あの日から7年が過ぎました。

 

もう7年なのか…

まだ7年なのか…

 

ニュースで特集された震災の番組。

あの日の津波の様子を

7年ぶりに見ました。

 

2011年3月11日

あの日、盛岡に住んでいた私は

電気も暖房もない家の中で

ピンカと夫と布団にくるまり

暗くなっていく窓の外を眺めて

何がおきているのか知る術もない状態で

過ごしていました。

 

車のカーテレビなら点くかも…と

小雪舞う闇の中、外へ。

小さなカーテレビで見たものは

押し流される家々、車。

 

えっ、何?

何が起こっているの?

この地震は全国的なものなの?

津波が起きているのはどこ?

 

ガソリンを無駄にしてはいけないと、

早々にテレビを消しました。

 

あの日以来、

津波を…

震災の様子を…

見ることを避けてきました。

一度、たまたま目に入った瞬間

暗闇で見たカーテレビの様子が思い出されて

吐いてしまったから。

 

でも今年は

見なくてはいけない。

この記憶が薄れてはいけない。

と思いました。

 

見れる限りの番組を見ました。

 

あの日の私の部屋です。


扉という扉は全て開き、中のものが床に散乱。

手前のボックスは向きが変わっていました。

 

 

机の上のものも横倒し。

 

書斎。

写真には写っていませんが、

向かって右側にも本棚があり、

そこの本は落ち、

軽めの棚は向きが変わり、

上に乗せておいたプリンターや

デスクトップのオパソコンは落ちていました。

 

 

被災直後は、すぐに食べれる物は

なかなか手に入りませんでした。

あちこちのスーパーを梯子して、

まだまだ雪の降る中で並びました。

比較的どこのスーパーでも残っていたのが

パン粉・片栗粉でした。

 

震災から一週間。

 

その時購入した2袋のパン粉を使ってパンケーキを作りました。

 

 

我が家は内陸部でしたので

被害は少なかったです。

 

ただ、私が幼少の頃から夏を過ごしたあの海は

姿を変えてしまいました。

高校生の頃、マラソンをしたあの海沿いの町は

無くなってしまいました。

あの市場の優しく楽しい人たちは…

一緒に走った人たちは…

 

でも悲しんでばかりいてはいけないのだと。

前を向いている人たちが

新しい街を作っている人たちが

いるのだから。

 

そんな思いで、今日を過ごしました。

 

 

未だ行方不明の方々がたくさんいます。

仮設住宅で暮らされている方々がたくさんいます。

そのことを忘れないでください。

 

震災で亡くなられた方々、そして動物たち、

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

退院祝いのコメントやメッセージ
ありがとうございましたおねがい
 
皆様からの祝福をいただいて
ピンカは幸せ者でございますハート
本当に本当に大感謝ですにゅふ
 
 
 
5日(日)に病院へ行ってきました。
 
数値が悪くなっていたら…
なにかの病気だったら…
ドッキドキの血液検査。
 
CRP値は正常に戻っていて
異常なし
のお墨付きピース

今回も悪いようだったら
免疫疾患を疑うか、内視鏡検査をするか、
というお話だったけど、何もなくて
本当に良かったぁ~。
 
CRPが3.4→4.7→6.9と
ドンドン数値が上がっていたものが
今回は0.8という正常値に。 
いったい何が原因だったのかは謎のまま。
まっ、健康であればそれでヨシっグッド!
 
