今、私の中で牡蠣フライが熱い!!口の中で。

新鮮なカキのカラリと揚げたてを食べることの幸せ。

バリバリと包装紙を破くように衣を口にすれば、アツアツの牡蠣エキスが飛び出してくる。

小籠包を食べたような海スープの爆弾が美味しさの爆発を巻き起こす。

個人的には牡蠣フライにはウスターソースを衣を軽く湿らせるぐらいかけたい。

牡蠣エキスがソース気化させ美味しさの爆発力がさらに増す。

 

 

 

 

牡蠣フライに霧吹きでソースをかける人がいたら8割ぐらいの確率で私です。そっとしておいてください。

秋の寒気で身を震わせたとき、お鍋が恋しくなる合図。お久しぶりです。この冬もお世話になります

しかしながら、まだまだ冬までには時間があるので、しゃぶしゃぶなら比較的、快適にお鍋をおいしく楽しめるだろう。

牛肉や豚肉でお鍋をするには脂とアクが気になる。鶏団子だと少し物足りない。

しかし、鴨肉だとお肉としての満足感もスープをアクや脂で汚すことなく、更なるうま味をお鍋に与えてくれる。

食べやすさく、少し野性味があってもそれもまた美味し。薄く切った肉なのに口の中には十分な存在感。

 

 

 

 

少し甘辛い味付けのダシで雑炊とかしたら、あれほど嫌だった冬が今は待ち遠しくてしかたない

同じ揚げ物料理でも唐揚げとか竜田揚げとか天ぷらとかフライとか素揚げなど楽しみ方がいろいろあり、ホント日本人に生まれたことに感謝を捧げたい

個人的に脂身の少ない部位を天ぷらにしたとり天を楽しみ方を推奨したい。

それはもう、ありのままでも良し、天つゆでも良し、塩でも良し、柚子胡椒でも良し。そして、いつまでも飽きない飽きさせない美味しさ。

柔らかすぎず、硬すぎず。これぞ求めていたと気づかされる食感に衣の中からホクホクの鶏ささみが顔を出したら、もう堪らない。

 

 

 

 

とり天だけで、1週間ほどネタを書き続けらそうな気がする。

多分、とり天食べられなさそうなジレンマ付き。

汝。

健やかなるときも、病めるときも、美味しく食べれる。

喜びのときも、悲しみのときも、美味しく食べれる。

富めるときも、貧しいときも、その美味しさは変わらぬ

それゆえ愛し、なにより敬い、 おなかを慰め、消化を助け、

お鍋から溢れんばかりの真心を卵雑炊に尽くすことを誓えますか?

 

 

 

 

・・・食べながら考えてもいいでしょうか?

寸胴鍋一杯の肉団子スープを食べ続けても、私の心から愛おしさがいささかも離れないと確信している。

スープに挽肉を入れれば、コクや味の深み。何より段違いの食べ応えが加わることが素晴らしい。

朝昼夜でも、和風でも洋風でも中華風でも、いつでもどんなアレンジでも美味しく頂けるのは、これまた嬉しい。

その満足感とは裏腹に食べても太りにくいのもありがたい。少し冷える夜にアツアツで食したい。

 

 

 

 

おやつにこれが出てきても「正解!!」と言えます。声を大にして言えます。

夜遅くにラーメンを食べてはいけません。太ります。

さっとゆで上げた麺に絡むスープホクホクと湯気の誘惑がたまりませんが、油断してはならないのです。天使のような悪魔です。

一口食べてしまったが最後、塩分・でんぷん・油分の悪魔とトリオの虜となり、麺のすすり音を奏で続けるでしょう。

もはや、スープすら残すことを忘れ、喉から低音を出し尽くすことしかできないことをお許しください。

 

 

 

 

腹太鼓叩いて、演奏を終えた気になるんじゃない。

卵入り肉野菜炒めを上手に作れる人はタダモノではないと思う。ちょっとした奇跡をおこせる人扱いである。

そもそも、卵のふわふわ感を保ちつつ、野菜の水分をコントロールしながらシャキシャキ感も損なわず、お肉のジューシー具合も引き立てる。

食せば数々の野菜の噛み応えのある食感の中に卵の柔らかさとお肉の弾力性が心地よい。そして、噛めば噛むほど口の中に具材の美味しさが広がる。

それを同じお鍋の中という限定的な環境の中で、異なる食感で一つの味を作り出す。これを奇跡と呼ばずに何を奇跡と呼ぶのかと。

 

 

 

 

「ご馳走様」と同時に奇跡終了。

あまたの味噌汁の具の中で、ふ(麩)は他の具とは一味違うと個人的に考える。

野菜やお魚やお肉や穀物など彼らは己が味の存在感を味噌汁と一体化し、香りが広がり味わい深くなる一品となる。

対して、ふ(麩)はお汁の中に入ると味噌汁を取り込むことで、味噌汁風味のふ(麩)風味と味噌汁そのものと一椀の中に二品できる。そう感じるのは、私だけだろうか。(餅とかはんぺんとかもそう)

たっぷりと味噌汁をしみこんだアツアツのふ(麩)をホフホフと食べながら、味噌汁とすする。味噌汁そのものは同じなのに2つの楽しみ・異なる満足感が体の奥まで包んでくれる。

 

 

 

 

たっぷりアツアツのスープを装填したふ(麩)は凶器である。

誤ってスープをこぼそうものなら、味噌汁とふ(麩)熱さが隙を生じぬ二段構えで襲いかかる。

旅館の朝食に温泉卵がついているだけで、心震える。それはもう、温泉卵のようにプルプルと

このままチュルリと一口で食べてしまおうか、ダシとともにご飯にのせて温泉卵かけごはんにしようか、洋食ならソーセージやベーコンを黄身にくぐらせて、ダシのあっさりと黄身のコクを加えて食べるのも素晴らしい。朝カレーのお供にも是非。

普段、食べないこともあるのだろうが半熟だけでこれほど個人的評価が上がる食べ物もそうそうない。

 

 

 

 

スーパーに行くと温泉卵が売られているので、嬉しい時代だなぁと心の中で手を合わせる。

ただ、鶏が本気出して卵温めましたという光景が思い浮かぶ。本気出し過ぎ。

夏から秋へと季節が入れ替わるこの時期だからこそ、美味しく食べたい料理がある。

ナス、かぼちゃ、インゲン豆、シソの夏野菜。夏野菜は、油と相性が抜群である。しかしながら、真夏に天ぷらを美味しく食べることには限界がある。

しかしながら、夜、肌寒くすらなるこの時期だとどうだろう。夏野菜の最後の美味しさ、秋口の寒さを天ぷらのこってりとした温かさが素晴らしい相乗効果を生む

どれもサクサクながらも、野菜の身はぎっしりとかつ柔らかにそしてスッキリと爽やかな旨味が衣の油分で、野菜だけでは物足りない食べ応えを十二分に満足させてくれる。

 

 

 

 

繰り返すが今だけである。