Pの食卓 -23ページ目

アガサクリスティ 『邪悪の家』

今日はアガサクリスティの『邪悪の家』を紹介します。

アガサ・クリスティー, 田村 隆一
邪悪の家

この話もヘイスティングズが語り手として登場します。

私はこのヘイスティングズ大尉がとても好ましく思え、

彼の出ている作品をこれからも紹介していく予定です。


小説の冒頭にもあるような、ヘイスティングズとポワロの会話

とても好きです。推理小説に魅力を与える人間性が詰まっています

推理を放棄し、彼らの会話だけに耳を傾けても一級のおもしろさがあります。


さて、結論から言えば、この作品、非常に面白いです。

つま先から頭のてっぺんまで、全て芝居仕立てです。

エンドハウスという名前も、滅び行く館という設定も劇的です。

登場人物にいたっては、まさしく皆怪しくてたまりません。


一見自然に見える、ということは不自然なことだと言う事を学びました。

本当の邪悪さというものは、そうであって当然と思われるものの中にあるのかもしれません。

そのようなことを示したことで、この小説は大成功を収めていると思います。


今回は組み立てた推理に自信があったわけですが、

見事に犯人を当てることができませんでした。

まったく見当違いもいいところでした。

これほどきれいに騙されると、後味が良いものですね。


未読の方はぜひ読んでいただきたく思います。

見事に騙されるも、当てるも、どちらにしても気持ちがいいと思います。

第三回ネトミス定例会を終えて

第一回、第二回は綾辻行人作『どんどん橋、落ちた』を読み進めましたが、

第三回例会は少々趣を変えてみました。

内容は会長Pの短編小説 『ステイブル荘の悲劇』 犯人当てでした。


素人故に内容や設定には目をつむっていただきましたが、

それなりに楽しんでいただけたようです。


これからも短編を制作し、活動を盛り上げていきたいとおもいます。

既に次の短編に手をかけているため、来週再来週にでも発表と思っております


ミステリ小説好きの集い、インターネット上でのミステリー研究会『ネトミス』

入会したい方、興味をもたれた方は下記ホームページまで!

http://www.geocities.jp/mistereaders/

シェイクスピア悲劇 『ロミオとジュリエット』メモ(2): 恋の宗教

前回に引き続き、『ロミジュリ』。

今回はさらにメインのプロットである二人の愛とその解決について考える。


周知の事実の通り、ロミオは開幕早々恋の病に取り付かれている。

適わぬ恋の相手はキャプレット家のロザラインだ。

ロミオのロザラインに対する愛には特徴がある。以下ロミオ


 Why then, O brawling love, O loving hate,  ああ、喧しい恋、恋の憎しみ

 O any thing of nothing first create!       ああ、無から作られた最初のもの

 O heavy lightness serious vanity,        ずしりと重い浮遊感、重大な無価値

 Misshapen chaos of well-seeming forms,   形の整ったはっきりしない混沌

 Feather of lead, bright smoke, cold fire, sick health, 鉛の羽、輝く煙、冷たい炎、健やかな病

 Still waking sleep, that is not what it is!    起きながらにして寝ている、それだけじゃない!

 This love feel I, that feel no love in this.    そんな愛を僕は感じている。でもその中に愛は無い。

 Dost thou not laugh?                なんだ笑わないのか?

               (1.1.167-74)

笑わないわけがない。

「鉛の羽」や「冷たい炎」など相反するイメージを形容詞で飾ることを撞着語法(oxymoron)という。

ロミオの心理状態を的確に表しているといえる。

一見ロザラインという女性に恋しているようで、実際は恋に恋しているという状態だ。

このセリフはロミオがジュリエットの前に恋を経験している、ということを作者が観客に説明しているにすぎない。

そうすることで、ジュリエットへの愛がいかにロザラインへの愛と違うかが浮き彫りになる


一方ジュリエットはというと、社交界デビューの14歳の乙女。

まだ恋はおろか、世間の男性というもの自体にあまり知らないと仮定できる。

親の決めた婚約者パリスと仮面舞踏会で初めて出会うようセッティングされている。

幸いパリスは若者だ。(若い娘の求婚者は50目前のおじさんが多かった。c.f. じゃじゃ馬ならし)