点滴をしていたせいで腕から
血がとれないとかで、
『首』から血をとることに。
ピンカ本人より私たちの方が、
ひょえーとびびったいや

5.85Kgだった体重が下痢と嘔吐で
5.35kgまで落ち、
今回は5.44kgになってました。
でも5kg以下まで落としてね、と言われましたー。
引き続き私と共にダイエット生活。
私は全然落ちないけどね~-∀-;

 
お散歩の許可が出たので
さっそくご近所から
少しずつ歩いています。

久々のお散歩が楽しいらしく、
意気揚々と歩いてますしっぽフリフリ
 
 
お風呂の許可も出たので
今週末は入浴しようね~おんぷピンク

大好きなお風呂に入れなくなって3週間。
ピンカ様、ご乱心でございますっ!
つまらんダジャレが飛び出してますわ汗


ご近所の梅の花が満開になり、
春だねぇ~とご陽気な今日この頃桜
食卓にも春をWハート…とこんなものを購入。

これが大失敗はぁ。。。
ダノンヨーグルトさくら味
私には合いませんでしたがーん
桜の葉入りらしいので
桜餅をイメージしていたけど
なんか違う…
胃液がこみ上げてきたような、
ゲ○のような、なんとも言えない味。
(お好きな方、ゴメンナサイ汗)
このまま食べるにはちょっと厳しい。
 →でも捨てるのは嫌だ。
 →フルーツを混ぜてみたらどーかな。
 →ヨーグルトの味が分からないよう、
  念入りにネリネリと混ぜる。
 →なんとか食べれたー笑い泣き
 
桜あん入りあんぱん
まずくはないけど私には甘すぎた…

 
ご陽気に浮かれて
買い物をしてはいけませんねぇスカル汗

春の花を愛でながらの
そぞろ歩きも楽しい季節ですが、
脳内お花畑にならないよう注意しなければ。

皆様も、春の買い物にはご注意下さいショボーン
励ましのメッセージ
ありがとうございました顔・伏せ目
 
血のようなドロドロとした粘液の下痢
薬を飲ませると嘔吐
なのにかかりつけ病院は休診あせ
もう、どうしたらいいのか…
急遽、他の病院へ連れて行ったけれど
心配で心配で…
 
皆さんのメッセージのおかげで
心を強く保てました
本当にありがとうございますハート
 
 
ピンカは26日(日)のお昼に退院しました。
というか、
ちと強引に退院させてもらいました苦笑

病院に
『26日の午後から医師不在の為休診』
との張り紙が。
医師不在=診てもらえない(スタッフも不在)
そんな所に入院させておく意味があるのか?
と思ったので。
 
下痢も嘔吐も入院翌日には
ほぼ治まっていました。
ただ、入院当初よりもCRP値が
高くなっているから退院できるのは
来週になるだろう…と、
なかなか退院の許可がおりずえ~‥

土曜の夜に夫と面会に行ったとき、
入院部屋から聞こえるピンカの
「ワンワンッしっぽフリフリ

姿なんて見えないところにいて、
私たちが来たことさえ
分かるはずないのに…
面会する寸前まで続いたピンカの
「ワンワンッ!!」と泣き叫ぶ声。
この声を聴いて、
絶対に連れて帰ろうと思いました涙




 
医師はやはり
CRP値が上がっているという点で
退院は了承しかねる様子でしたが
「入院していることがストレスに
なっているかもしれない。
具合が悪いようだったらすぐに
連れてくるので。」と、
とりあえず一旦家に連れて帰りたい旨を
伝えて、退院許可を頂きました。
 

お薬を服用しながら、療法食の食事。
下痢・嘔吐ともに止まっております。
昨日の夕方には下痢が止まって以来、
3日ぶりの金も無事に出ましたチョキ


まだお散歩の許可が出ていないので
マンションの前をチビッと歩くだけ
ですが、時々走れるほど元気気合いピスケ


食欲も戻ってきて、
以前のようにキッチン横に座って
圧力をかけてきます…

うっとーしいけど、これが幸せなのだと
自分に言い聞かせながら
薬&ゴハンの準備に追われておりますぼー


くれくれ攻撃も始まりましたあんぐりうさぎ 
 
500g痩せて、やっとウエストに
くびれが見えてきたので
このままをキープしたいけど。

「こんなに痩せて可哀想に…」と
嘆く夫が、いつまでピンカの
ちょーだいハートに耐えられるかムムム

ピンカvs夫、夫vs私の
闘いの日々が始まろうとしております。


今週末の診察で
完治宣言が 出ることを
祈っています大泣きうさぎ
いいねやメッセージを
ありがとうございました顔・伏せ目
 
皆様のブログを日々読ませて頂き
ウルっとしたり
ホッコリとなったりWハート
 
読み逃げばかりで
ごめんなさいあせる
 
お休み中に
読者登録してくださった方
何のお礼もせずにいて
ごめんなさいうわーん
 
また皆様のブログに
お邪魔させて頂きたいと思いますにゅふ
 
今後もピンカ共々
宜しくお願いいたします肉球 茶トラ
 
 
 
