二回の胚盤胞移植でかすりもせず、ysycに転院して一回目の胚盤胞移植。絶対に陽性が出るわけないと思っていて、またかすりもしなかったら夏はバイクで北海道にでも行くかと思っていた私が、妊娠していますという血液検査結果を聞いたのはもう四年前の七夕、、、Time flies.  ちなみに四年前は確か晴れていました。

保育園で覚えてきたのか、一丁前にオレがさー、と言う3歳児と、手足口病のくせに食欲全開の1歳児とバタバタとした日々を過ごしています。

5月に復職して、改めて仕事や家族、新橋に残っている一個の凍結胚とどう向き合うか、また新たなステージに入ってきちんと考える時期が来ているのかなあと思います。

正解はないわけで、しっかりと考えぬき、流れにうまく乗っていければ、きっと万事塞翁が馬なんだろうなあと、この数年を振り返って思うと同時に、四年前に感じた気持ちも大切にしていかなくてはなあと思った雨の七夕でした。


結局、治療のキロクもちゃんと残せず時間が経ってしまいましたが、無事、2人目となる男の子を出産しました。毎日育児に追われる日々ですが、ふとした瞬間に二人も子供が持てたのは本当なのかしら、夢では、なんて思ったりします。

治療は大変だったけど、諦めなくて良かった、、、と改めて思います。「絶対に諦めない」と頑張って良かった。膨大な時間とお金を突っ込み、精神的にもキツイ経験でしたが、今となっては意味のある過程だったのかなと思います。次男も長男同様、大切に育てていこうと思います。

タイトルからすると、もうこのブログもこれで最後に、、、となるのでしょうが、なんかそう書いてしまうと寂しいので特にこれで最後のコメントはなしにしておこうと思います。また気が向いたら何か書くかもしれませんし、書かないかもしれませんし、、、

ここまでお付き合いいただきどうもありがとうございました。私の残した記録が、治療をされている方の少しでも役に立ちますように。

PS こころに余裕があれば、近況はぽつりぽつりとこちらに書いていこうかと思っています。多分、、、

ハタラク母さん ノ キロク
http://ameblo.jp/rinsouthside2



もう既に4ヶ月に入っており、超今更なんですが、夢クリ ソツギョウしました、、、




BT22くらいからツワリで心が「バキッツ」と音をたてて折れてからというもの、執筆意欲が全くなくなり、仕事に復帰してからも忙しいやら気持ち悪いやらで今に至るというわけです。




ソツギョウの日は、もう既に忘却の彼方という感じになりつつありますが、随分とあっさりしたものでした。通院前日の晩こそ、ようやくソツギョウかと思ったら、初めて夢クリに通院してショーキチに断られたことに始まりいろいろな出来事が思い出され泣きそうになってしまったものの、当日は粛々と進み、事務手続きを終えるがごとくソツギョウしました。






ま、そんなもんか。




最後の最後までE2のあがりはイマイチで血液検査があったり、ずっと院長指定でできの悪い生徒でしたが、運よく一発の移植で第二子を授かることができたのは、やはり夢クリの高い技術、先生スタッフのプロフェッショナリズムあってこそのものだとしみじみ感じています。




ホルモン値の推移など、いまひとつながらもここまでこれた実績は、治療をされている方のお役に立つかもしれないので、また改めて書き足そうと思います。






初めて夢クリに通院したのが2009年10月16日。ソツギョウできたのが2013年10月17日。ほぼぴったり4年。長かったですが、今となってはとても意味のある経験をできたのではないかと思っています。




まずはこのブログが無事「夢クリ ソツギョウマデノキロク」になったお知らせまで。引き続きもう少し書きますが、まずは今まで読んでくれていたみなさま、どうもありがとうございました。