今英国では、13歳と14歳という二人の子供による殺人の裁判が話題になっている。
事件が起きたのは2014年の暮れのことだが、裁判で判決がでたのが、おとといだったのである。
今15歳になっている二人の少女たちに下された判決は、「終身刑」。どんなに短くとも、15年は出てくることができないという厳しいものだった。
この事件は、二つの特異な要素があって注目を集めている。
ひとつはもちろん、少女たちの年齢である。
もうひとつは、事件の後裁判が始まってから、裁判所による報道規制が行われたことである。規制勧告というよりも、メディアによるこの事件の報道が事実上禁止されていたのである。
なぜか。
事件発覚の際の世間の騒ぎである。 あっというまにメディアの持つフェイスブックに市民が我先にと自分の意見を載せたのである。それは瞬く間にひろまり、炎上し、悪意あるコメントはまるで集団リンチの様相を呈した、というのである。これではフェアな審議はできないとして、一回目の裁判は中止された。そして、やり直しの裁判で判決がでるまでは、この事件は報道が事実上できなくなったのである。
裁判を監督していたサー・ヘンリー・グローブは、「これではまるで、バーチャル・リンチに等しく、公正な裁判を執り行うことが不可能だ」と発言した。
イギリスは古くから陪審員制度で裁判を行っており、彼らの判断に悪影響を与えかねないフェイスブックのコメントやツイッター、その他のソーシャルメディアによる偏見と悪意のある情報を心配したのである。
インターネット上に載せるニュースからコメント欄をすべて閉じ、ソーシャルメディアへのリンクをとりさることからはじまり、最終的には報道自体の規制へと展開した。
このブログでも度々ソーシャルメディアの功罪について書いてきたが、そこでやり取りされる無責任な誹謗中傷が原因で、新聞やテレビニュースなどの報道規制にまでいたることは珍しいのではないか。
もちろん、BBCや新聞記者などは、透明性のある裁判と国民の知る権利を主張して、報道規制の解除を求め続けてきた。しかし、裁判所は頑としてそれをゆずらなかったのである。1回目の裁判は中止され、改めて行うこととされた。サー・グローブは、前回の英国を震撼させた少年二人による殺人事件にもかかわっていたから、その事件の際の反省もあるだろうが、メディアが事件を報道できるまで、裁判所との7ヶ月のバトルがあった、というのである。
BBCやガーディアン、タイムズ、インデペンデントなどの大手の新聞社が法的な抗議をしたが、聞き入れられず、報道規制は徹底された。今年2月にはじめて、「メディアはこの事件の報道可。しかしコメント欄は設けず、またソーシャルメディアでの記事は不可」という決定がされ、7ヶ月にわたる報道規制がとかれた。
フェイスブックやツイッターを利用するのはいまや個人だけではない。報道メディア、企業、大使館までが利用している。そこには一般個人がさまざまなコメントを残すことができ、こちらに関してはおおむねノーチェックである。それは一個人が自由に意見を言えるという利点もあるが、無責任で感情的なコメントを防ぐことができないという弱点もあろう。
今回、テレビ局や新聞社といった、オフィシャルなメディアにまで事件の報道が規制されたのは、ソーシャルメディアで一般市民が大騒ぎした結果であり、それを法が規制しなければならなくなったからである。実際には一般市民のソーシャルメディアで交わす言葉を規制することはほぼ不可能であり、結果、報道を規制せざるを得なくなってしまった。国民の知る権利、そして裁判の透明性とオープン性を犯す結果となってしまったのである。
ソーシャルメディアという道具を手に入れた市民の良識が問われる事例は、日本でも良く起こるのである。報道規制にまで発展してしまった今回の事件については我々一般市民も反省を持ってよく考える必要があるだろう。
そして今回の事件のソーシャルメディアのかかわる問題、もうひとつは、犯人の少女たちである。彼女らも、ソーシャルメディアにどっぷりつかっており、自らが犯した殺人という犯行の途中に携帯電話で記録し、ソーシャルメディアに公開していたというのである。(下は顔にあざや傷がみえる犠牲者)
(Source:BBC)
イギリスではこれまでも、年若い未成年者による殺人事件に対し、日本に比べてかなり厳しい姿勢で判決を下してきた。
古くは(1968年)、メアリー・ベル事件である。11歳の彼女は、3歳と4歳の男児を殺した罪に問われて服役、12年後に出所した。山岸涼子の作品で「悪夢」というのはこの事件をもとに書かれたといわれている。しかし、この事件は実名で報道されたため、出所した彼女は名前を変えて暮らしている。