 
久々にブログをアップしたとゆーのに
いきなり暗い話なんですが…
ピンカの体調が悪く、
ただ今、入院中です。
 
20日の夕方から嘔吐と下痢が始まり、
21日にかかりつけ病院へ
連れて行きました。
点滴・注射をしてもらい
お薬をもらってきて
ちょっと持ち直したのですが
昨夜からまた30分から1時間おきに下痢あせ
 
お薬を飲んでくれないピンカの為に
ポテト団子をせっせと作り
中に薬を仕込んだのですが


全く食べてくれず…亜友未
今朝はご飯はもちろん、おやつも、
大好きなミカンも食べてくれず。
ヤギミルクも口をつけてくれない。
 
下痢は30分おきになって
嘔吐も始まってしまった。
かかりつけ病院は休診日なので
急いで他の病院を探して
連れて行きました。
 
「検査をしながら様子をみましょう」
ということで、
ピンカを預けて家に戻ってきました。
 
 
紅玉シモンロール
いつもピンカに狙われる私のお昼ごはん。
ピンカのくれくれ攻撃をかわしながら、
慌ただしく食べる日々。
 
ゆっくり食べれる~♪と思うはずなのに
一人っきりで食べる食事は味気ないもぐもぐ
 

ピンカの「遊んで~♡」に
煩わしさを感じることも無いのに、
なんとなく手持ち無沙汰で
大掃除並みに掃除しまくり。
ベランダの手すりにワックスを
塗り込んで、
ピカピカに光らせてしまうカナヘイきらきら

下痢と嘔吐が続いて、
500gも減ってしまいました。

意地汚くても、くれくれ攻撃が
しつこくてもイイから、
何事もなく戻ってきますように。
 

 キミの凹凸の無い体を撫で回したいよううっ...

では、これから面会に行ってきますパー
父が亡くなりました。 

1月17日の深夜、盛岡は小雪が舞って
いたそうです。

 
2015年11月頃、
父と電話で話していた時に、
言葉が思うように出てこないことに
気づきました。
話し中に何度も
「あれ。あれは…名前が出ないなぁ。」
という状態でした。
認知症なのでは?と思い、母や姉弟に
病院へ連れて行ってくれと話したところ
本人が行きたがらないとのこと。
やっと病院へ検査をしに行ったのは
年が明けてから。
結果は脳腫瘍でした。

腫瘍は
手術ではとれない場所にありました。
気休め程度の放射線や薬での
治療をするのみとなりました。
腫瘍が大きくなるにつれ言語は更に
不自由になっていきましたが、
夏に会った時は元気に歩き、
モリモリと食事をしていました。

 父の病気が分かった時、悔やみました。
言葉が出てこない事に気づいた時に
すぐにでも帰省して、
私が病院に連れて行っていれば…

母、姉弟にもっともっと強く
お願いしていれば…

私が近くに住んでいれば、
もっと早く気付けたかも…

いや、そもそも引っ越さなければ
こんな病気にならなかったかも…

私が盛岡を離れずにいたら!


