ご無沙汰しております、パワーカウンティです。
年末年始、いかがお過ごしでしょうか。
最近はとても便利な世の中になりました。
スマートフォンが主流になり、何か困れば携帯で事足りる事が増えました。
しかし、近頃では便利過ぎて、その裏側に何か大切なものを忘れている事に気づかされませんか?
分かりやすく言うと、便利と弱肉強食が紙一重の世の中になってきているように思います。
コンビニやショッピングセンター、至る所に点在します。
便利ですが、どれだけ幸せにしてくれるものだろうか。
考えると意外とその逆だったりするのです。
コンビニが出来ると同時に、街にあったお弁当屋さんや定食屋さんが無くなります。
ショッピングセンターも同じく、街に根付く商店が無くなる事に気づき、
なので、私はコンビニで弁当やパンを買わなくなり、定食屋さんやお弁当屋さんを利用するようになり、
ショッピングセンターに行く時は、買い物というよりも冷やかしに行く、と言った程度です。
日本経済はGDP、国内総生産を総合評価してしまいますが、果たしてこの長いものに巻かれる利己主義のような功利主義と言うか、如何なものでしょうか。
分かりやすく100を基準に考えると、こうした個人商店を含めて零細企業が50、大企業が50のもの作りをする。
それよりも、輸出が順調で110生産出来てしまえば、零細企業は0でも評価されるのです。
もっと現実に沿った解釈をすれば、大企業が急成長し裕福になる反面、生産できなくなった商店や零細企業は破産して生きていく事すらままならない、そんな状況は大した問題ではないというわけです。
過疎化が進むのは当然です。小は大に飲み込まれる傾向にあります。
パワーカウンティの法人事務所は現在アメリカのアリゾナ州にありますが、以前はロサンゼルスにありました。
昔、ウォールマートと言うディスカウントストアの起業理念が好きで、勤めたことすらある私ですが、この年になっても時々懐かしくなり、買い物に出かけたくなるのです。
全米で至るところにあるウォールマートですが、SUPER CENTERと言う24時間の何でも揃う規模のお店は、当時は車で100km以上離れた所にしかありません。
片道1時間半かけて夜行ってみました。そうしたら凄いですね。24時間のスーパーがあると思えない、人家も少なく何もない暗い所にポツンと光り輝いているのです。
もちろん、あまりお客さんも見かけません。でも思った訳です。近隣の人達は助かるだろうな、と。
私はそんなお店が好きで、往復3時間掛けても、よく行ったものですが、今は周辺に住宅も増え、家具、電話、歯医者、靴屋、不動産屋など、色々なお店が立ち並ぶようになりました。
数年間で過疎から一つの街に変わったのです。
アメリカの経済指標は、このウォールマートの売り上げを目安にするほどですが、幕張に最大級のショッピングセンターを作る日本の大企業とは大きく異なる点です。
長いものに巻かれ易いのは日本人の特徴をついた経営は私はあまり好きではありません。
大は小を兼ねるようなイメージからか、NO1とか最大級とか言うセリフが売り文句が大好きですが、いかにも「力づくの経営」と言った感じが私にはとっつきにくい。
ただ、この「力づく」に対抗するエネルギーも相当なもの、と言うのも実際のところでしょうか、個人経営を圧迫してでもGDPを重視した世の中でもあります。
先日、「日本からFORD撤退」のニュースが流れました。私にはある意味では当然のこと、と思います。
問題は車か、経営方針か。
以前、フォード ジャパンとは日米の車に関する対応について、何度か協議をしたことがあります。USA FORDとFORD JAPANの間に立って話を繋げた事がありますが、最終的に両間の窓口になってくれないか?と言われたことがあります。
連携プレーなど存在しないと言った感じ。フォード ジャパンのそれなりの人と話をしてもF150も知らない、国土交通省様と言ってしまう人達です。
「様」を付ける相手を間違っている。納税するのは国民だと言う事です。米国の自動車について、もっと理解を求めようとする人達ではなかった。
完全に人選ミスといった感じ。
ヨーロッパはヨーロッパの基準、アメリカはアメリカの基準を持っています。日本の自動車に関する規制は、保安基準も含めて欧州から取り入れています。
つまりアメリカから自動車を輸入するには、ヨーロッパの基準に合わせろ、と言う訳です。
多くの規制をクリアするために試験を受けざるを得ないのですが、コストをかけても、安全基準にしてもどうも排他的な対応で不許可となるケースが多々あります。
時には、ボディを削って丸くしなさい、と言うレベルですから、容易ではない。特に2020年にはこの風潮が大きくなります。
ヨーロッパは丸いデザインが好きですからこうした基準をいとも簡単に決定してしまいますが、他民族国家のアメリカで画一的なデザインでは事足りないし、自由なデザインだからこそ米国車を欲しがる人も多いのに、デザインもへったくれもあったものではない。
日本の陸運局側では鋭利なナンバーを取り付けさせているにも関わらずです。
そういう意味では、FORD JAPAMも人選を誤まった早い段階で撤退は分かっていたのは私だけではありません。米国車好きで勤めていた人でさえ、見限ったレベルだったのです。
それに比べ、アメリカのマツダは逆と言ってよいでしょう。
マツダには悪いですが、実力以上の結果をアメリカで残しているその理由は、MAZDA MAFIA(マツダ マフィア)と言われる人達の貢献があったとされています。
以前はWHY MAZDA(何故マツダなの?)と言う言葉を耳にした。そう聞かれると確かに、何故って存在しているんだろう?
それほど彼らの営業戦略は飛び抜けていた訳です。マツダも米国からこんなに恩恵を受けるとは思ってもみなかったことでしょう。
ただ、完全にフォードと切り離された瞬間から、これ以上を維持する事が出来るのか、今度はマツダの正念場が始まります。
要は車自体はあまり問題ではない、と言う事です。弱小であれば弱小であるほど、長いものに太刀打ちするエネルギーがなければ、飲み込まれてしまいます。
「力づく」の取り引きは、販売側-顧客側、大-小、民間-国家で行われていますが、日本にこうした「力づく」の強引な文化が根強く、強引な人達が多いのは単一民族の特徴かもしれませんが、
そういう人達を切り離せる強い意志もこれからの時代では必要ではないでしょうか。
大は小を兼ねない。小があって大が為せると思えば、小さい人達を大切にしていきたいと思う今日この頃です。
今後ともよろしくお願い申し上げます。