はれ ときどき 認知症

はれ ときどき 認知症

若年性アルツハイマー型認知症にかかり、63歳にして旅立った父。
施設や病院のことなど、向き合い、模索することばかりの病気と向き合い続けた4人家族のおはなし。

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手術を受けたのは2017年8月22日

約9ヶ月前の話です!



すっかり創部もきれいになりましたよウインク



ちょっと凹んでますけど。笑

毛が傷のところは生えませんけど。笑


かなり疼痛も良くなり、たまに髪の毛が顔に触れて条件反射的に?痛いときはありますけど…


でも三叉神経痛の痛みとか、つらさはない!!!ラブラブラブラブ


薬で苦しんだ時間が長かったけど、これも成功したからよかったー!って思うわけだし、支えてくれた家族がいたからこそですニコニコドキドキドキドキ

特に相棒のママンには感謝。
あのICUにいたときのママンがいるだけでも安心する存在感というか、母親の偉大さは、本当に苦しかったけど支えになってました。

存在が支え。


いつまでも忘れないようにしないとですね
音譜音譜
だいぶ創部もきれいになってきました♡

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多分、夏だし暑くてしかも、髪が長いから蒸して膿んでいたのかな??って感じですが、おかげさまでS字に切ったカーブ部分以外は良くなってきました!!!

毛根がまだ全く機能していないから、生えてくる髪はスルスル抜けてますけど。笑


まだ痛いこともあるけど、体調はかなり良くなってきました!!!💕


ほんと、こうして手術後に元気に経過報告をしてると、手術してよかった!って思います。

本当にツラかったけど、でもなんてことない!!少しの辛抱でずぅーっとこの快適が続くなら問題ない💕


早く髪が伸びないかなー?なんで今ではそんなくらいの悩みしかないですヽ(´▽`)/おかげさま。


今回支えてくれた母、妹。
叔母や友人。
職場の仲間。みんながいてくれたからです。

おかげさまで、わたしげんきです💕


ありがとう!
創部の疼痛がなかなかまだ引かず。。。


でも少しカサブタが取れてきました!

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すごいヘタな写真。笑
妹撮影です。苦笑

手術中に固定するために押さえつけたであろう耳の裏もまだ痛い。

これ、いつまで続くのかなぁー


深い傷のところはまだなかなか掘れててカサブタはとれません。


はやく綺麗に完治してほしいものです!!

父もわたしたちも大好きな華正樓の肉まんを買って、みんなでスパークリングワイン開けて


ん?変な組み合わせ。笑


昨日食べました(*´∀`*)

お正月といえば必ず華正樓の肉まんを買ってみんなで食べていたので、月命日には度々買ってました♪


最近私がグルテンフリーダイエットしてたから食べてなかったけど。笑笑


もうすぐ父の遺骨が散骨のために引き取られ、パウダー状になります。


父が旅立ったのが2016年11月26日


早いものでもうすぐ1年が過ぎます。
私が三叉神経痛だったので寒いのは苦手、風が辛いことなど、諸々の理由で散骨は先延ばしになっていましたが、もうすぐです。


遺骨がうちにずっとありましたが、きっと父も入院が5年も続いたけど、家に帰ってきてゆっくりできたのでは?!


と思っています。


手元供養のことも話し合いの末、最初は残すつもりでしたがやめました。


でも、手元供養をしないからってそれはそれで悪いとも思いません。


というか、自由人だった父にとっては、間違いなく大海原を旅する方がいいですし、

わたしたちも、何かと海に縁がある場所にいることもあり。


命日辺りには、父を偲んで旅行やおでかけをすることで、充分なんじゃないかって。


時々父に所縁のある場所へ出かけては楽しく過ごしています。


人の命には限りがあります。

でも、よく言う陳腐な言葉にしちゃうと、
いつも魂はそばにいるんだと思います。


きっと家族にいっつも寄り添ってると思います。


もうすぐ戻ってきたお家からおでかけ。
でも寂しがりやさんだから、きっと私たちの近くでいつも見守っててくれてると思います。


散骨が終わったらまた、散骨についても書いていきます(^^)
昨日でちょうど術後1ヶ月ということで、病院に行ってきました!

とにかくカサブタが痒くて痒くて!!

と思って先生に見せたら。


思いの外傷口の治りが悪い。
そう言われてしまいました( ;  ; )

え?!みんなこんなもんじゃないの?!
と思いましたが、みんな1ヶ月とかすればかなり綺麗になってると言われ。。

結局ゲンタマイシンを処方してもらって再度1ヶ月後頃に通院して傷口の経過を見たいと言われました( ;  ; )

あーあ。
カサブタは自然に取れるまで我慢しろと仰せ。笑笑
耐えられる気がしませんw


たしかにS字に切った曲がったところあたりのカサブタとかすごい深そうで、取ったら絶対血が出るなって思っていたので。。

まぁ仕方ないー。
とにかく乾かないように、薬をたくさん塗るように言われました!!!


