がんばれ♪ にっぽん♪
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

公認会計士試験の未就職者問題、司法修習生の即独問題に思う。

当初想定した政策が環境の変化により予定どおりに進まなかった公認会計士試験合格者や司法修習生の未就職者問題は、早期解決のために合格者の抑制をすべきである。未就職者問題や即独を放置すると、優秀な若者が試験を目指さなくなり、それぞれの資格者の質の低下の可能性が否めない。また、未就職者や即独した者の中には、生計を立てるために、自ら持つ専門性を反社会性勢力と結びつくことで、生計を立てざるを得ない者がでる可能性を否めない。

他方で、公認会計士・司法試験ともに合格者を抑制すると、従来どおりの既得権が確保された安定的な地位を保証することになり、競争による質の向上・手頃なサービス価格の実現が遠のくことも事実だ。資本主義の発展は、より安いコストで誰もが欲しがる付加価値商品を作りあげることで発展する。その資本主義の原則からすれば、資格者のギルド(職業別組合)を作り上げて参入障壁を設けることは、決して合理的ではない。

特に、最近の若者は安定志向なため、既得権に守られて安泰に生きたいとするオジン的な志向に一抹の不安を感じる。もちろん、監査法人や法律事務所は安定的な人材の確保が高度な専門サービスの提供の前提となる、と主張するであろうが、競争がなければそのサービスは一部の資格者に独占され、結果として国民は高いサービスを買わされるのである。

合格者数を管理し、監査法人や法律事務所に安定的に就職できる人数を合格させる制度は、資本主義の基礎である競争原理を逸失させてしまう可能性がある。単に合格者の抑制をする以前の制度に戻すのは、競争原理を産まない状態に戻すことになる面も持つ。

ただ、今の状態は、制度が設定した趣旨と異なる。制度が目的としたのは、公認会計士や弁護士の専門サービスに競争原理が働き、切磋琢磨することで日本社会の付加価値を高めることにある。そのために大幅増員をしたのである。

解りやすく言えば、それぞれの「資格者になるまで」の競争ではなく、「資格者になってから」の公正な競争が起こることを目的としていたはずである。しかしながら、現在起きていることは、公認会計士になるための実務経験が出来なかったり、弁護士としての経験が積めない状況だ。

未就職者問題や即独の問題は、「資格者になるまで」の競争であり、これを放置していても、ギルド(職業別組合)は解消されないばかりか、優秀な者の参加を望めなくなる。事実、監査法人や法律事務所への就職ができた者は、従前どおり安穏として既得権益を享受するばかりで、そこに競争原理が持ち込まれるかはいささか疑問だ。法が想定した競争とは違う場所で競争(淘汰)が起こり、高度資格の魅力を喪失してることに問題を感じる。

資格取得はゴールではなく、スペシャリティへのスタートだ。資格取得に成功したら、一度資格とは無縁の世界で働く経験をする制度が良い。資格の高度サービスを必要とするのは、資格とは無縁な世界の人達だ。その人達と同じ世界で働く経験は、資格者の職務遂行において重要かつ貴重な機会をもたらすであろう。いっそのこと、監査法人や会計事務所、法律事務所に当初は就職せず、外部で経験を積み、その後監査法人や法律事務所への就職をする仕組みにしてもよいと思う。

「韓国のトップセールス「3分の1が失敗」 (9/30日経)」

記事の方向はネガティブなコメントを引用しているが、鉱物資源で失敗が1/3なんてすごいと思うな。野球なら首位打者だね。失敗をあげつらうのではなく成功を褒めたたえる「ほめて伸ばす教育」がマスコミにも必要ですね。こういうトップセールスがわが国にも必要だと思いません?

「韓国のトップセールス「3分の1が失敗」 (9/30日経)」韓国のイ・ミョンバク大統領らが「トップセールス」で他国と交わした鉱物資源開発事業の覚書33件のうち、失敗事業が11件、17件は交渉継続、本契約5件。 http://ow.ly/1xQEJr

公認会計士試験制度に関して思うこと(後篇) 赤字部分修正

(後編)


(赤字部分を修正しました)

待機合格者の問題を「景気の低迷」による企業側のニーズの縮小を論拠とする意見があるが、これは的を得ていない。そもそも会計・監査は比較的景気を受けず(受けてはいけない)一定の必要性がある業務である。会計監査、内部統制監査、および公開企業等の会計実務も景気で業務が縮小する性質のものではない。確かに株式公開業務(IPO)は相当程度縮小しているが、それは全体からすればそれほど大きな人数ではない。