比較的最近では(1993年)10歳の少年二人が、2歳の男の子をショッピングモールから誘拐、殴打して殺害したあと線路上に放置するという事件が起こっている。この事件では10年の判決にマスコミが猛反発し、署名をあつめて法務大臣に送り、少年らは最低でも15年の終身刑の判決を受けた。これはのちに高等法院により「違憲」とされ、少年らは実質8年で釈放された。
この事件では、英国法務省は事件が世間に与えた重大性や世間の要求を鑑みて、二人の少年の顔写真・経歴・本名の公開を許可し、裁判が終わると加害少年2名の写真まで公開した。今、世の中にでまわっている二人の顔写真は、逮捕後警察で撮られたものである。
彼らは、他の未成年者の裁判と違い、両親の隣に座ることは許されず、成人と同じように1人で被告人席に傍聴席と向き合って座らされたが、脇にはソーシャルワーカーが待機していた。
裁判では、両少年の家庭環境による情状酌量はなされなかったが、二人とも悲惨な生育歴であった。ひとりは7人兄弟の末子で、母親は重度のアルコール中毒、父親もアル中の上、母親や子供たちに暴力を振るったり性的虐待を繰り返すような男で、少年が5歳の時に蒸発していた。かれは兄弟からも暴力を受け、保護施設のケアを受けたりしていた。
またもう一人の少年は兄弟全員が学習障害を抱え、離婚した両親の間を行き来する生活をしていた。母親は子供を放置して留守をしたりネグレクトのため警察のリストにのる家庭だった。少年は鬱の症状が強く、自殺の危険性があるという記録が残っている。
しかし、裁判では、両少年のような家庭環境は、イギリスの最貧困層の多い地域では珍しくないものであり、情状酌量の余地はないと判断されたのだろう。
当初「15年以上」とされた刑期は8年に短縮され、釈放された二人は新しい名前と身分を手に入れた。彼らが新しい人生を歩むにあたって、大変な額の公費が使われたという。この二人の現在に関する報道は禁止されているという。
さて、一昨日の報道では、13歳と14歳の二人の殺人者に対して、「終身刑」つまり、最短でも15年以上という厳しい判決がでた。
社会に与える衝撃の強さと、5時間以上にわたり被害者に100箇所以上の怪我を与えて殺害した、という残忍さは、たとえ未成年といえども重い罪を償わなくてはいけないということである。
この二人の少女たちの詳細は、報道されていないが、「ケア」、つまり社会的養護を受けていた子供たちだというのである。
なんらかの事情があって、養護施設あるいは、里親に預けられていた子供たちなのである。
被害者もまた、アルコール中毒を持つ、「脆弱な」と表現されており、知的なハンディキャップをもつ女性であったようだ。
加害者たちは、この被害者の家にちょくちょく遊びにいき、タバコやお酒を買ってもらっていたようである。そして、加害者宅には、近所のアンチソーシャル(反社会的)な行動をとりがちな未成年が、たまりばのようにして集まっていたようである。
そんな女性に対し、凶行を働いた少女ふたりは、女性を殺害した後、未明に警察に電話をかけて、パトカーをタクシー代わりにして、家に帰ったそうである。
警察は、深夜帰宅しないため、捜索願のでていた少女二人を送り届けたさいに、二人の服についていた大量の血痕に気がつかなかった、という。
「二人はジョークをいったり、笑ったりしていたので、車の後ろに乗せて、そのままつれて帰った」ということである。
こういう事件を、子供が起こしてしまったとき、いったい我々はどうやって理解すればいいのであろうか。
共通するのは、どの子供もすさんだ家庭環境で育っているということである。冒頭のメアリー・ベルも、出所後彼女の書いた自伝によると、母親は売春婦で薬物中毒、子供には興味を示さない母親だったということである。10歳の殺人者の少年たちの家庭環境も、しかり。
今回の13歳と14歳の少女がどちらも社会的養護を受けている最中だということも、子供には適さない家庭環境からケアにうつされていたということであろう。
今回の殺人で、被害者の顔と頭部には、70箇所以上の傷があったという。全身に刺し傷が71箇所、打撲が54箇所、攻撃をふせごうとして、手と手首に22箇所の傷、指の骨は3箇所折れていたという。
5時間も障がいのある女性を暴行し続けることのできる心理とはいったいなんだろうか。またそれを写真にとって、ソーシャルメディアに載せるという心理は?
