愛すべき人でさえ愛すことができない
一番愛したいのに愛せない
愛が足りないわたしに愛をください
いっぱい いっぱい 愛をください










最近、リーダーとして、色々心がめった打ちにされることが多い。
おもに、自分の足りなさ、弱さ、罪深さから来るものが原因であり、
いつも自己嫌悪に落ちて、落ち込む事が多い。

良く言えば、リーダーとして成長するためには必要なプロセスとも言える。
何事もなく、とても順調に進んでってるミニストリーははっきり言って健康的じゃないし、
ありえないと思う。
リーダーとして、色んな角度からチャレンジを受け、
神様にねりねりされて行く。

だけど、悪く言えば、私は自分の中での「リーダー像」が理想家しすぎているのかもしれない。
リーダーはこうであるべきだ、あれやこれはしてはいけない、など、
自分の中でのリーダーのexpectationはとても高い。
だからそれに当てはまらない自分が本当に情けなくて、弱くて、どうしようもなく、
結局自分を責め、自分で自分をつまづかせてしまう。


頭では分かっているものの、
なかなかありのままの自分を受け入れるのが難しいことに気付いた。
自己中なくせに、素直にそのまんまの自分が受け入れられない。


そんなことでへこんでた中、またまたどんぴしゃなデボーションがメールで届いた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支
配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです」
エペソ6:12  
 
サタンの誘惑は巧妙だ。賭け事、泥酔、嫉妬、憎悪の類なら、ストレートで誰に
でもすぐわかる。しかし、サタンは光の御使い、つまり、神に偽装する。
神の正義の仮面をつけて来る。自分の思う正しい事を、自分の理想を、家庭や職場、
教会で実現させようと、突き進む。

正しい事なので、サタンの誘惑だと気づかない。理想は一見良いものに見えるが、
サタンの罠がある。御言葉によらない、神の価値観ではない、自らの描く理想は、
実は偶像であり、自分を縛りつける。


現状がそうでないと、絶えず落ち込み、幻滅し、意気消沈し、周囲を責め裁く。
又、自分を裁く。自己嫌悪に陥る。一番の敵は自分かも知れない。
自分が理想の尺度に合わないので、絶えず自分を裁く。


理想に到達する事など無いので、いつも心が責められ苦しくて、辛い。
「あなたがたが神のようになり」がエデンの園での蛇の誘惑だった。神=理想で、
神のようでない自分、理想に到達しない自分を、暗にいつも裁いている。

必ず心は辛く苦しくなる。サタンの罠に気づいて離れよう。
神のように自分でなるのではない。自分で完璧になるのでなく、理想に到達する
のではない。主の十字架のゆえに、このまま、今のまま愛し受け入れて下さっている。

主の血潮があるゆえ、責められる事は何もない。主の愛に絶えず囲まれている。
いつも安堵し、平安でいることができる。

------------------------
落ち込み、不安は何処から来ているのか。自分の思考や感情、動機をよく見極めて
みよう。主は安心しなさいと絶えず言って下さっている。その主の平安をことごとく
奪って行くサタンに、今日も気づけますように。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


もう、何これ、どんぴしゃすぎw

自らの描く理想は、実は偶像であり、自分を縛りつける。


ハッとさせられた。
偶像礼拝だっただなんて。
そして確かに私はかなりそういう理想で自分を縛り付けていたことに気付いた。





私の中に御霊が住んでおられる限り、私の罪はイエスの血潮によって赦され、罪から解放された。
主が私を強くしてくださり、どんなことがあっても、神様の愛から引き離される事はない。
その事実を、100%信じて断言したい。




神様の「時」と自分の「時」って違ったりする。
逆に自分の「時」が神様の「時」になったりもする。

じゃぁどっちやねん!ってわからなくなるけど。。。



最近の出来事で、神様の「時」についてもっと分かりやすく教えてくれた。




それは、聖書にも書いてあるように、
「神のなさることは、全て時にかなって美しい」伝道者の書3:11

神様が一番美しく働かれる時って、ごく自然なんだなって思いました。
何か衝撃的な出来事や感情の変化があるわけでもなく、
自分達でも納得できるように、むしろ自然すぎて気付かないくらい、
神様はふわーっとピースをぴったりはめてくれる。
it's in the ordinary.
そして神様の「時」であれば、
主がよしとされ、祝福してくださる。
自分だけではなく、周りもその祝福を受ける。



