上海の欧州系企業で働く平社員の日記
上海の欧州系企業で働く平社員の日記、通称ド○ツさん日記へようこそ。

日本から上海のド○ツ系企業に出向しての上海生活も3年8ヶ月でまもなくピリオドを打ちます。元浦西在住の浦東在勤。ちなみに名前はド○ツさんでも、ド○ツ語は全くできません。代わりに英語と中国語は、そこそこ出来ます(笑)。


ペタ、コメント、読者登録、いずれも歓迎いたします。ただし、過度な宣伝・広告目的のモノは、こちらの判断で削除させてもらう場合があります。また、現在はアメンバー募集はしていませんので、申請があった場合は却下となります。ご了承ください。





Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

そしてホントにホントに

ついについについに、中国生活が終わります。今日の午後の便で日本に完全帰国となります。

今考えると、この3年8ヶ月の間に起きたいろんな事が走馬燈のように蘇るとか書きたいのですが、正直なところ、あんまり実感が沸きません。ただ、街を歩いていて、見える景色一つ一つが、これでしばらく見納めなんだという感覚がある程度でしょうか。

上海に駐在経験のあるほかの方のブログを読むと、飛行機が日本の空港に着陸した瞬間にグッとくるものがあったという方もいるそうなので、自分自身で、この先数時間で沸き上がってくるであろう感情を自分自身でじっくりと受け止めたいと思います。

さて、6年あまりに渡ってダラダラと書き綴ってきたこのブログですが、やはりこの記事をもって、いったん更新を終了することにしたいと思います。ただ、自分としても時々見返したいと思う時がくると思いますので、問題がない限り、このブログは削除せずにそのまま残しておくつもりです。

これから始まる新しい生活に向けて心機一転。これからは新しいブログでお会いしましょう。

・・・ん?

という声が聞こえそうですが、実はすでに新しいブログを用意してあります。Twitterでフォローいただいている方は、新しいブログ記事の更新があるとFeedtweet経由で発信されますので、これまでと変わらず気が向いたら、ポチッとアクセスしていただければと思います。

Twitterのアカウントお持ちでない場合、または壁の向こう側でTwitterそのものにアクセスできない方は、このブログアドレスのエリアスの部分(pingpangqiu)を私のTwitter名に書き換えてください。引っ越し先も同じアメブロですので、簡単に見つかると思います。

それでは!

2011年2月20日 ド○ツ拝

パクリと言われようが

おはようございます。上海某ホテルでの朝です。昨日の夕方に上海に戻ってきました。今日が上海滞在の実質最終日。明日のフライトで日本へ帰ります。

昨日は、午前11時半頃に村を出発して、手配した車で直接合肥火車站へ向かいました。上海行きの動車に乗る訳ですが、元宵節の翌日ということで、駅前と駅の中はものすんごい混雑になっていました。押し合いへし合いになりながら、何とか列車に乗り込みます。

これだけの混乱っぷりは、相当久しぶりの経験ですね。

ところで、上海まで3時間半ほどの道中、最高速度250キロで走るわけですが、南京南(運転停車で乗客の乗り降りなし)のように、建設中の京沪高铁(北京上海間の高速鉄道)の駅を通るかと思えば、蘇州や無錫のような在来線の駅に止まったり、昆山南みたいに高鉄専用の駅に止まったりしていることに気づきました。

中国の新幹線は、元々、日本の新幹線のパクリなんて言われていましたが、元はパクリだろうが、中国は複雑に絡み合った在来線と高速鉄道専用線の間を行き来しつつ、最高速度250キロでそれなりに安定運用できているという事実は、きちんと認識しておいた方が良いと感じましたね。

何が言いたいかというと、たとえば在来線と専用線を行き来するなんてことは、日本の新幹線では基本的にない事(レール幅が違うので当たり前)ですが、でも中国は独自で編み出したか、どこか他の国から学んだかして、それが普通に出来ているわけです。

なので、中国の新幹線技術が、どこどこの国に輸出なんていうニュースを聞いて、反射的に「どうせパクリ」と思考停止に陥るのは危険ですね。そんなことをしている間に、彼らは実績をドンドン積み上げていく訳ですから。

何も日本の技術を否定するつもりはありませんが、日本の技術は世界最高だよ!と言うだけで売れると思っているのは、「どうせパクリ」と同じぐらい思考停止なのかもしれないと思った中国版新幹線の車内なのでした。

あれ?湯圓は?

