だいぶ昔のはなしになりますが
OSHOカードというものを知った時に
思い立って引いてみると毎回と出たカードがありました。

それは「無垢」というカードです。

わたしはこのカードにとてもキラメキを感じて
美しい姿だなと思いました。

さまざまな経験を経てなお、
童心をもって現実という世界と戯れる
その姿に この絵のような心境になったらいいなという
憧れに似た気持ちでいたのかもしれません。

解説を読んで
また、いいな~と漠然と思ったものでした^^


いま、そのような状態でいると
感じています☆


望んでいた状態は気付かないうちに
いつでもそこにあるものなんですね。

それは今に始まったことではなく、
昔からずっと、そうだったのですね^^






禅はこう言っている。もしあなたが知識を落としたら——知識のなかにはあらゆるもの、あなたの名前、あなたのアイデンティティ、あらゆるものが含まれている。というのも、これは他人によってあなたに与えられているものだからだ——もし、あなたが他人から与えられているすべてを落としたら、あなたは自分の存在に全面的に異なった質——無垢を得ることになる。
これは、仮面(ペルソナ) 、人格(パーソナリティ)の十字架上の死、そして、あなたの無垢の復活になる。あなたは再び子どもになる、生まれ変わる。

Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 7


解説:

このカードの老人は、子どものような歓びを世界に放っています。彼のまわりには優雅な感じがただよい、まるで自分に、そして生がもたらしてくれているものに、くつろいでいるかのようです。彼は指の上の蟷螂(かまきり)と楽しい会話を交わしているように見えます。まるで彼らふたりが大の親友であるかのように——。彼のまわりにこぼれ落ちているピンクの花は、手放しの、くつろぎの、そして甘美なひと時を表わしています。それは、彼がそこに在ることへの応答、彼自身の質が映し出されたものです。生を深く体験することから生じる無垢は、子どものようです。でも、子どもじみてはいません。子どもたちの無垢は美しいのですが、なにも知らないのです。成長し、世間は危険で怖いところでもあるということを学ぶにつれて、その無垢は不信や疑いに置き換えられてしまうでしょう。しかし、充分に生きられた生の無垢には、智慧の質と、生の果てしなく変化する驚きを受け容れる質があります