彼との出会いは大学三年のときだから、もう7年も前。
その当時夢中になっていた課外活動で彼は学生のトップだった。
活動場所でも少し不機嫌な表情でパソコンをぱちぱち打っていた。
年下だとはわかっていたけど、なんか持っている雰囲気が大人っぽい。
勝手に「カリスマ実行委員長」と名づけた。
「カリスマ」とはなかなかしゃべる機会もなく、その活動も終わろうとしていた。
一回だけ、コンビニの前で高校生みたいに地べたに座りながら話し込んだ。
その時、「カリスマ」と別れて返る道はなぜか誇らしかった。
その後も多くの友達と一緒にのみに行ったりして、少しづつ距離を縮めてはいた。
そのうち社会人になって疎遠になっちゃうのかなという思いもあった。
しかし、社会人生活が始まったときに京都支店の配属が決まった。
そして「カリスマ」との付き合いは社会人になってからも続いた。
そのころは、「カリスマ」から「夜王」という名称がふさわしい人間になっていた。
京都の某歓楽街で活躍する彼の姿は、学生団体のトップとして活動していたころより
生き生きしていた。
その当時の会社の先輩たちと、京都の歓楽街に行っては「夜王」に楽しいお店を紹介してもらった。
社会人二年目になる頃には「夜王」も社会人となり、無事、歓楽街を卒業し「同業者」となった。
同業者だったのもあり、仕事の話もよくした。
「この業界で自分たちはやっていけるのか」。
二人で話しているときに、口には出さなかったけど二人が思っていたことでは…。
その年の冬には、彼を含む学生時代の仲間と富山に慰安旅行。
冬の吹雪のなか、コンビにまで2キロの道のりを走らされて、戻ってくる途中に「あれ言い忘れてたので戻って買ってきてください」という電話。「こいつは本当に後輩か」と疑った。
社会人三年目、こちらが転職をしたので「同業者」から「後輩」へ。
学生時代のかかわりもあったので、良く手伝ってくれた。
そして冬にはまた慰安旅行@石川。
旅行に行くたびに、なんか小技の意地悪があちこちにあった印象。
その後も、大阪でお好み焼き食べたり、京都に来てくれ男二人で清水観光。
嫁が初めて会った時、「ダークなにおいがする」が第一印象。
間違いなく、「ダークな後輩」だった。
けど、京都の家にも遊びに来てくれ、来るたびに堂島ロール買って来てくれたり、おすし頼んでくれたり気を使ってくれた。
本当に感謝。
そして何よりも、連絡をまめにとらない人間に常に連絡を取り続けてくれたことに本当に心から感謝。
転職で東京に行くが、また関西に戻ってくることを心から願っている。