私は、多分今でいう「毒親」に育てられた。
毎日、殴る蹴るは当たり前。
「お前は家の恥さらしだ」
「死ぬなら自殺するな、家の恥だ」などの言葉は日常だった。
昭和の終わり、高校生の頃。
まだ虐待なんて言葉は一般的ではなかった。
でも、
末っ子でかわいがられて、宿題も作文も全部親や姉にやってもらっていた母。
私にここまでする、母親は、何が不満なんだろうと思っていた。
親にこんな罵声を浴びせられて育ったとは思えないが、
何が、この人をこのような二面性を持たせるのだろうと悩んだ。
外では、「美人でハイトーンボイスで、おしゃれで素敵なお母さん」
で通っていた。
ただ、家では「疲れた」と料理をしないこともあったし
華道、茶道、フラワーアレンジメント、バレエにヨガ、社交ダンス
習い事だらけで、あちこちでかけていた。
満たされない、何があるんだろうと思っていたし、今もわからない。
私が元夫と別れる時も、元夫とマジげんかをして困った。
離婚がこじれる原因になった。
元夫も、前妻との間の子を虐待していた。
外では「穏やかで、一切けんかもしないし優しい人」だった元夫。
前妻との間の子供を殴る蹴るをし始めると止まらなかった。
初めて見た時、元夫の両親もいるのにとめないでいるのを見て
「この家はくるっている」と思った。
義母は「暴力はダメよって言ってるんだけどね」「息子は仕事は一生懸命するんだけどね」と真剣に孫をかばうことはなかった。
短い結婚生活だったが
私がいる前では、絶対に娘に暴力をふるわせなかった。
でも、娘に暴力をふるうと、そのあと抱き合って一緒にお風呂に入っていた。
シングルのベッドで二人で抱き合って寝ていた。
別に一緒にふろに入ってもいいが、中学になった娘と
虐待した時だけ風呂に入るのは、異常だと思った。
私が引き取ったのは、私が生んだ2人だけだが、その子たちが小さいときも
3か月の子供を抱っこしたのは数回だったが
泣き止まない姿をみて「俺様が抱っこしてやったのに、なんで泣くんだ」
と床に転がして、余計に泣いてしまった。
虐待事件の報道を見ると、「ありえんよね」って話している子供たちを見ていると
私はまだ、虐待を子どもにしていないんだと安心する。
手をあげることもないし、大声を出すのは一緒に歌を歌う時だけだ。
子どもに、父親と離婚した理由を話すことは多分一生ないだろう。
置いて出た、前妻との間の娘は授かり婚をして、結局父親と一緒に住んでいる。
ゆがんだ愛の形でも、親子を二人が続けているのはいいことかもしれない。
私が間に入っていたら、多分、元夫は父親失格の烙印を押されてダメ人間のままだったと思う。
私が、彼のいろいろなことを口外しないのをいいことに
調子に乗ってるなって思うこともあるが、子どもは知らないほうがいい。
対外的には立派な父親であったほうが、子どもの誇れる父親であったほうが
多分幸せなんだと思っている。
私の周りには、こじれた人があふれてる。もしかして私もこじれてる?