みんなどれくらいで治るのかしら。
ってか治ったーって思うのはカサブタが取れたらなのかなー??


疑問です(´⊙ω⊙`)


今日でまだこんな感じです!
グロいのやだーって人は見ないでくださいw
↓↓↓




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薬塗ったから膿みたいなのついてて気持ち悪い。笑
抜鈎翌日にわたしは急遽退院しました。


手術をしたのが22日。
抜鈎は29日。


たった10日しか入院していなかったけど、半分は辛かったので、もっともっと長い時間病床にいた気がします。
特にほんとにICUではすぐ目が覚めて1日が長くて長くてしょうがなかった。。。


とりあえず、退院許可が降りてからは特に何かの制限もあるわけでもなく、とりあえず嬉しかったのは、大好きなグレープフルーツとオレンジが問題なく摂れること!!!


テグレトールの副作用が強まるから!という理由からグレープフルーツは避けるように言われていたこと。そして、なぜかわたしはオレンジを食べると、嘔吐や呼吸が浅くなったり熱が出たため、オレンジも食べれなかった。。(´;ω;`)

薬剤師さんに相談したら、稀にそういう人もいるから避けてくださいとのこと。。

ちなみに、レモン、カボスや柚子などは平気でした。


柑橘系好きとしてはつらいテグレトールも、術後3日もしたら投薬中止♪


よかったよかった!!!


ちなみに、顔の痛みについてですが。


違和感はあります。
わたしは気圧の変化で意識が朦朧として髪が顔に触れるだけで痛みが出ていましたが、ちょうど退院するときの台風。。

そもそも台風が来てることに気付かないほどだったので、本当に完治した!と思いました。


台風が発生して地図に出る頃にはいつも気圧の変化や意識で、あ。台風がきた。
とか、天気悪くなるな。

とか。顔面天気予報が出来てました。笑い事みたいですけど、わたしにとっては、笑い事ではなく、痛みと戦う日々でした。


でも、台風にも気付かず、多少

あ。手術前だったらここ痛いな今。
みたいななんとなーくの違和感がありますが。


違和感程度です。
きっと消えるんだろうと信じています。


疼痛も、さすがに退院して1週間は体力もないし、結構カロナールにお世話になってました。

物凄い頭が痛くなったり、起き上がれなかったり。

でも、最近は痛み止めにも頼ることなく、体力も戻ってきて元気になって来た感じが自分でもします。


首があまりつれて回せないこと。
首に力が入ると、ちょっとまだ創部が痛いことくらいかなー。。。


つい1週間前まで落ちたものを拾うこともできなかったのに。苦笑


起き上がるのに首を支えてあげないと痛かったり、枕を高くしないと痛かったり、諸々ありますが、、、


とても今


傷口が痒いです!!!笑

ついつい、、
ついつい、、、かさぶたを取りたくなりますが我慢。。

S字に切った、ちょうど曲がるところ辺りが大きなかさぶたで。。
さすがにそこは怖くて取ろうなんて思わないけど、でも痒くて。。笑



次の通院の時にかさぶたについて聞いてみよーっと!

包帯取った後はこんな感じでしたー
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ぎゃーグロいw

そして耳の後ろが痛い!!!というのも、頭を手術中に押さえてもらうわけで、その部分だったのでしょう。。左右耳の後ろあたりがすんごい痛い!!!

傷口は当たり前ですけど、そんな痛くないです!
ホチキスが痛々しく感じますけどね。笑笑


とにかく、押さえてた箇所の痛みは思いのほか痛くて。。。シャンプーを母がやってくれたのですが、洗う指が少し触れても痛いです。
ちなみにもう退院して二週間弱ですが、まだ耳の後ろ痛いです(°_°)


手術がどんなものか、初だったのでなんとも分からなかったのですが、色々と痛みやら生活の不便は続きます。。


抜鈎してもらったとはこちら!

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ホチキスの針のあとがあるぅー!!!笑笑


抜鈎痛かったです。笑笑

若い先生が来てはずしてくれたのですが、わたしが

外すの痛いですか??(°_°)

と尋ねたら、、、



僕はやられたことないから分からないです笑笑!

おいーー!!!笑笑
ごもっともだわ!!と思ったら、


んじゃ、痛いか教えてください!とりあえず取ってみますねー!

