スウェーデンのバルト帝国は、バルト海沿岸を支配していた。
1700年代に始まった大北方戦争によってスウェーデンがロシア帝国に敗れるまでの
およそ1世紀間について
スウェーデンでは「大国時代」と呼ばれている。
もともとスウェーデンは人口が少なく、農民だった。
写真の国王カール12世が登場
10代にして熊殺しの異名を取るほどの武闘派で、
何倍もの数を誇るロシア軍を前線で指揮をとり、打ち破っている。
国王が陣頭指揮をとったのは
「平凡な一般スウェーデン人を勇敢に戦わせ、勝利する為には司令官たる王が前線に出るより他ない」
と考えていた。
約20年にわたる、主にスウェーデンとロシアの戦い。
カール12世が狙撃兵によって足を負傷したことで、ロシア側が有利になる。
国王はオスマン帝国へ逃れた。
スウェーデン軍の捕虜は、シベリアへと送られた。
生きてスウェーデンに帰国できた者はわずかに5,000人であったと言う。
カール12世は亡命先のオスマン帝国とフランス連合で、ロシアに宣戦。
ロシアは黒海進出を一時棚上げにしてバルト海制覇に全力を傾け、
1714年ハンコの海戦で
ピョートル自らが指揮するロシア海軍がスウェーデン軍海軍を破り、制海権を獲得した。
バルチック艦隊の始まりだ。
カール12世は陸上各地をなおも転戦していたが、
1718年、ノルウェーでの戦闘で戦死し、結局スウェーデンの敗北に終わった。
ロシアがバルトの覇者として大国化していく。