今すべての告白を。「本当に大切なものは目に見えないんだよ」サンテクジュペリ
リンを、ほんのちょっとでも、
憧れの眼差しで思ってくれていた姫様、
そしてお嬢様には、本日の記事は、
お願いでございます。
ご理解を得るには不可能であると思います。
だからといって、ご批判はごもっともですので、
もしいただくコメントやメッセージには、お返事をいたします。
けれども、そのお返事も、ご理解に叶う自信のないものであることが分かっておりますので、それでも真摯にお返事を書き続けていくしかございません。
こちらの画像は、サンテグジュペリ。
星の王子様。
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私が大事にしている偉大なメッセージに、まだ到達できない私は、わずかでも近付きたいと思ってこれまでの10数年を生きてきました。
でも、やはり無理だったかと思います。
無駄であったかもしれません。
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サンテグジュペリは、今ならば玩具のような飛行船に乗り空を飛び続け、そして、そのまま行方を途絶えました。今も、その消息。これらは明らかになっていません。
しかし、本当に短い人生の中で、野望も希望も、全ての好奇心をかけて取り組みました。決して貧困の中で育った環境ではない恵まれた人生であったはずです。
しかし、サンテグジュペリは、まだ足りない何かを求め、探し続けました。
親への感謝であり、築かれた自らの家族を思う気持ちはあったはずです。でも、それでも、抑えられない熱望を果たそうとした人物でした。
それは、「自分を殺そう」としたわけではなかったからです。
そうすることによって、
まわりの人々の
幸福を願わなかった人ではありませんでした。
その時、ご家族は彼自身を認め、空に飛んでいく彼を見送りました。
そして、書き上げた作品が、「星の王子様」でありました。
これにこめられた思いは、
『大切なものは、目に見えないんだよ』
という、たった一つのメッセージでした。
そして、なんとも短い人生を空の藻屑として消しました。
このとき、サンテグジュペリは、本当の、星の王子様になったのだと私は思っています。それから、どれほどの月日が過ぎたでしょう。しかし、遺族は全てを後世に残すことを決め、彼の生き方を認め、世界へと発信し続けています。
永遠のベストセラーとなりました。
彼の生き方を、ご遺族のお気持ちを汲めば、尚更に深く感じるものが、時代は変われども、決して変わらぬものであったと後世に残そうとした意思を今も守ろうとしているからです。
私の、一つの思い出のページであり、そして過去への感謝を込めた気持ちが、これらの2枚の画像でしか、表せませんでした。
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こちらの2枚の画像は、「思い」を伝えるには充分に値する、充分すぎる、素晴らしいものでありました。
ですから、感謝している気持ちに、何ら変わりはないことを今も思います。ただ、リンを押しのけても、こうして女性の偽りない思いを表せねばならなかった経緯は、もうどんな術も残されていなかったからです。
本当に大事なものを守るべきものを守ろうとすること、
これは男女問わず、正しく、勇気ある決断であったかと思います。
最後の決断をしたのは女性でした。
それは、すべてを決意して、最後の自分の表現の精一杯であり、
そして、最後に、ただ、純粋に笑顔を、偽りなく見せてくれる笑顔を
信じて、女性もそれでこれ以上の幸せはないと思ったからでした。
大事になさりたいものを、全てを犠牲にして、過去も犠牲にして、守ることが男性の幸福のこれからであるとは思えなかったのです。
でも、守ろうとしたものは、誰のためでもない、自分のためであったことを気づいたとき、女性は耐えることの意味が全て何のためであったかを見失うものでした。
何故ならば、彼女が美しい景色を見たとき、既に彼女は一人ではありませんでした。だからこそ、苦しみましたし、甘えでしかありませんが優しい言葉を信じてしまうしかなかったはずです。
既に、一人でもなく、
二人でもなかった記録が、
全てを、もう復元できないものになっていたときに、
本当に幸福感を感じていた自らも記録から抹消されており、そして、あとは嫌悪されることでしか表現方法を選んでくださらなかったようですね。
それらは、3人の大事な記録であったからです。
何が苦しみであったかを説明することはできないと思います。
消された過去と、消されたことで、すべてが後悔でしかない相手の気持ちを知ればこそ、哀しみはもう全ての限界を超えました。
もちろん、自らのすべき決断は決めておりました。
ただ、それには、できるなら、最後に一言でも、
後悔はない、
という言葉の一つで、人の気持ちを認めることであったはずですが、全てを否定されることしかなさらない相手に嫌悪感を感じても、これは当然のことと思いました。
何を守ろうとされましたか?
安定ですよね。
では、女性はもともと決めていたことですが、現実的に、もうリミットは一刻を争うところまで来ていました。とても感動的な奇跡でした。ただ、このときに、法であり、医療の法の限界はもう残された猶予はありませんでした。
とても、感動的であり、奇跡みたいな喜びを与えてくださいましたお相手に、女性は、恨みなどではなく、感謝をしているそうです。
これ以上には、リミッドを超えたとき、人の命の一人でなく二人の命の危険をもたらし、どれほど守ろうとされているかを知っていた女性には、最後の大切な記録までも、全てが破壊されていました。
あのときの女性は、既に一人ではなかったのです。
言えば、また悩ませ、苦しませるだけのことを知っておりましたから、今だからこそ、お伝えできました。
守ろうとされたものが何であったのかが、女性には何であるかを最後まで理解することができませんでした。ただ、もし、それが男性の仰る、一言に尽きるのならば、その事実は、8月の中旬には明確となっていました。
そんな女性の気持ちと思いを込めての、その後の行動であったことを、もう説明もできません。
聞いてはくださらないことでしょう。
しかし、事実であります。
なんとも、頑固なものでしたよー
どれほどに睡眠や食事をせずに、酷使することで、自らの身体を傷付けて参りましたが、駄目でしたね。守ろうとする「頑固さ」は、どちらの遺伝子だったのか、残酷であろうと痛みを伴おうとも覚悟しました。でも、頑張り続けて、離れてくれませんでした。
まだ、物です。
物ですから、どのような形でも、廃棄されることは決めていました。
物として廃棄すべきでなければ、人の命の一人ではありません、2つの命を危険に及ばすことになりました。
その限界は、今もうギリギリに超えました。
ですから、そのすべてを女性の意思で行います。
大事なものでありました。
そんな幸福感の記録も、女性の手元にあっても、相手の手元にはもうないはずです。
10週が限界と言われておりますが、その10週になっておりました。
信じることのできない男性には、もう全てを偽りとして女性を責めることは簡単でありましょう。
だから、まだもう少し、時間をいただければ遺伝子でも何でも調べていただきたかったのです。でも、それからでは、もう、全部が遅すぎる現実がございました。
2つのご提示、妥協に妥協の上のものであったことでしょう。
でも、それでも、まだ手術費用に満たなかったのです。
それは痛みや、身体的苦痛という感情論ではないです。
現実として、そうでありました。
どのような選択を女性がしたとしても、誰からも祝福はされないでしょう。
憎まれることでしょう。
せめて、思いや言葉に嘘はなかった女性は、それを信じてくださらなかったことが、これ以上に何を押しても憎悪されるだけの結果を生み出すことはできないのです。
ぎりぎりのリミッドまでの幸福感に感謝しております。