例えば、自分がもらっている給料の分だけの利益を毎月コンスタントに出す。

それで会社は成り立つかというと、色々なコストを考えるとマイナスである。

それでは自分の給料の二倍の利益を出すとどうなのかと考えると、それぐらいでようやく成り立つのかなと思う。

じゃ、どうしたら毎月二倍の利益を出すことができるのか?


結局、今ある既存の枠の中では、競合、見積もり合わせ、たまに勝ったり負けたり。

すごく小さい市場の仲で切った張ったの勝負は仕事自体を小さくさせる。

小さい仕事を続けることは己を小さくして、自信がなくなってくる。

まさに負のスパイラルである。

それではどうするか?


新しい市場の創出

まさにこれこそが「働く」といういことの価値なのではないだろうか。

いきなり市場とか言っても大きすぎて漠然とイメージもできないが、新しい仕事をつくるというイメージ。

当然、長年続くことが大事だがまずは単年でもいいから仕事を創る。

売上額より、利益を考える。

手間がかかって売り上げの高いが薄利の仕事より、売り上げが低いが利益率が高い仕事。

そんな仕事を創ることが働くということ。

頑張らねば…!


「営業」と言う仕事について。


このブログを書き始めた頃、僕はとあるIT企業の営業マンだった。

その企業は営業が強いことで有名でそれだけに新規もこなし、ルートも押さえるという

営業の基本を叩き込まれた。

当然のように結果にも厳しく、時には会社に行くのにどうしようもないぐらい嫌な気分になるときもあった。

その頃によく言われていたのが、「仕事のときは仕事のことだけ考えろ!」「ちゃんと勝負したんやろうな」「うそは絶対につくな!」。

どこまで実践できたかはわかりません。

しかし、このことが大事なことなんだなと、最近強く思う。

どうしたら決まるのか、そのお客さんの求めていることは何か、会社にちゃんと事実を伝えているか(自分を粉飾していないか)と言うことはすぐにわかったりすることではない。

だからこそ日々の積み重ね。


いいお客さんに出会う、いいタイミングで営業に行く、そういうことが今年の営業ではできた。

次は、「君の粘りに負けたから、買ったんや」とお客さんに言ってもらう。

次はその段階まで頑張る。

久しぶりのブログ更新。

なんかこの間も色々あったなぁ。

前回の更新から、変わった一番大きかったことはマイホームを取得したこと。


これは人生においても大きな買い物だったし、自分としてもいい買い物だったと思っているニコニコ

最近はツイッターでの書き込みが多かったので、ブログがおろそかになっていましたが、やはり時々は長い文章を書きたいこともある。

特に仕事のこととか…。

これから少しずつ仕事において考えていることを書いていこうと思う。


今週末、京都で催されている学生のお祭りに行ってきました。

もともと学生のときに実行委員でかかわっており、社会人になってからも今年の春までは仕事として関わっていました。

だから「客」として、来場することになにかしら違和感がありました。

楽しみと不安。安心と寂しさ。

などなどいろんな感情が渦巻いていました。

そんな個人的な感情はよそに、お祭りは淡々と進み、一日目は雨だったのに、二日目は晴天に恵まれ多くの人で賑わいました。

自分が最後のお祭りが終わって、ようやく来年から完全にお客さんになるんだなとちょっと感傷にも浸りました。

そしてその後の飲み会。

自分が学生としてかかわっていた8年来の友達との飲み。

もう皆が社会人になっていて、それぞれの生活があるから一年に一回ぐらいしか飲みにいけないけど、飲みに井っても気を使わない関係は楽しい。

一次会は10人ぐらいで近況含めて飲み会。

これはこれで面白かったが、2次会は男だけで5人ぐらいで飲みに行った。

酔いからさめた今、考えると何でもないことがすごく面白かった。

「しょうもないことを、馬鹿笑いできる関係」。

すごく大切だなと思う。

なんか何歳になってもこんな関係が続いてほしいと思える週末でした。

今日、初めて娘が風邪を引きました。

夏風邪だと思いますが、やはり心配になる。

特にニュースでも流れているように変な菌がはやっている。


自分が子供のころを思い出してみる。

池に落ちて頭から血を流し救急車で運ばれたり、キンケシ(キンニクマンのキャラの形をしたフィギィア)を食べては扁桃腺を腫らしたり…。

そしてアレルギー問題。食事のことなど、本当に親は苦労したと思う。


自分自身はこれから子供に何を提供していけるのか?