とすると、何が問題であったのだろう。それは、平成15年改正の想定が間違っていたと言わざるを得ないのではないだろうか。「合格者が企業の専門的な実務の担い手」として求められているという想定には無理があったのではなかろうか。そもそも企業に会計部隊がいる中で、さらに「企業が会計専門家を求めている」とするならば、それは「豊かな実務経験をしている者」ではないのか?試験合格者は優秀な者が多いが試験合格者はまだ卵でしかない。彼らは「豊かな実務経験」を積まなければ実務の担い手となり得ない。それは、医師・弁護士という国家試験に受かり、修習所に通う等の一定の座学を経てその称号を得られる資格となんら変わりがないのである。



平成15年改正では「公認会計士は企業の専門的な実務の担い手として期待されている」とすべきところを、「公認会計士試験合格者は企業の専門的な実務の担い手として期待されている」とされてしまった。本来であれば、監査法人に勤務する公認会計士を企業等でいかに活躍してもらうか、その人材の活用の方法を議論しないままに試験合格者を増やしてしまった。平成15年改正の不備は、社会人としての経験に乏しく、会計の専門家というにはまだ心もとない試験合格者が一身に担うことになったのである。



平成15年改正を受けて平成19年・20年に公認会計士試験合格者が2,695名、3,024名と急増した際には、日本公認会計士協会・大手監査法人は平成15年改正を承認した当事者として、未就職者を出さないために監査法人で吸収努力をされた。しかし、急激な合格者の増員は監査法人の経営を圧迫する要因になったし、同時期に導入された内部統制制度は当初の目論見ほど監査法人の収益を向上させることに貢献しなかった。これ以降、監査法人の収益構造は急速に悪化してゆくことになる。

そして、平成21年以降、日本公認会計士協会・大手監査法人はもはや平成15年改正を受けて増員した合格者を吸収する体力はなく、逆に大幅なリストラを余儀なくされる監査法人もあったことは記憶に新しい。これ以降、金融庁・監査法人・公認会計士協会は、試験合格者を企業等に紹介するキャリアナビの立上げ・採用のPR活動は行ってきたものの、試験合格者を受け入れる積極的な行動を起こした事実はほとんど見当たらない。監査法人といえども民間組織であり、監査法人の経営はその自治に任されるべきであるし、もはやその体力は残されてはいないのである。



待機合格者に会計実務経験を積めるチャンスを与えなければ、平成15年改正で想定した会計の専門家としての担い手の拡大になり得ないし、逆に、これから目指す人へのネガティブなキャンペーンになる。公認会計士になってからの行動は自己責任だと思うが、大量合格させた試験合格者に対して「就職は自己責任」として会計実務経験できないことを放置するのは、平成15年改正の趣旨に反すると思う。



実際、優秀な学生が会計士試験離れが起こり始めている。「合格しても就職できない資格試験はやめなさい」とご両親から止められるケースもあると聞く。IFRS適用等を控え企業会計の重要性が高まる中で、過去の公認会計士に関する政策の良否の清算を行わないために、公認会計士試験合格すること・公認会計士の価値が下がっていることを憂慮している。これは大きな社会的損失である。



司法試験も同じだが、彼らは難関国家試験を突破すれば道は拓けると信じて勉強してきた。国家が必要な専門家を政策的にコントロールするはずで、試験に合格すれば専門家として活躍する覚悟を持って、他の可能性を切り捨てて勉強を続けて合格したのである。給料が安いと文句を言っているのではなく、合格したのに実務を経験する仕事にも就けない状態が、もう数年も放置されたままである。「試験に受かったのに就職できない人がいる」ことに同情しています。しかしもっと大きな問題は、「試験に受からせて『国家が』公認会計士という高度専門職としての活躍を期待した人たちにその活躍の場を与えられていない、ことだ。この現状が引き起こす「会計の将来の担い手の縮小」を食い止めなければならないと思う。



そのためにも。平成15年改正が想定しえなかった事実を受け入れ、まずは元の制度に戻して適正な合格者数にすべきである。会計士が担うべき仕事は何であるべきか、という議論が必要であるならば、一旦平成15年以前の合格者数に戻してから議論すべきである。「資本市場の番人」が衰退しつつある事実を避けるためにも。




1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>