当然のことながらジュリエットは期待と不安の入り混じった心持で舞踏会を待っている。

ジュリエットにとっては自分の将来を決定する舞踏会なのだ。

悲恋を紛らわすためのロミオの舞踏会参加とは意味合いが根本的に違う。


ここまででロミオの恋愛感、ジュリエットの恋愛感をまとめてみる。

ロミオの恋愛感は、この時点では、自己陶酔につきる。

恋に恋し、相手を熱烈に愛することで満足を得ているのだ。

現代の高校生の恋と差異はあまり無い。


それに対しジュリエットの恋は既に結婚の段階に置かれている。

処女性や貞淑さが女性の美徳であった時代のため、

高貴な女性が不特定多数の男性と触れ合うことはできないのだ。

(一般においてはその限りではなく、異例はあったようだ。)

つまり恋愛ゲームに興じている暇は無く、一目で相手の本質を探り

一矢で決断を下さなければならない真剣勝負なのだ。

そのことについてはレイディキャプレットが本のイメージを使いソネット形式で述べている。(1.3.80-95)


少し余談として当時の結婚について述べる。

ジュリエットのような上流階級にある女性にとって結婚とはビジネスでしかない。

本人の恋心とは別の次元で結婚の段取りが進められていくからだ。

家の都合、とくに父親の都合、により、金持ちで地位もあり自由に財産を使える男と結婚させられる。

そのような好都合な男とは、大抵の場合は老人だ。(c.f.じゃじゃ馬ならし)


さて本題Loveについて戻る。

Love storyにはpaganなイメージが付きまとう。(pagan=異教徒的)

つまり不倫ものが多い。

アラブや東洋の価値観がキリスト教の価値観に流入しているのだ。

つまりトルコのアナトリア高原で興ったメヴラーナ教、バルカン半島でパウロ派の影響のもと興ったボゴミル派(異端キリスト教)、古代ギリシャのオルフェウス教、ゾロアスター教(イラン)、景教(異端キリスト教:イラン―中国)これら二元宗教の根本的な思想、「二元論」に近いものがある


二元論とは、大雑把に言えば、世の中のものは「善と悪」「光と闇」や「完全と不完全」など対立しあう関係でなりたっているというものだ。

そしてその二元宗教の説くところをつきつめれば、決して現世において救われることは無いということだ。

Love story には常にそのような観念が付きまとっている。

ロミオとジュリエットに関してもChristismではなく異教徒的なイメージがある


二人は仮面舞踏会で出会い、お互いに強く惹かれあうようになる。以下その部分


Romeo: [to Juliet] If I profane with my unworthiest hand A

       (ジュリエットに向かって) 僕の卑しい手が

This holy shrine, the gentle sin is this,  B

       聖なる堂をけがすなら、優しい罪はこれ。

My lips, two blushing pilgrims, ready stand  A

       僕の唇は赤面した二人の巡礼、こうして立ち

To smooth that rough touch with a tender kiss.  B

       手荒に触れたところを優しいキスでそっと。

Juliet: Good pilgrim, you do wrong your hand too much, C

       巡礼さん、あなたの手をそんなに悪く言わないで

Which mannerly devotion shows in this,   D

       礼儀正しく信仰を示していらっしゃるわ。

For saints have hands that pilgrims' hands do touch,  C

       聖者の手は巡礼の手が触れるためにあるの。

And palm to palm is holy palmers' kiss,  D

       だから手のひらを重ねることは、巡礼の口付けよ。

Romeo: Have not saints lips, and holy palmers too?  E

       聖者も巡礼も唇を持っているのでは?