子供の笑顔を、どうやって作っていくのか。

それをこれから考えて生きたいと思います。

本当に本当に久しぶりにブログを書きます。

実に5ヶ月ぶりです。

この5ヶ月はなかなか人生においても濃い5ヶ月間だったなと思います。

さてさて順に整理だてていきます。


【父親になる】

そう。父親になったんです。

2010年4月27日。

わが娘「舞」誕生。

すくすく成長中です。

本当に可愛いなぁニコニコ

どんなコドモに生長していくのか。本当に毎日が楽しみです。


【転職】

今後、このブログで一番取り上げていくテーマになるでしょう。

映画関係、教育、感動などが仕事のキーワードです。

「なにができるのか」→「なにもできません」からの脱却


大きく捉えるとこの5ヶ月での大きな変化はこの二つ。

すこしずつこのブログも再開していこうと考えています。

前職から今の職場に移って三年。

三年前のこの頃は転職することに希望と不安にあふれていました。

学生時代に携わったことに、お金をもらう立場として携わる

これは希望。

正社員から契約社員になる。年収が150万円下る。

これは不安。

お世話になったお客様がいる。

これから出会う学生たちがいる。

そんな思いから三年。


お世話になった地域の方がいる。

感動を与えてくれた学生がいる。

感謝してもしきれないぐらいの人に支えてもらったと感じている。

そうした意味では充実した三年間だったなと思う。

そんな三年間を三月いっぱいかけて振り返る。


ドイツで感じたこと【続】

ベルリン映画祭には、219日から最終日の221日まで合計三日間しか参加できなかった。しかし、その三日間はとても貴重な体験を与えてくれた。

商業映画では当たり前のことだが商業映画ではなく、名もない作品でも人が多い。

これは「ベルリン映画祭」という看板が付いている映画祭だから人が多いのか、地域の映画祭などでもそうなのかどうかはほかの映画祭に参加したことがないので分からないが…。

ただ自分が直接関わった日本の映画祭に比べると、とんでもない数の人が観に来ているなという印象をうけた。

ポメス-レゴキリン

ベルリンの映画祭でよかった印象

・映画館の客席がフラット

・スクリーンがとてつもなく広い

・座イスも長時間座っても疲れない

・いろいろな質問が観客席から出た

・子供映画の映画館では子供が騒いでいても寛容的

悪かった印象は、

・チケットの入手方法が分かりづらかった(言葉の壁)

・対応の違い(接客に関するサービスの違い)

国が違うということは、言葉も違うし文化も違う。もちろん政治経済なんて全然違う。

けど、これから「映画」の仕事に携わる者として、ドイツという国がすこし羨ましく、また目標にしようと思う。


ドイツから帰ってきて一週間。

ほったらかしにしているとどんどん記憶が薄れていくので、忘れないうちにドイツでの経験を。

まず旅の概要

日 程:2010年2月18日~2月25日

行き先:ベルリン~シュトゥットガルト~フランクフルト

目 的:ベルリン映画祭、その他都市観光

ポメス-ベルリンーテレビ塔

5年ぶりのドイツだった。

ほとんど観光気分で行ったドイツだったが、ベルリン映画祭を通じて大きく学んだことがある。

「映画」という文化がドイツでは受け入れられている。

商業映画とか、科学映画とか、子供映画とか、長編とか短編とかそんな垣根がないんですね。

芸術や文化に対してお金を払うということに寛容なんだろうな。

なんでそんな映画に対する文化が受け入れられているのか。

自分なりに感じてみたことを、また次の書き込みにまとめてみる。

彼との出会いは大学三年のときだから、もう7年も前。

その当時夢中になっていた課外活動で彼は学生のトップだった。

活動場所でも少し不機嫌な表情でパソコンをぱちぱち打っていた。

年下だとはわかっていたけど、なんか持っている雰囲気が大人っぽい。

勝手に「カリスマ実行委員長」と名づけた。


「カリスマ」とはなかなかしゃべる機会もなく、その活動も終わろうとしていた。

一回だけ、コンビニの前で高校生みたいに地べたに座りながら話し込んだ。

その時、「カリスマ」と別れて返る道はなぜか誇らしかった。


その後も多くの友達と一緒にのみに行ったりして、少しづつ距離を縮めてはいた。

そのうち社会人になって疎遠になっちゃうのかなという思いもあった。

しかし、社会人生活が始まったときに京都支店の配属が決まった。

そして「カリスマ」との付き合いは社会人になってからも続いた。


そのころは、「カリスマ」から「夜王」という名称がふさわしい人間になっていた。

京都の某歓楽街で活躍する彼の姿は、学生団体のトップとして活動していたころより

生き生きしていた。

その当時の会社の先輩たちと、京都の歓楽街に行っては「夜王」に楽しいお店を紹介してもらった。

社会人二年目になる頃には「夜王」も社会人となり、無事、歓楽街を卒業し「同業者」となった。

同業者だったのもあり、仕事の話もよくした。

「この業界で自分たちはやっていけるのか」。

二人で話しているときに、口には出さなかったけど二人が思っていたことでは…。

その年の冬には、彼を含む学生時代の仲間と富山に慰安旅行。

冬の吹雪のなか、コンビにまで2キロの道のりを走らされて、戻ってくる途中に「あれ言い忘れてたので戻って買ってきてください」という電話。「こいつは本当に後輩か」と疑った。

社会人三年目、こちらが転職をしたので「同業者」から「後輩」へ。

学生時代のかかわりもあったので、良く手伝ってくれた。

そして冬にはまた慰安旅行@石川。

旅行に行くたびに、なんか小技の意地悪があちこちにあった印象。


その後も、大阪でお好み焼き食べたり、京都に来てくれ男二人で清水観光。

嫁が初めて会った時、「ダークなにおいがする」が第一印象。

間違いなく、「ダークな後輩」だった。

けど、京都の家にも遊びに来てくれ、来るたびに堂島ロール買って来てくれたり、おすし頼んでくれたり気を使ってくれた。

本当に感謝。

そして何よりも、連絡をまめにとらない人間に常に連絡を取り続けてくれたことに本当に心から感謝。

転職で東京に行くが、また関西に戻ってくることを心から願っている。