少ない情報の中、マスコミが報道できることは限られているが、我々が欲しい情報は、「なぜ?」ということなのである。
少女たちが、なぜこのような残忍な犯行に及ぶことになってしまったのか。
たんに、彼女らがモンスターだから社会から隔離した方が良いということだけではなく、どうやったらこれを予防することができていたのか、それを考えなくてはならない。なぜそんなモンスターが育ってしまったかを分析することこそが、次の事件を予防するためには一番大事なのである。
ニュースでは、ソーシャル・ワーカーが意見を聞かれていた。
「少女たちは、ケア(社会的養護)を受けていたというではないですか。自由に他人の家に入り浸り、タバコをすったり、酒を飲んだりしているようでは、ケアとはいえない」という質問に、ソーシャル・ワーカーは苦しそうに答えていた。 「でも、我々の社会では、子供たちを部屋の中に閉じ込めておくことはできないんです。 それに、社会的ケアが必要な子供たちは、もうすでに、家庭の中で重大なダメージを受けてしまっている子供たちなんです・・・」
質問したアナウンサーは、その答えに納得していないように見えたが、私にはソーシャル・ワーカーの苦悶が見えた。
そう。
遅すぎたのだ。
こういう子達は、すさんだ家庭の中で、親やそのパートナーによる虐待やネグレクト、性的搾取を受け続け、そのダメージは、親との分離後に数年間社会的ケアを受けたぐらいではもう取り戻せないものなのだろう。
生れ落ちた時から、親の無関心にさらされ、すこし大きくなればじゃまにされたり暴力をふるわれたり、ひもじい思いをさせられたり、父親や母親のボーイフレンドにレイプされたり。
きっと、人に愛された実感なんて無いままに育ってきた子供たちなのではないか。暴力だけを学習し、愛することを学ばなかった子供たち。
「家庭環境が不適切で、親との愛着関係を築けなかった子供は、攻撃を自分や他人に向けます」と、児童心理学者はインタビューで答えていた。
攻撃を自分に向けてしまって、自傷行為や自殺に終わるか、攻撃を他人に向けて傷害事件や殺人を犯すか・・・。
人に対して愛情どころか、同情心も、エンパシー(痛みなどへの共感)ももてないモンスターにそだててしまったら、もうそのダメージは取り返しがつかないのかもしれない。
もちろん、虐待やネグレクトという劣悪な家庭環境をサバイブし、自他に対する攻撃性を高めないで、まっとうな人生を送る人たちも数多くいるのである。
しかし、リジリエンスが低い、弱い人間は、いつしかモンスターになって、他人も自分も破滅に追いやる・・・。
悲惨な生育歴で育つ子供たちが将来的に起こす反社会的な行動や、犯罪。裁判や、少年院、あるいは監獄への収監にかかる費用。またまともな職につけないために支払うことのない税金や、生活保護などの社会保障費を考えると、彼らが子供のときに、もっと公費をつかって支援をしておいた方が、経済効果的にもずーっと良いような気がするのだが、どうだろうか。
10歳までの子供を大切にしない社会は、それを過ぎた子供たちからしかえしをされる、といわれている。 親もそうだが、社会も子供の育ちに責任を持つべきだろう。
貧富の広がりいく先進国で、暗い影の部分を見ないようにして人生の楽しみを謳歌する人たちがいる。 膨大な資産をタックスヘイヴンに隠し持っているような人たちがいる反面、汚物にまみれるようにして生活する子供たちもいる。
ソーシャルメディアで「バーチャル・リンチ」を起こした人たちは、一部の子供たちの育つ悲惨な実態を知っているのだろうか。また、ソーシャル・ワーカーたちの苦労と、低賃金を知っているのだろうか。
この少女達も、きっと15年しないうちに釈放されるだろう。
その時に、「社会の脅威」ではなくなっているという保障はない。
「反省」をして出所する保障はないのだ。
なによりも命を奪われてしまった犠牲者は、もう帰ってこないのである。
(Source:BBC)
(Source:BBC)