Juliet: Ay, pilgrim, lips that they must use in prayer. F

       ええ、巡礼さん、お祈りを唱えるためにね。

Romeo: O then, dear saint, let lips do what hands do. E

       それなら、いとしい聖者様、唇にも手のひらがすることをさせてください。

They pray, grant thou, lest faith turn to despair. F

       お祈りします、お聞き入れください。信仰が絶望に変わらぬよう。

Juliet: Saints do not move, though grant for prayers' sake. G

       聖者は動じません。お祈りを聞き入れても。

Romeo: Then move not while my prayer's effect I take. G

       では動きませんよう。お祈りの験を受け取るまで。

Thus from my lips, by thine, my sin is purged. A [ kissing her ]

       こうして僕の唇から、あなたの唇によって、罪が清められた。 (彼女にキスする)

Juliet: Then have my lips the sin that they have took. B

       では、私の唇が罪を受け取ってしまったのね。

Romeo: Sin from my lips? O trespass sweetly urged! A

       僕の唇から罪が?ああ、なんと素晴らしい罪の咎め

Give me my sin again. [ kissing her again ]

       もう一度罪をお返しください。

Juliet: You kiss by th' book. B

       お手本通りにキスなさるのね。

(1.5.92-109)

長くなってしまったが、以上が有名な舞踏会でのソネットの場面だ。

セリフ横に置いた大文字のアルファベットは韻の踏み方を示している。

ABABと韻を踏み、最後にGGといったカプレットという形で14行を〆るのがソネットだ。

お互いが互いにセリフを言い合い、相手のことを品定めしている

高次元な wit combat といったところかもしれない。

このGGのカプレットが終了した瞬間、二人の恋は約束されたものとなる

ロミオは真実の恋とその対象を手に入れ、

ジュリエットは未来を賭ける相手を見つける。


このソネットから宗教的なイメージを抜きにしたら何も残らない

ロミオもジュリエットも唇や手を巡礼者と例え、

愛を信仰になぞらえている。

男女の下世話な情事になりかねないシーンを、

聖性を帯びた愛へと飛翔せしめ、聞くものの耳に心地よく響く。

ロミオもジュリエットもキリスト教から一時脱却し、愛の宗教へと改宗したのだ。


このChritisismからの脱却により、終幕における教会内での自殺が正当性を帯びる。

キリスト教、カトリックにおいて、自殺は禁忌とされる。

しかし、先に述べたように、二元宗教的な観念を持つ恋の宗教を信仰する彼らには、

死こそ愛の成就であり、生きているうちは達成され得ない愛の合一なのだ。

悲劇的だ。しかしそこには救いがある。

四大悲劇といわれる『オセロー』『マクベス』『リア王』『ハムレット』とは決定的に違う、

ある種の解決があるのだ。


ロミオはジュリエットとであったことで、急速に成長を始める。

時間の経過の遅さについて、ロミオはこう述べている。


Not having that, which, having, makes them short.

手にしていないからね、あれを手にしたら短くなるのに。

(1.1.155)

