったことはない健康体。

お兄ちゃん、いつもりぃちゃんにべったりのかわいがりようなのだが、
さすがに風邪をうつしゃまずいと思ったらしく、
あんまりりぃちゃんに近づかないでいてくれていた。

が、長引く咳に耐え兼ねて、ついにりぃちゃんにも試練が訪れた。
お兄ちゃんは、39℃越えの発熱もあったが、
幸い、りぃちゃんは鼻水と咳のみ。
ただ、痰が切れず鼻水がずるずるで、
夜中もずっと咳が続き、ぜぃぜぃと苦しそうでなかなか眠れず。

私も、鼻水吸い器を片手に、
寝たか寝ないかわからないうちに朝になる日々。

昨日の夜、お兄ちゃんが夜中に耳が痛いと泣き出し、
予備の痛み止めが切れていたため、夜間救急へ。

ふと、りぃちゃんが中耳炎になっていないか気になった。
(ダウン症児は、中耳炎になりやすいため。)

翌日速攻、りぃちゃんの鼻水を吸ってもらうのと、
中耳炎になっていないかの確認に耳鼻科へ。

あ、もちろん、お兄ちゃんの耳も診てもらいに。
赤ちゃんのうちの耳掃除は耳鼻科でやってもらうようにと言われてたのに、
夏以来、1度も耳鼻科に行っていなかったので、
小さな耳から、耳あかが出るわ出るわ。

鼻水はだらだらだが、運よく中耳炎にはなっておらず、
ほっと一安心。

一方お兄ちゃんは、まぎれもない中耳炎で、
たくさんの薬を飲むことに。

二人とも、はやく元気になぁれ。

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みなしゃん、こんにちは。

ちばらくごぶさたちてまちた。

かあちゃんが、しばらくさぼってたんでちゅ。

あたちは、きょうもげんきに、わらってまちゅよ。


=========

みなさま、ご無沙汰しておりました。

生まれた時から、順を追って書いていこうと思ったが、
全く追いつけないことにようやく気付きました。
告知の日を書き終えて、
ちょっと暗いモードから切り替えて、

ときどき遡りながら、書いていこうと思います。

こんな感じですが、どうぞ、よろしく~!


りぃちゃん現在、
11か月3日。(修正9か月ちょっと)
体重は、6.5kg。(7~8か月並)
かなりスリム。軽いけど重い…。

発達は、寝返り自由自在。
ひとり座りがまだで、おへそを中心に方向転換は360度OK。
触りたいものを見つけるとほふく前進でちょろっと進む。

離乳食は、私の都合で、ようやく2回食。

(気がつくと、1回だったりしちゃって・・・。)


ジムのおもちゃを引っ張ったり、ミニカーで遊んだり。
よく笑い、お兄ちゃんのことが大好き。

こんなあたちでちゅが、
みなしゃん、
どうぢょよろちくね。