といってひとつ。



いてぇ!w


と言って感想を述べたら


んじゃーとりますねぇー。とか言いながらすんごい勢いで取るわ取るわ!!!w
痛い痛い!!!でも一個一個取ってたら苦痛だったから、勢いあってよかったのかもしれないけど。。。。泣


記念にひとついただきました。


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ラッキーナンバーは3にしようと思いました。笑

何も合併症も後遺症もなーーーんにもなく終わった手術。もちろん、素晴らしい先生のことは信用していましたが、

わたしはとても運がない方なので。笑


運が悪い方だったので、とにかく自分の運の無さだけが不安要素でした。


でも、今こうして順調に過ごせていることに、感謝しかないですね。。


毎日支えてくれた母

忙しい合間を縫って来てくれた妹

心配性な父もきっと、天国から見守っててくれてました。

そして執刀医の先生、主治医の先生、サポートしてくださった先生方、たくさん助けてくれた看護師さんたち。


感謝です。


病棟に戻る時は車椅子予定でした。


しかーーし。結局体調が悪いことから車椅子にさえ座れずベッドのままで運ばれる。


あぁ病棟に戻る前にCTとMRI受けたっけなー
なんて今になって思い出した。。


重いし、背の高い私なのでCTとMRIどちらも乗せるの大変だろうなーと申し訳ない気持ちになりつつとにかくなすがまま。


痛みもあるのに、検査で動かないでください!
はツライなーと思った受けた記憶がある。

そして、MRIでは何かあったときにナースコールのようなものを握れと言われたが、


無理です!
手が腫れて力も入らずとにかく握れない!
右に点滴二箇所はいってて、左も点滴の針。
点滴嫌いだからもう耐えた難い!


そんなこんなでMRI中気持悪かったけどとにかく我慢し続けた。。



検査が終って病室へ。


病棟では2人部屋で窓側。お化粧室もあるし近いから有り難かった( ´∀`)


でも、なんせ手術日翌日も全身麻酔の副作用からか、吐き気が治らずにご飯は食べれず。。

手術の翌々日に朝、ほんのすこーーーしパンをかじって終わり。

お昼もすこーーーし食べただけ。


食欲は戻らない、ICUにいた時に、左から点滴を入れていた手が点滴漏れで手が晴れ上がり痛くて指先第一関節を使うので精一杯だったこともあり、尿管も外してもらえていなかった(°_°)


最初の予定では2日目には尿管も外す予定だったのに!


そして熱がなかなか下がらない。


ICUにいた時は血圧も高いから、血圧下げる点滴をギリギリまで使い続けていた。。
ほんと点滴漏れ痛かった。。。


創部の痛み、頭痛、頭を下げたり(歯を磨いた口ゆすぎも洗面台ではできなかった)
熱やらもーーーほんとーにツラかった。



病棟に戻っても熱は続いたけど、
結局劇的に楽になったのは、包帯を外してもらってからだった。


オペ室の入り口が開いた。

わたしはてっきりそもそも、ストレッチャー的なのに乗せて運ばれるんだと思っていたら、歩いてそして自分の足で手術台に乗ることも知らない初心者の患者。


とにかく広いスペースの中央に手術台。

たくさんの先生がいわゆる手術着を着て準備をしていた。。


狭い手術に寝て、早速準備が始まる。

麻酔科の先生による麻酔の点滴や、口元からの麻酔の準備を着々と進める。


主治医の先生から、声をかけてもらった。
大丈夫ですかー?心配しないでくださいねー。

とか、確かそんな感じだった気がする。


当初左手に麻酔をするはずだったが、血管が左はとっても見つかりにくく、結局右手から点滴。


グイグイ針を入れられて、

いってーな!!!とか思っているうちに手から麻酔。
そして口元からも麻酔。
鼻呼吸しなきゃ!!なーーんて意識をして4回くらい深呼吸したら、もう意識はなかった。


というか、3回目までしかカウントをした覚えがなかったんだけど。。。






大きな声で名前が聴こえる。

○○さーん!!終わりましたよー!



目を開けた。
目を開けたときに最初に思ったのは、

あぁ無事に終わったんだ、名前を呼ぶ先生の声がとてもハッキリしていたから、きっと一発で起きたなー。

なーんて感じのことを思ったことを憶えている。



ここはどこだか分かりますか?
お名前を教えてください。


できるだけハッキリ答えたつもりだったが、物凄い頭の痛みを徐々に感じ。


痛い!!!!!こんなに痛いのか!!!