本人が言っているように、ジュリエットとの両想いの恋を手に入れた瞬間から、

ロミオの時間の経過は加速度的に速まる。

まるで流れ星が引力に引かれ地球に落ちるかのように、

ロミオとジュリエットは破滅へと急進していく。


前回にも述べたが、シェイクスピアが五日間に凝縮させた意味が伺い知れる考えだ。

ロミオとジュリエットは五日間にして全人生を経験し、

恋の宗教という解決の下、短い人生を終えるのだ。


『ロミオとジュリエット』を観る機会がありましたら、

彼らがいかにして燃え尽きたかをcompassionを持って観ていただきたいです。

そうすればメロドラマではない深い人間愛を垣間見ることができると思います。


以上をもってロミジュリのメモは一度止めておきます。


シェイクスピア悲劇 『ロミオとジュリエット』 メモ: 縮められた時間

『ロミオとジュリエット』は恋の悲劇だ。

と、一言で説明できないところにシェイクスピアらしさを感じる。

主なプロットは二人の若者の恋にあるが、その根幹、悲劇の大元となるところには、

「対立し合う貴族たちをコントロールできなくなったとき、どのような事態になるか」

という大きな政治的なテーマが大前提としてある。


この劇が風俗を乱すものとして検閲に引っかからなかった理由はそこにある。

親や一門に歯向かう若者達を描く一方で、国(大公)の意向を無視して行動すると大変な事になるという二つのメッセージを発信している。

ただのメロドラマでは無いのだ。


ここらで少し『ロミオとジュリエット』(以下ロミジュリ)に関連したことについて述べる。

シェイクスピアを非難する人たちの中に「彼の作品はオリジナリティが無い」と言う人がいる。

それは非難になりえないことを理解していただきたい。

本に関しては引用が多ければ多いほど、また皆の知っているタネ本を元にしている方が素晴らしい作品とみなされていた時代だったようだ。

『ロミジュリ』にも当然のようにタネ本がある

根気良く遡ればさらに言及できるようだが、ここではアーサーブルックの『ロウミアスとジューリエット』 がもっとも近いタネ本だということにしておく。

もう少し遡るとWilliam Painter Palace of Pleasure ( de novelle di Bandello )や、 Pierre Boaisteau HIstoire Tragiqoue などなど。


ちなみに、『ロミジュリ』は海を渡り、日本へも来ていたようだ。

鶴屋南北(四世)が作った『心謎解色糸』(こころのなぞとけたいろいと)と共通点が多い。
もしかしたら鶴屋南北が『ロミジュリ』の話を聞いたのではないかと言われる。
事実はわからないが、この系統の話は日本人にとって受け入れやすいものだったのだろう。


話を戻し、アーサーブルックの『ロウミアスとジューリエット』(以下ロウミアス)と『ロミジュリ』について。


『ロウミアスとジューリエット』は演劇というよりは詩と言ったほうが近いかもしれない。

それは『ロミジュリ』は多くの点で似ているも、細部、しかも重要な点において異なる。

最大の点は ロウミアスが 「九ヶ月」 の出来事であるに対し、ロミジュリは 「五日間」 であることだ。

ロウミアスではジューリエットと出合っても半年生き、さらに結婚生活も三ヶ月続く。

それをロミジュリではたったの五日間に縮めてしまっている。

この大胆な圧縮にも関わらず、シェイクスピアのロミジュリは、大味になるどころか、より旨みが引き出されているのだ。


他に旨みが出ているところとして、年齢の引き下げがある。

『ロウミアス』ではジューリエットが16才と、結婚適齢期後半といったところだが、

『ロミジュリ』ではロミオおよそ15歳、ジュリエット13歳社交界デビューの年と引き下げられている。

初めての社交界の場で、親の決めた結婚相手パリスと対面する予定になっているのだ。

劇的といわずになんと言えば良いのか。


さらに、『ロウミアス』においてパリスは婚約候補に留まるに対し、

『ロミジュリ』では婚約者として確定させている。

これは悲劇性を高める効果がある。

恋愛と結婚の問題を浮き彫りにさせる効果だ。


付け加えると、マキューシオの役割も違う。

シェイクスピアの『ロミジュリ』ではマキューシオの役割がより明確になっている。

彼の自己破滅的とも情熱的とも言える性格が『ロウミアス』には無い。人格すら無い。

当然「マブの女王」に関する言及もない。


以上が『ロウミアス』と『ロミジュリ』の大まかな相違点だ。

様々な点を箇条書きに示して見たが、なかでも時間の短縮は大きな効果がある。


何故時間を短縮したか、 three unities の法則に少しでも則ったのだろうか。

それもありえる。ちなみに three unitiesの法則とは、日本語では「三一致の法則」と言うもので、

 1. 舞台は時間を長くしない。24時間以内とし、数ヶ月の内容はおかしい。

 2. 場所は一箇所。

 3. 状況は矛盾してはいけない。

見ればわかるがシェイクスピアはほとんどの作品においてこの法則を守っていない。

( Comedy of Error 『間違いの喜劇』 はエフェソスでの24時間、守っている場合もある )

『ロミジュリ』は五日間のうえ、ロミオがヴェロナからマンチュアへ追放される。(舞台が二箇所になる)

