ターナー症候群としての生き方☆ミ

ターナー症候群としての生き方☆ミ

持病である
ターナー症候群について
いろいろ書いていきます!

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一昨退院してから、初検診でした。

注意を受けました。

膣内の洗浄ができてない!って

どう洗えと?

レティナを抜いていい時間は5分なのに、洗うとか無理でしょ?

ビデを買わなきゃいけないかね?
恥ずかしいよね。

母親に関して

もっともなりたくないのが母親。

だって、不倫相手とラブホ行くのに子供を連れていく女よ?

あり得ないと思わない?

そーゆうところも、目撃したわ。

4人のパキスタン人(兄弟で母親と寝たバカもいた)全て不倫現場に私を連れていった。

あっ、1回だけ置いてきぼりされたな。

じいちゃんの家に泊まらせられた。

つか、4人ともパキスタンに奥さんいるからダブル不倫になるのか?ならないのか?

で、その代償が妹。

多分、父親は違うと思う。女の勘。

なんとなく母親が苦手なのはこれがあるからかな?

それに、私、子供にとって大事な3,4,5歳を両親と
過ごしてないから、余計かもしれない。

もし、妹がパキスタン人の誰かの子だったら、
あの忌まわしい男の子供じゃなくてよかったと思うと同時に
自分は父親という存在がいないのに
妹にはいる そこに嫉妬しそうです。


今まで22年間。
誰にも言えなかった家族にたいしての思い。
書いちゃった。

少しだけスッキリ。
今までのブログ内容からはがらりと変わって、
私の育ってきた環境について、病気のことも一息ついたし書いてみたいと思います。
長くなるから、小出しにね。

唐突ではありますが、私は両親が大っ嫌いです。
親として夫婦として反面教師にしたいひとたちです。

元父親に関して。

私は今でも父親は生物学的上の繋がりだと思ってます。
きっと彼にとっても私は見知らぬガキだったと思う。

記憶している限り、彼が笑っているところを見たことがないし、
一般家庭における父親らしいことなんてしてもらったことがない。
一緒に暮らしていた期間も、3年あるかな? 地獄過ぎてあいまい。

覚えているのは

母親と喧嘩して包丁振りかざしているところ

私に死ねって言ったこと

酔っぱらって暴れてるところ

そして、私の生年月日すら答えられなかったこと。

それくらい。

ね?

最低でしょ?

幼い頃…2才くらいかな?写真をみると2枚だけ
彼と写ってる写真がある。私の嫌いな写真。

母親と別れてからは、彼の母親(ババア)が私の誕生日に
彼からとプレゼントをもってくるけど
全て捨ててる

あたりまえでしょ?

この人には二度と関わりたくないね。

次は母親
意外とターナー症候群で検索してくれている人が
多くて吃驚してます。

平気なフリをして、このブログを書いていますが、
実は今後のことを考えると、とても不安になります。

結婚は?

子供は?

理解してもらえるかな?

いろいろ、考えたらきりがないくらい。

そして、友達の
『(子供を)産むなら早いうちがいいよね?』

って言葉に人知れず傷ついていたりします。
スルーできる能力を身に付けなければな。

私は見た目は、普通の女性です。胸もあるし、声も高い。
だからこそ、理解がなかなか得られないんですよね。

不妊の方とも違う。
元々ナイんですよ。

どんなに、医学が発展しても 子宮は造れない。

内臓の一部なのに、移植も認められない。

代理母も一般的には受け入れられない。

口では、子供がいない人生もアリって言っているクセに
諦めきれない。

苦しいですね。

結婚するときに、不妊である事実は伝えなきゃいけないけど
どこまでを言うかは、わからない。

まだまだ、覚悟をしきれてない複雑ですね。
ちょこっと、間が空いてしまいましたね。

実は、造膣術後あまりよろしくなく、
今日まで入院しておりました。

造膣、改めて大変ですね。

プロテーゼ(レティナ)を3ヶ月間24時間いれっぱなし
にしなくてはいけなくて

3ヶ月後は夜寝るときだけでよくなるらしいですが
性生活に関しては、まだわからないんです。

早くしたーい(笑)

嘘です。

背中の傷もまだグジュグジュしてますし、
まだまだ大変な日々が続きます。

とりあえず、明日退院。

3週間ほんとキツかった

確定診断もして、手術の話しになりました。

担当医はイカサマ教授。かなり不安でしたけど

手術方式はいろいろありますが

私は自分の皮膚を移植する方法になりました。

婦人科が穴をほって筒を埋める
形成外科がその穴に背中から採ってきた皮膚を移植する。

腸や腹膜、人工皮膚がよかったんだけど。
教授にバッサリ斬られました。

付きが悪いって理由と縮みやすいという理由かららしい。

できるだけ、痕が目立たない方向で進めていきました。
確定診断・・・病名をはっきりさせる(病名をつける)ということ。

私このときの状況は

1.造影MRIで膣・子宮が確認できない
2.精線(卵巣や精巣その他いろいろひっくるめて)はある。卵巣か精巣かは不明
3.血液検査結果では、一応女性ホルモンの分泌はあるようだ
4.外性器・女性型の第二次成長をしている

