仏陀は、ほんとうに潜在能力の高い言葉のひとつを選んだ——シュニヤータ。英語、それに相当する英語"ナッシングネスn o t h i n g n e s s
"は、それほど美しい言葉ではない。私がそれを"ノー・シングネスn o - t h i n g n e s s
"としたいのは、そのためだ——。というのも、無というナッシングは、ただのナッシングではないからだ。それはすべてだ。
あらゆる可能性で脈打っている。それは潜在能力、絶対的な潜在能力だ。それはまだ顕現していない。だが、すべてを含んでいる。初めに自然があり、終わりに自然がある。だとしたら、なぜ、その真ん中でそんなに大騒ぎするのかね?
なぜ、その中間で、そんなに心配し、そんなに気をもみ、そんなに野心を抱くのかね?
なぜ、それほどの絶望をつくりだすのかね?
無から無へ、それが旅のすべてだ。
Osho Take it Easy, Volume 1 Chapter 5
解説:「隙間のなかに」在ると、方向を見失い、怖くなることすらあります。しがみつくものはなにひとつなく、方向感覚もなく、この先にどのような選択と可能性が待ち受けているのか、そのヒントすらつかめません。しかし、宇宙が創造される以前から存在していたのは、まさに純粋な潜在能力という、この状態だったのです。今あなたにできることは、この無のなかへとリラックスしていくことだけです……言葉と言葉のあいだにある、この沈黙のなかへと落ちること……出ていく息と入ってくる息の中間にある、この隙間を見守ることです。そして、その体験の空っぽの瞬間を、ひとつひとつ大切にしましょう。神聖ななにかが、まさに生まれようとしています。
久しぶりに引いたoshoカード。
最近感じてることに結構当てはまってて面白いな~と想います。
時間も感覚も思考も区切りのない世界で漂っている状態を
想像してみてください。
「自分」というものがない、これをワンネス?っていうのかな。
「無」
この世で「自分」という枠の中にわざわざ入ったのはワンネスでは
感じ得ない「なにか」を知りたかったからでしょうか。
感じたかったからでしょうか?
ワンネスまたは無というものは今こうして生きている間に追い
求めなくてもいやでも肉体が亡くなった時にわかるもの、なのかも。
今は「自分」も「無」も合わせて自分の中に存在してる感覚が
面白いです