「意識が現実」だと書いた前回の記事が、
「難しいです。スピリチュアルな話ですか?」
と声を頂きました。
精神世界や哲学ではなく事実を指摘したのですが
伝え方がマズかったようです。
私達は地球が止まっているように感じていますが、
客観的な現実としては、地球は秒速464メートルで
回っていますし、太陽の周りも秒速30キロメートル位で
公転しています。
世界は鮮やかな色と、色んな音に満ちていますが、
色盲だったり難聴だと皆と体験が違います。
私は視力が0・01もないのでメガネをかけてますが、
メガネで見る世界は何だかウソっぽく感じます。
裸眼がいいのですが、ボヤけていてリアルさを
充分に実感することができません。
私達は客観的な現実そのものでなく、
意識を通した体験をするわけです。
今の例は感覚的な体験ですが、
現実や状況をどんな風に見たり考えるかによっても
意識での体験が違ってきます。
例えば同じ職場で同じ部署の同僚だったとしても、
・生活のために仕方なく働いている
・仕事をするのは社会的な使命だと思っている
・才能を発揮する場として取り組んでいる
・一時的なつなぎ
・家業を継ぐための修行の場
などなど、
仕事の意味は人によって違いますね。
どんな考え方をしているかによって、
仕事への取り組み方や出来事の受け止め方が
大きく変わってきます。
ミスをして厳しく上司に叱られても、
「そこまで叱らなくてもいいだろう!あの野郎!!」
「今だけの我慢だから聞き流したらいいや」
「厳しく指導してくれて有り難いな」
と色々です。
自分が客観的な現実に与える意味=意識によって
体験が変わるわけです。
私達は意識を通して現実を体験しています。
更に言えば、
意識を通してしか現実を体験できないので
意識のあり方が大切なのです。
「人生を楽に楽しく生きたい。」
私はそう願っていますし、
恐らくあなたもそうだと思います。
そのために快適な身体を維持していますが、
心も快適でなければです。
では、
あなたは人生をどんな風に見ているでしょう。
「人生は苦しみの連続だ」
「人生は罪をあがなう修行の場だ」
「人生なんて無意味・・・」
な意識が入りこんでいませんか?
世の中を見渡せば色んな考えで溢れかえっています。
時代によっても国や地域によっても様々です。
この考えが正しい、
こんな風に考えなければならない
という絶対的な考えというものはありません。
つまり、
人生の意味は自分で選び取ることができますし、
自分が本心で望むものを選び取るべきです。
「人生は楽しむための遊び場だ」
私はそんな風に考えています。
仕事だけのためや、苦しむため生きるのが
人生ではないはずです。
自由に楽しみ遊べばよいのです。
そのために快適な心と身体を実現し、
維持しています。
あなたの現実は?