って事がわかっただけ、病名はついてない。

病名をつけるための確定診断

染色体検査

本当に嫌だった。

もし、男性型だったら? その結果を受け止められる自信もなかった。
そんな結果でたら、死んでもいいって本気で思った。

でも、検査しないと手術は受けられない。彼氏ともソウイウことはできない。

悩んだ末 私は

その次の外来に、母親を連れていきました。
内容とかすべて伏せて。主治医が親を連れてこいってうるさいから、黙らせに来て!
って、、、いけない娘ですかね?

婦人科の主治医。親を連れてきたことびっくりしていた。

予想外だったのは、検査結果まで親と一緒じゃないといけないってところでした。

数日後 染色体検査の結果は

ターナー症候群モザイク型

性別を決める染色体の10%に、モザイク(異常)がある。 って、事でした。

ターナー症候群の特徴は低身長や腕などが極端に内に曲がっている などがあるんですが
膣・子宮は存在するんです。

私の場合、膣・子宮がないので通常のターナー症候群には無い特徴なんです。

先生はロキタンスキー症候群だと推測してたみたいですが、染色体検査の結果違って驚いてました。
もともと、10%だけの異常でしたし。

私自身は、病名とかいいから早く手術の話をしろって思ってましたね。
自ら進んで受けた検査じゃないし、何が変わるわけでもないんだから。

なんとかこれで、手術への話しに移れました。
(次へ)
なんとか、先生に無理をいって造膣。
膣を作るための話し合いが始まったんです。

とりあえず、婦人科から形成外科へ。

形成の先生 教授の診察を受けたんだけど

この教授がまた適当で、
婦人科の主治医からは、年齢も年齢だし親を介入させてない時点で
治療・処置は、できないって、言われていたのに。

形成の教授は
症例は・・・とか 手術日はいつにする? って、造膣術の部分だけで
話をしてきたんです。

親に知られたくない私には、凄く嬉しかったですね。

同意書とかベッド予約とか1回の診察で私が望んでいたものが、手に入りました。

ま、翌日には婦人科から確定診断なしに手術は大学病院として許可できないって
怒られてしまった。 勿論、手術予定も流れました。(次へ)
私は、思春期の時に1回も生理が来たことがないんです。
病気だとも思っていたし、なにかがおかしいってことも
わかっていました。

でも、母親にも言えず。誰にも相談できず。

21歳までほっといてしまったんです。

でも、彼氏が出来たことでどうしても避けられなくなってしまったんですよね。

最初は地元から離れた、総合病院の産婦人科を受診したんです、
女医さんでした。 無月経のことを話したら、凄く怒られちゃいました。
その日の検査は、直腸からカメラ?みたいなのをいれての内診。
『子宮っぽいのはありそうね。単体のMRI撮りましょ』 この言葉に少し勇気が出たんですよね。

翌週、『MRIの結果は、膣と子宮が映ってない。多分、欠損しているでしょう。大学病院の紹介状を出します』 って言われました。このとき、女医さんに泣かれたのがものすごく辛かった。
産婦人科なだけあって、待ち合い室は夫婦や妊婦さんばっかりなのも凄く辛かったですね。

大学病院へは、一人で行ったんですよ。担当医、凄くびっくりしてました。
造影剤のMRI、採血。
結果は『やっぱり、膣・子宮ともに見えない。膣は造膣術で作れるけれとま詳しく検査するには、ご家族と一緒に』って

前回の病院のときから、親だけは介入させないって決めていたので、この話を聞いた瞬間、しまったんですよね。

母親に知られることは嫌だった。

そして、これ以上の検査よりも
造膣術の話をしてもらいたかった (次へ)
突然ですが、私、女ですよ

こう始めないと、自分が保てなくなるんですよ。

さて、私の病気は

病名:ターナー症候群モザイク型
症状?:膣・子宮不形成

私には、膣も子宮もないんです。

第二次成長・外性器は女性なんで、見かけは女ですよ。

そして、無月経の人の10%を占めるロキタンスキー症候群とも
ターナー症候群だけど染色体検査の結果10%のモザイク型

なので、普通のターナー症候群とも違います。

解りにくいでしょ?

ちょっと、珍しいかな?