いつも他人が羨ましいなと思ってしまう。
隣の芝生は青いとか。ないものねだりとか。
表す言葉は色々あるんでしょうけど。
チームを見ていれば、
みくのように鋭い観察力と記憶力があれば、こぱのように安定感とそれを軸にしたエネルギーの爆発があれば、じゅんきのような自由な発想力を持って共演者を驚かすようなことができたら、らいふのようにどんなトラブルがあっても鷹揚に構えていられたら、あみくんのように理想高くでも頼ってくる人に真摯に寄り添う姿勢があれば。
日常の中でも、
この人のように女の子らしく素直でいられたら。
この人のように話が面白ければ。
この人のように幅広い知識があれば。
しなやかな体があれば、字がうまければ、パソコンができれば、楽器ができれば、歌がうまければ、お金があれば…
欲望は尽きません。
自分にとってこの状態が、よくないことだとわかっています。
羨ましいなら、自分もそうなるように努力する、人のアドバイスを素直に聞いて、なるべく笑う。
そんなことを心掛けようって、何度も何度も思うのです。
でも素敵な人と関わるたびに、誰に言われてもないのに自分と比較してしまう。
この人は、私とは違う、無いものを持ってて、羨ましい。
まさしくないものねだり。
人のいいところは次から次へと思い付くのに、自分の長所はよくわからない。人に褒められることも、すぐ裏返して、長所と短所は紙一重だからな、なんて拗ねてしまうこともあるし、ひねくれていると自分でも思います。
難しいというか、まあ、めんどくさい人です笑
自分が心から求めているものはなんだろう、って、先日からずっと考えています。
私が『こうなりたい』と思うきっかけは、いつも誰でもない幻想が私に押し付けてくるものでもある。
私がこうなったほうが、みんな助かるはずだ、みたいなかんじです。
強迫観念、強いと思います。
こうあるべき、という体制に常に反発して、様々な形を模索してきた人生だったように思います。
男みたいな女がいたっていいじゃないか。
制服着なくたっていいじゃないか。
成功するって一つのパターンじゃなくていいじゃないか。
自由に振る舞うことと反比例するみたいに、どこかにずっと罪悪感があったとも思います。
女らしくしなくては、校則は守らなくては、演劇やるからには有名劇団に入らなければ。
時には誰かに言われたこともありますが。
女らしくしなさい、とか。
一つひとつは、きっと些細で。
自分が傷ついた小さな言葉の積み重ねが、理想の自分を作っている。
太ったから魅力的じゃなくなったと言われれば、モデルみたいにスリムな人に憧れる。
色気が無いと言われれば、大きな胸に憧れるし、化粧の仕方も変えなきゃなと思う。
不勉強だと言われれば、もっと沢山の本を読まなきゃ駄目だと思う。
憧れるものを、全部ぜんぶ取り入れることはできない。
一日は24時間しかない上に、私にはありがたいことに、やるべきことが沢山ある。
理想の自分は神様みたいに完璧で、これまた誰でもない誰かみんなに愛されている。
誰にも文句を言われない自分をつくるため、つまり自分を守るために成長するのではなく。
自分が心から何を求めて、何を楽しいと感じて、どんな人間になりたいのか?
そんなことを、自問自答しています。
私は、豊かな人になりたい。
なんて曖昧と思うかもしれませんが、これが一番適切な気がします。
心に余裕があって、なんでも取り込んで成長し続けられるような、豊かな人間になりたいです。
毎日肌が生まれ変わるように、毎日価値観が生まれ変わって、ブラッシュアップされていったらいいな。
その方法はきっと、これ!ってものは無いのではないかな。少なくとも今のところは。
だから、明日も一生懸命生きるしかないなって思います。
私はしょっちゅう落ち込んで、昔どんな風に傷ついたかを心の中で再現して、また落ち込むという落ち込みのプロみたいなところがありますが。
色を少しずつ集めるみたいに、豊かな人間になるための時間を過ごしたいなと思います。
よき隣人と、よき関係性を。
幸い、隣人には恵まれています。