恐らく来年のお正月は迎えられない
だろうということで、
今年の年末に帰省しました。

父は入院し、
飲むゼリーのようなものすら
むせてしまう状態で
寝たきりとなっていましたが、
私と夫を見て手を差し出し、
力強く握ってきました。

薬のせいなのか、
起きているのが疲れるのか、
すぐに眠ってしまいます。
それでも私達がいるせいか、
必死で眠気と戦うかのように目を開け
起き上がろうとしていました。
右半身が不随となっていましたので、
左手だけでベッドの柵をつかんで
起き上がろうとしていました。

今思うと、
家族と一緒に家に帰りたいと、
起き上がってベッドを出ようと
していたのではないかと思います。

「早く良くなって埼玉へおいでよ。
浅草にでも行こうよ。」と言うと、
微笑んで、私の手を握ったまま
眠りました。
 

父の好きな甘いものと、
写真集を持って行きましたが
食べれず、本を持つ力もなく…

結局持ち帰ってきました。


そんな状態の父でしたので、
春まではもたないだろうと
覚悟をしていました。

でも、まさか
私が盛岡から戻ってきて約10日後に
亡くなるとは思いもしませんでした。
 
 
父はスパルタで大変厳しい人で、
ほとんど褒められたことは
ありませんでした。

まだ泳げなかった私を沖まで
抱っこしていき海に放り込みました。
子供心にとーっても恨んだけど、
私は必死で泳ぎ、
河童並みに泳げるようになりました。
 
高校受験の時、志望校を落ちて
私立の女子高への進学が決まってしまい
落ち込んでいた私に
「これで変な虫がつかない」と
嬉々として話してきて
ムカっ腹が立ちました。

私が24歳で結婚する時は
「若すぎる」
と猛反対した父。
父の理想は、
岩手の公務員の男性と
35歳頃に結婚して、
盛岡で生活してくれることだったので。
挙式の打ち合わせをしたくても
「勝手にしろ」と話も聞いてくれず、
挙式中も一切口を
きいてくれませんでした。
それでも
父の勤め先だったブライダルショップで
ドレスや着物を選んでくれました。
結婚式では、どれも最高の
(買ったほうが安いくらい)ものを
4着も着せてくれました。
 無事に結婚生活を送っていることが
分かってからは
会話を交わしてくれるように
なりましたが。

わが家が盛岡へ引っ越す時には
誰よりも喜び、
家探しや車選びに付き合ってくれました。 

時々、実家でご飯を作ったりすると
料理の腕が上がったと
私の作るご飯を美味しいと
喜んでくれました。

身長が高く、髪もフサフサで、
実年齢より若く見えた父が、
細く小さくなり、髪も抜け落ちて、
小さな棺に収められていました。
 
悲しい…のではなく、
ホッとしたと言うのでしょうか。
穏やかな顔で眠る父に
「よく頑張ったね」
と心の中でつぶやきました。
 

食べ歩きが趣味だった父でしたが、
手足が不自由になり始めてからは
外出する機会も減りました。
徐々に飲み込みも不自由になり
食べ物を制限されるようになった
ことは何よりも辛かったでしょう。
 
体の自由が効かなくなっても、
頭の中はクリアーだったので、
いずれくる死への恐怖を
感じていたのではないかと思います。
それらの辛さからやっと解き放たれた…
良かったね。
頑張ったね。

食べ歩き、もっと付き合って
あげれば良かったな。
ゴメンね。
 

お葬式は泣きませんでした。
家族の前で泣くのは嫌だったから。
お葬式が涙で暗くなるのは嫌だったから。
明るく、笑って見送りたかった。

その反動でしょうか。
今になって、一人でいる時に
ふと涙が流れます。
気がつくと、心の中はゴメンね
の言葉でいっぱいで。

何もしてあげられなくて
ゴメンね。
本当にゴメンね。


盛岡から帰宅して約5日間、
ほぼ引きこもり状態です。
私の様子を察してか、
盛岡にいた時の気疲れからか、
ピンカも寝てばかりです。

家事をする時以外、
ボーッと過ごしています。
頭が考えることを拒否しているようです。
 

いい年こいて
いつまでもこんなんじゃいけませんね。
来週からは、通常のブログ記事を
書こうと思います。


皆さまのブログにも
お邪魔させてくださいね。


読んで頂き、ありがとうございました。