ハローキティとティッピーが
水玉リボンでリンクコーデしてるよ。
2人とも似合っててかわいい!
あなたはリンクコーデしたことある?
してみたい?
私には5歳下に妹がいます。
妹が生まれたので、幼稚園の入園式には
母親でなく伯母(母姉)が代わりに出席でした。
多分それが最初の傷です。
妹は白くてムチムチでフワフワで、ついつい触りたくなります。
側に近寄るだけで怒られました。
きっと寝かしつけたばかりとか理由はあったと思いますが
怒られた、悲しい、私が近づいてはいけない妹は特別なんだと思いました。
それからは何をするにも妹優先、幼稚園や学校の長期お休み期間は私より年上の従姉妹がいる伯母の家に預けられました。
父は仕事で帰れない日が多く、心臓病の母の負担を考えての事だったと思います。
でも従姉妹の近所の友達等にはなんでずっといるの?捨てられちゃったの?容赦ない質問責めもあり、何故自分だけ両親と離れているのか不安と悲しみでいっぱいでした。
そうそう、小学校の入園式も母の記憶がありません。
妹をおぶって片道40分以上の小学校へは無理だったのでしょうね。
この頃から手先が器用だった母は私と妹にお揃いの服を作るようになりました。
まず、採寸する時には妹から、次に私。
生地は柔らかいパステル系花柄が多くて何故なのか聞いた時があります。
妹の好みだし、お手頃価格だからと記憶があります。
ご近所さんやお友達とその母親には大好評でした。
年の離れた姉妹が可愛らしい手作り服をお揃いで着てる姿は、とても仲良しに見え微笑ましく映ったのでしょうね。
それが凄く苦しくて辛くて我慢の限界になって母親に言ったのだと思います。
もうお揃いは着ない。
私の好きな色、柄の服がいい。
多分そんな風に。
あまりはっきり記憶にないのです。
お揃いは終了、私の希望通りの服を作ってもらえるようになりました。
何十年も経った今は、
もっとお揃いの服を着てれば良かったと思います。
毎回我慢しないで気持ちを言ってればこじれなかったのに。とも思います。
でも当時の子供心では常に全力で悩み悲しみ傷つき必死に平常心を装ってたのですね。
もしタイムマシンがあって、その頃の私に会えるなら
我慢しないでお母さんに
素直な気持ちを言っていいんだよ。
と、声をかけてあげたいです。
あ、今、妹とは仲良いですよ。
なんとか大人になれましたから。
(=´∀`)人(´∀`=)