とそう思いながら、手術室からICUに運ばれたんだっけな。。いや、そのままCTとMRIに連れていかれたんだったかな。。

とにかく記憶は正直曖昧。


記憶にあるのは、ベッドで運ばれているときにひたすら気持ち悪くなったこと、そしてとにかく痛いこと。。。


順序は記憶にないけど、ICUに戻ったときに、母と妹、そして叔母がかけつけてくれ、そばに居てくれたことがとにかく、本当に心強く感じたことでした。


存在が心強い。

本当にその言葉に尽きます。



左側の手術だったこともあり、ICUに戻ったときからひたすら顔が右側向きになってしまうことがとにかく弊害というかーー

頭をおさえていた部分を圧迫する寝方になってしまい、頭は痛いし、耳は痛いし、とにかく切ってもらったところは痛い。
そして肩こり。体勢だけでもつらかったけど、


とにかく、全身麻酔の副作用?の嘔吐には苦しめられた。
身体が床擦れしないようにと2時間おきに体の向きを変えられるたびにひたすら吐きまくった。。

まさかの2日間吐いていた。
さらには外科熱で、とにかく寒気と熱いを繰り返して39度近い熱を何度もなんども繰り返す。。最悪だった。

熱は結局丸5日間で続けた(°_°)


ICUでは寝ても長くて2時間しか寝られず、ひどいと寝たつもりでも5分しか経っていないこともあった。。


情けないとか
ほんと関係なくとにかく、この熱と嘔吐に痛みはつらかったけど、

一生の中でたった数日の苦しみだからがんばろう!

と、ひたすら自分に言い聞かせていた。


次の日には起き上がれるとは言われたものの、結局体調も悪いことから、尿管も抜いてもらえず、そして車椅子に座る練習ってことで約30分座っているだけで疲れて疲れて。


たったICUにいたのは2泊だけだったが、すごく長く辛い時間で時が経つのが遅く感じた。。。



肝心の三叉神経痛については、なんの痛みも感じなくなっていた。

痺れや痙攣はないかと聞かれたが、奇跡的に何もなかった。
主治医の先生たちが代わる代わる様子を聞きにきてくれたとき、とにかくなぜか先生の前だと


大丈夫です!!とか言いたくなる。。笑
それでも外科熱と嘔吐はさすがにつらいと言ったけど。。



手術の翌日の夜、気持ち悪さが少し引いたこともあり、夕食を食べてみることに。



(°_°)!!!え?白米?!笑笑


てっきり、重湯からとかほんと、強烈なごはんを予想してたから、まさかの普通食だったことには驚きを隠せなかった。。


頭の手術だからかー。
ただそう思うしかなかった。



ただ、やはり気持ち悪く、結局ほぼ食べれず2日間、吐くだけの胃はからっぽだった。
検査入院から1ヶ月後の8月後半。
手術の2日前からいよいよ入院です。

入院した日にも、CTをたくさん撮り、手術の前日も様々な方向から頭部のCTを撮り。。
バタバタと過ごしていました。

前日夕方、執刀してくださる先生からの説明を受け、もちろんリスクや完治する確率などを聞かされます。

切ったからと言って必ず治るとは言えないことや、そもそも原因が違うこともないわけじゃないなど。。。


母と妹と3人で話を聴き、わたしはひたすら

すでにまな板の上の鯉だなーとサラッと聞いていました。


何ヶ月も前にすでに覚悟していたので、今更ひっくり返すつもりもなく、委ねようとしか思いませんでした。


何度もこの手術の方法やらは聞いてきたけど、結局前日の説明も、特に聴きたいことも残らず、淡々と聞いておしまいでした。

前日は、オペに立ち会ってくださる先生からの様々な輸血の同意や諸々の書類や承諾書のサイン。
麻酔科の先生による質問や診察。
手術の同意書の説明を受けてはひたすらサインをして、ようやく

あぁ、わたしすごくたくさんのリスクも背負って手術に挑むんだ。。

って実感がようやく湧いてきました。
緊張も特になかったけど、漠然と明日オペ終わって目が覚めたときどんな感じなんだろう。。。ってひたすら考えては、大切な人たちにLINEしたりしながら、前夜をすごしました。。

オペ前日は、夕食は19時までならOKということで、てっきり絶食ぐらいの感じで覚悟してたけど、そんなもんなのね?!と思いました。

お水は当日の5時まで飲めるらしく、朝も早起きしてお水を飲んで、6時に薬を飲んで。

8時にオペ室へ。。

緊張はなかったものの、なんとなーくお水と薬の時間が気になって眠りが浅かったなー

当日はT字帯なるものをつけて(°_°)
病院の浴衣に着替え、髪を束ねてオペ室へ。

目が悪いわたしにとって、ぼんやりでしたが。。

とにかく広い。
とにかく明るい。
とにかく清潔そう。

そんな印象のオペ室入り口で、若い先生がひたすら話しかけて、きっと緊張をほぐそうとしてくれる。

うん、全く当日の朝も実感ないし緊張してませんw
でも親切心からの先生の会話にノリつつ、同室の女の子はオペ前からリバースしちゃったりと、かなり緊張??なのか。。なんだかツラそうで。。


なーんて見てたら、家族とオペ前最後の挨拶。

傷無しのあたしは最後だよー!
なーんて冗談をかわしつつ行ってきます!と言って、1番奥のオペ室、、、確か6番だったかな。。


いざ入室。