おはようございます。

昨日とは打って変わって静かな朝ですと言いたいところですが、まだ散発的にドンパチやってますね。ひとまず昨日の元宵節をもって、もう春節は完全に終わりです。

日本で言えば、成人の日の連休も終わって新年ムード一掃てなところでしょうか。以前は成人の日は1月15日で固定で小正月を祝うのも多少兼ねていたのかと思いますが、いまやハッピーマンデーのおかげで、なんでこの時期に成人式なん?という風情のない日になってしまったような気がします。

ところで、昨晩は新年最初の満月を祝う元宵節にふさわしい本当にキレイな満月でした。昨日の記事に、どんな元宵節になるか楽しみと書いた手前、どんな感じだったか簡単に振り返っておきましょう。

まずは、朝食前に近所の祠2カ所にお参りです。お線香の他に、花火と爆竹を持参。どちらも畑の中にポツンと立っていました。1カ所目だけ中に入れてもらったのですが、中には石板に彫られた道祖神風の夫婦神様が祀られていました。この神様、約200年前との説明を受けましたが、光緒11年と彫られていたところを見ると、日本の明治18年、1885年のものですね。200年には及ばずとも、126年前でも十分伝統を感じます。

1987年に亡くなったうちの一番長生きだった爺ちゃんでさえ、明治32年、1899年生まれですからね。古すぎて想像できないぐらいより、このぐらいの古さで身近なものと比べる方が、妙にリアルに感じますね。

お線香でお参りしたあとは、祠のところで、花火と爆竹を打ち上げて、パンパン鳴り響く中、そのまま立ち去るのが、こちらの流儀のようです。同じ事を、もう1つの祠でも行って、家に戻ります。

さて、お参りからかえってきて、湯圓はいつ食うのかな?なんて思いつつ朝食タイムです。この日は、いつものおかゆに加えて、春巻きなどの揚げ物が出てきました。朝から揚げ物?ちょっと重くね?と思われるかもしれませんが、おかゆに油条などの揚げ物をぶっ込んで食べる習慣のあるお国ですからね、アリと言えばアリなんです。

・・・オイラ的には、春巻きをおかゆにぶっ込むことによって、揚げたての春巻きのパリパリ感が失われるのが何とももったいないなと思うのですが(笑)

その揚げ物のなかに、楕円形でごまのついたもの、あとは焦げ茶色(てか焦げてた?)のまん丸のものがありました。ごまの付いている方は、以前会社の社食でも食べたこともあったのですが、まん丸の方を口に運んでみると、、、

これ湯園じゃん。

正確には湯(スープ)に入っていないので、湯圓とは言えないのかもしれませんが、餅米の粉で作った団子を油で揚げたものでした。

ハイ、あっけなく湯圓タイム終了です(笑)

これ以外には、昼食前に、春節の最初(大晦日の昼)と同じように、花火&爆竹をしたあとに、ちょいとお酒を飲みながら、少し豪華な食事をいただいた以外は、これまでの日と同じようにのんびりと過ごしました。

ただやはり、春節の大トリということもあって、使われる火薬の量はハンパなかったですね。ぶっちゃけ、春節の最初よりうるさかったんじゃね?ぐらいの勢いでした。

さて、これから準備をして、いよいよ上海に向けて移動です。夜はすてきな密会を企画していただいたのですが、まずはホテルにチェックインして、農村の垢を落として日本人モードに立ち返らないといけません。

農村の垢?

ご想像にお任せしますw

次は上海からの更新になると思います。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>