よって、短縮した理由は芝居の環境、さらに悲劇性の追求にある。


時間の短縮と悲劇性の追求

シェイクスピア劇の恋愛は(言い換えればキリスト教は昔から)一目見たときから始まる

Burton Anatomy of Melancholy では、愛は病気、恋愛病、死ななきゃ治らないと言っている。

つまり、「目」から入った恋愛の病血は、肝臓で浄化されず心臓へ行き、全身に回る

当時の人々はblood-letting 瀉血で対処したという。

『ロミジュリ』の二人も、仮面舞踏会で一目あった瞬間に病血が回る


普通ならば、一目あった瞬間にお互い強く引き付けられ、恋の情事にいたるところだが、

シェイクスピアのジュリエットは13歳にして既に将来を見つめている。

言い換えれば、ジュリエットの方が真剣に恋をしたのかもしれない。

14行詩、いわゆるソネットで相手を試している。

ロミオの返答に全てをかけ、ジュリエットは結婚を決意するのだ。


後に炎や火薬のイメージを伴う、瞬間爆発的な愛へと発展していく。

この刹那的な愛を表現するために五日間という時間の短縮は効果的だ。


次回、ロミジュリにおける愛と結婚の悲劇についてメモを残します。


森博嗣 『すべてがFになる』

森 博嗣
すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER

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孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季。彼女の部屋からウエディング・ドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れた。偶然、島を訪れていたN大助教授・犀川創平と女子学生・西之園萌絵が、この不可思議な密室殺人に挑む。新しい形の本格ミステリィ登場。

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おもしろかったです。

有栖川有栖 『月光ゲーム』

『双頭の悪魔』 に魅せられて、順序逆ですが読みました。

学生アリスシリーズ一作目『月光ゲーム』

著者: 有栖川 有栖
タイトル: 月光ゲーム―Yの悲劇’88

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夏合宿のために矢吹山のキャンプ場へやってきた英都大学推理小説研究会の面々を、予想だにしない事態が待ち構えていた。山が噴火し、偶然一緒になった三グループの学生たちは、陸の孤島と化したキャンプ場に閉じ込められてしまったのだ。その極限状況の中、まるで月の魔力に誘われたように出没する殺人鬼! 有栖川有栖のデビュー長編。

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結論から言うと、とてもおもしろかったです。

ミステリではありますが、登場人物たちの会話に魅力があります

英都大学推理小説研究会(EMC)のメンバーに対する作者の愛情によって、

読み手までEMCのメンバーになった錯覚さえ味わえます。


僕もこのような気心知れた仲間たちで、下らないことをぐだぐだと話したり、

時には活発に活動し、苦楽を共に試練を乗り切って行きたかったものです。

学生時代無し得なかったことに対する不満を解消してくれる作品でした。


ミステリとしてはやや論理性に欠くかもしれません。

ですが、人が死ぬということは、そのようなものなのかもしれません。

嫌なものです。


今回も有栖川有栖の卓抜した語りのテクニックに引き込まれました。

この一冊、推理小説または青春文学どちらの目的でも買いです。


次回は『すべてがFになる』を読み進めたいと思います。

オトフリートプロイスラー 『クラバート』

小学校の頃、プレゼントとしてもらった本『クラバート』

著者: オトフリート=プロイスラー, ヘルベルト=ホルツィング, 中村 浩三
タイトル: クラバート

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ヴェンド人の少年3人組で村から村への浮浪生活をしていたクラバートは、

