2016.3.25 11:00

【現代を問う】国旗・国歌に背を向ける国立大…“あつものに懲りて膾を吹く”教育界、日本は確実に三流国家になる

高校の卒業式や入学式では国歌斉唱、国旗掲揚が当たり前の風景になりつつあるが…

岡山学芸館高・清秀中学園長 森靖喜

 本学園は『立派な日本人の育成』『ゼロ・トレランスの教育』を人間教育の基本として、学園改革を遂行してきた。マスコミや教育界からの批判もあったが、断固として方針を貫き通せたのは、独自性を守れる「私学」であったからこそである。現在、生徒のマナー、東大合格など大学への進学実績、県優勝など活発な部活動、文科省からSGH指定を受けたグローバル教育など、文武両道の教育は全国的に高い評価をいただいている。

 「立派な日本人」としての手本を示し、事なかれ主義を排し、ダメなものはダメとする「ゼロ・トレランス」「強制」をも含む教育理念・手法であり、日本人精神という価値観を根底に置く日本の伝統的・保守的教育観である。おかげで生徒、保護者の学園への信頼度、共感度は非常に高いものがある。

 現在、文科省は「教育再生」を掲げ、改革に取り組んでおり、岡山県でも学力向上や校内暴力、いじめ根絶、不登校対策と、さまざまな施策が取られている。道徳の時間の設定は良い方向であるが、施策の中で教員の数を増やせという声が大きい。しかし、間違った歴史・教育観を持つ先生を増員しても解決にならない。まずは教員の精神的な歴史・教育観の転換が必要である。

 現在、教育現場で主流である「子供の自由・権利」を尊重する「子供中心主義・進歩的」の教育観では問題解決には程遠いし、立派な日本人の育成はできない。「保守的・伝統的教育観」へ転換の転換がなければ成果は期待できない。ダメなことはダメと教えられない子供は不幸である。だが、日本の教育界は「保守的・伝統的教育」は軍国主義復活への道だという『あつものに懲りて膾(なます)を吹いている』のが実情である。

 平成23年、東京都立蒲田高校の校長が懲戒免職となり、神奈川県立神田高校の校長が停職処分を受けた。両校の校長は何をしたのか。入試で茶髪やピアス、服装・態度の乱れを理由に面接点を減じ、不合格とした行為を「都県民の信頼を失い、重大な責任がある」として、処分したのであった。荒れた学校・授業が成立しない学校を何とかしようとした校長が処分されたのである。生徒の自由・権利を限りなく認める「進歩的教育観」のなせる業で「ゼロ・トレランス」の教育は「懲戒免職」、これが現状なのだ。都教委は何を恐れたのか。これでは教育改革は不可能である。

 昨年の春、国立奈良教育大学が式典で国歌・国旗を実施しなかったことに関し、国会でも問題になった。共同通信のアンケート調査では国立大学全86校のうち、入学式で国旗の掲揚も、国歌斉唱も実施しているのは岡山大学など7大学だけと判明した。滋賀大学は「国立大学に課せられるのは、納税者に満足してもらえる教育研究の実績づくりであり、国の要請に従うことではない」とした。

 ここでも保守的・伝統的教育観は否定され、戦後独特の「国家」は「人民の敵」、それを象徴する国旗・国歌は「悪」という誤った歴史観・国家観が見て取れる。

 それに対し、下村博文文部科学大臣は昨年6月、国立大学に各大学の自主性は尊重するが、入学式や卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱を実施するよう求めた。この春の式典での実態はまだ判明していないが、3月4日の産経新聞によると、国立岐阜大学の学長が卒業式・入学式で国歌斉唱をしない方針を示した。学長の見識を疑う。

 誰の批判を恐れて、頑張った校長を免職にし、国旗・国歌に背を向けるのか。

 東京都では卒業・入学式で国旗掲揚・国歌斉唱が実施されるようになったが、一部教職員が国歌斉唱では起立せず処分を受け、処分取り消しを求めて裁判になったことも記憶に新しい。

 あつもの(軍国主義)に懲りて膾を吹く教育(原発反対もそうだが)では、日本は確実に3流国家になるだろう。

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 【プロフィル】森靖喜(もり・やすき) 昭和16年、岡山市生まれ。明治大学大学院卒業後、43年から金山学園(現・岡山学芸館高校)の教諭、岡山市教育委員長などを歴任。現在は岡山県私学協会長、学校法人・森教育学園理事長、岡山学芸館高校・清秀中学校学園長、教育再生をすすめる全国連絡協議会世話人。専門は政治学。


森靖喜先生

※引用元

http://www.sankei.com/west/news/160325/wst1603250003-n4.html