神様の「時」が与えられる時、
心には平安や愛しか残らない。
悲しみや傷は消え去る。
あたたかいもので満たされるのだ。



毎日生きている中で、神様と共に歩むのなら、
どんなにシンプルなものでも主は強く働いておられるのが見えてくる。
どんなに何気ないことでも、神様の御業なしではありえない。




人が救われる時、
人が神様によってぐんぐんと変えられて行く時、
誰かと出会う時、
自分の息してる音が聞こえる時、
仲間と笑い合う時、
涙が流れる時、
誰かを抱きしめて心臓の音が聴こえる時、
歌う時。


なんて美しいんだろうキラキラ



そして、主を知るものとして、光の中に永遠にいることができる。
これほどの平安と喜びはあるだろうか。





キラキラと輝くもの、一瞬一瞬をキャプチャーしよう。
もっともっと神様の美しさを体験していこう。
5月27日に母と二人で引っ越しをしました。
場所はまだ同じ市内だけど、高速とかにめっちゃ近いから楽。
家も、前の家と比べたらカナリのダウンサイズだけど、
サイズ的にはぴったり。

前の家は、私が1階で、母が2階。
ご飯食べる以外は滅多に上にあがらない。
外から帰ってきても、そのまま部屋に直行。
あまり母と顔を合わせることはなかった。
だから「あんたはヒトリで住んでるんじゃないんだからね!!」と良く言われた。
確かに、家族というよりかは、かなりルームメイト的な感覚に近かったかも。


そして今、スペースがかなり狭まって
母と私の部屋は隣同士。
どこかに出かける時はリビングを通って行くから必ず会う。



あ、こっちのほうが家族っぽいな





って思った矢先。。。




母を私の顔を見て口を開くと不平不満文句愚痴の連打。
常に命令見下しとげとげ口調。
言われてる内容よりも、母の言い方がいつも嫌だった。
いつもネガティブな言葉でヒステリー起こす母親が嫌だった。


ぐっとこらえるべきか、
言い返すべきか。。。
たまに、言葉を選んで冷静に話をしてみても無駄。
言われた事をやっても、文句を言われる。
あーだこーだ暴言を吐く。




母がめちゃくちゃストレス感じてるのは身にしみるほど分かる。
家族は私しかいないことも分かってる。
一番支えてあげるべきなのは私であることは分かっている。



だけど23年間、母とのバウンダリーが全然分からない。
それが原因で、いつも喧嘩して何度も家出したいって思った。
小学校の頃、本気で自殺しようと思った。
高校までは勉強のコトで散々言われ続けてきた。
今は人格のことを言われ続けてる。
新しい家に引っ越してきて、小さい頃感じてたその想いがひしひしとよみがえってくる。。。






I want my mom to realize and accept the fact that we are different people.




全ては母のせいなわけではない。
私にも悪気がある。

でも最近ちょっと限界を感じて来た。。。

逃げるんじゃなくてちゃんと向き合わなきゃいけないんだろうけど、
今はなるべく家にいないようにしたいって思っちゃう。。。




『神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。』
詩編139:23-24




今はこの御言葉通り祈るしかないです。。。







吐き出したかったので、
素直に書きます。






今日、元カレが婚約しました。







なんか大人になった気分。

こんな気分人生初めてだ。

そしてあんまりいい気分じゃない気分。



長い戦いだったけど、
ようやく決着がつきました。
これでほんとにほんとにほんとにほんとに終わりました。



なんだかわからないけど、
どうしたらいいか正直わかんないけど、
神様はどうにかして、私の益となるようにしてくれるから

信じてこのどうしようもない気持ちも委ねます。




というわけで詩を書きました。
時間あったら曲つけたいな。





「大切な人」


こんなに誰かを強く想うのも
今までにないくらいで
こんなに切なくなるのも
今までにないくらいで


気持ちを全部伝えきれぬまま
キミは遠くへ行ってしまった
行き場のないこの想いは
どこの海へ沈めよう?


*キミから沢山のことを教えられ
沢山のものをもらった
キミがいるから 今の私がいる
過去も 現在(いま)も 未来も変わらず
キミは私の大切な人



ねぇ、神様
辛いし、 まだ意味分かんないよ
でも私が前に進むために必要なんでしょ
だからこの想い あなたがどうか
食べてしまってね


*キミから沢山のことを教えられ
沢山のものをもらった
キミがいるから 今の私がいる
過去も 現在(いま)も 未来も変わらず
キミは私の大切な人



bridge
今は 素直に喜べないけど
いつかちゃんと言えるかな
「おめでとう」
「ありがとう」
「大好きでした」

過去も 現在(いま)も 未来も変わらず
キミは私の大切な人