ある時から奇妙な夢を見るようになる。「シュヴァルツコルムの水車場に来い。

お前の損にはならぬだろう!」という声と止まり木に止まった11羽のカラスの夢。」

その声に従って水車場の見習となったクラバートは、昼は水車場の職人として働き、

金曜の夜には12羽目のカラスとなって、親方から魔法を習うことになる。

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美麗な表紙絵が目を引く一冊だと思います。

内容もその表紙同様に色とりどりで美しく不気味さと不安を備えたものです。


この作品はドイツの民話クラバート伝説をかき集めて、

それらをプロイスラーが一貫したプロットの元再構成した作品です。

他にも「デカ帽」など他の伝説も盛り込まれており、

また不自然さも無く、完成度の高い一つの話となっています。


この作品の素晴らしいところは愛とは何かを知ることができることです。

人を愛するってどういうことだろう、この疑問に応えてくれる本です。

異性を好きになる、誰かを好きになる、そういった次元とは違った愛があります。


小学生のときにもらって以来、何十回と数えられないほど読み返しています。

読み返すたびに新しい発見があり、実生活で実際に行動したくなります。

有栖川有栖 『双頭の悪魔』を読み終えて

ミステリを意識して読んだ初めての国内推理小説。

著者: 有栖川 有栖
タイトル: 双頭の悪魔

舞台は四国。僕がこの夏行くところということもあり、
とても興味をかきたてられる小説でした。


僕が読んできた他の推理小説と違うところがありました。
この『双頭の悪魔』には旅情があります

事件に巻き込まれるマリアが家出同然の旅をしているからでしょう、
なぜか僕も四国へ自分探しの旅に出ている気になりました


トリックについては、奇抜なものではありません。
つまり実際に起こりうる範囲で書かれていると思います。

状況がこうなら、対象となる人物がこうなら、必ずこうする。
このような論理性が一貫して見られました。


トリックがそうであったように、犯人や動機に関してもそう言えます。
何一つ矛盾やこじつけは無く、論理的な犯罪が展開されていました
そこがこの小説を一息に「読ませる」大きな原動力となるのでしょう。


優れた論理性ゆえに犯人と動機を特定する「推理」もおもしろいものでした。
僕は初心者なため、アリバイトリックなど細かいところは見事に外しましたが、
ポワロおじさんに助けてもらい、ポワロ式で犯人と動機ならば特定することができました。
地道に真相への道をたどる推理小説ならではのおもしろさがありました


論理的な犯罪でも、やはり人が不自然に死ぬというのは、非論理的だと思いました。
殺人に芸術性なんて無いと断言したくなります。

犬になりたくなかった犬、とても好きな一冊です

本日のお勧めしたい本はコレです。
『犬になりたくなかった犬』

inu
著者: ファーレイ・モウワット, 角 邦男
タイトル: 犬になりたくなかった犬
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うす汚ない雑種の駄犬が、あれよあれよという間に、みごとな才能を発揮しはじめた。
読みはじめたら笑いのとまらない数々の珍妙なできごとを、カナダの広大な自然を背景に、
思い出として語る
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妙に人間くさい犬「マット」と飼い主との生活を記録した本です。
表紙絵になっているこの犬がマットです。
頭にゴーグルをつけているのもミソなのです。

マットはひよこ等と一緒に売られていたところ、

全くの偶然によって飼い主に引き取られることとなります。

本来ならば、ここで忠犬と飼い主の愛の物語が始まるところですが、

彼らの場合、一味違った愛情溢れる物語が始まります。


どことなくスラップスティックを見ているような、のんきな雰囲気を漂わせる魅力的な文章がそうさせるのでしょう。

読んでいると思わず笑ってしまいます。

とくにおかしいわけではないのですが、やっぱりおかしい。

そういった笑い、好きです。


変な犬マットへの飾り気の無い素朴な愛情を感じ取れる作品です。

毒の無い笑いを求めている方、買いです!


文庫本は別パタンの表紙なので書店で購入される場合はお見逃し無く!

中学校時代、国語の教科書にこの文庫を挟んで読んだものです。 怒られましたがね。

ネット上でのミステリ研究会「ネトミス」の活動予定

会長と副会長に加え、新メンバーも加わり、始動し始めた「ネトミス」!

次回の例会と話し合う課題が決まりました!

記念すべき第一号は・・・

著者: 綾辻 行人
タイトル: どんどん橋、落ちた
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無理、無理……。犯人を当てるなんて!
全神経を集中して推理しても、犯人を決められない究極の中短編集
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この作品の表題作、『どんどん橋、落ちた』について謎解きと犯人当てをします。

次回の例会まで解決編を読んではいけないため、お預け状態なわけですが、

そこは「ネトミス鉄の掟」でもって自制するしだいであります。

どんな小さな表現も見逃さず、拾い集めて真相をつきとめたいものです。

結果や感想については例会後、ネタバレしない範囲で報告させていただきます。

それでは、大人のためのインターネット部活、ネットミステリー研究会「ネトミス」、

興味をもたれた方は下記ホームページを見てください!

ネットミステリー研究会「Mystereaders Net」、通称ネトミスサイトはこちら

http://www.geocities.jp/mistereaders/