しばらくブログを書いていませんでした。というのは、心にゆとりがなかったからです。前回のブログを見ると、「これからメンタル心理カウンセラーの資格を取得するのに資料を請求します」なんて書いてありましたね(‐^▽^‐)


その後、実際資料を取り寄せて、講座を受け、試験も受け終わりました。今は結果待ちの段階です!!

多分・・・受かってると思います。合格するとカウンセラーとして認定され、カウンセラーとして働くことができます。



でも、私としてはこんなにちょっと勉強しただけでカウンセラーとして働くのは難しいと思っています。だから、秋から放送大学に編入して、心理学を勉強しようと考えています。ついでに前は叶わなかった大学卒も今回はかなえてしまおうと思っておりますにひひそして、前の大学で学んだ医学の知識と、心理学の知識を生かして、臨床心理士になれたらいいなあ~と思っています。



臨床心理士になるには、大学院も出なくてはならないので遠い道のりですが、あせらずじっくり楽しみながらやっていきたいですネ音譜



で、秋まで時間があるので今はTOEICの勉強をしています。9月に受験すると決めたので、それまでにどれだけ伸びるか、自分との戦いです。ちなみに今は・・・模試で730点くらい。英語には自信があったので、私にとっては不満です。800点とれたら旅行に連れて行ってもらう、と主人と約束したので必死こいて勉強してますよ(-^□^-)




こんな感じで今は前向きな気持ちで落ち着いた生活を送っております。


でも、前回のブログを書いてからいろいろあったんですよ。主人との大きな喧嘩も二回ほどあり、別居するしないの騒動に発展しました。何年も封印されていたリストカットも一回、してしまいましたあせる切った後、「なんてバカなことしたんだろう」と後悔しましたけどね。


以上、近況報告でした。

久しぶりのブログ更新です。しばらく見なかったうちに迷惑コメントが書かれていて、ぎょっとしましたあせる本当に嫌ですね~変なコメントは。。。



しばらく解離や離人、その他直前のことを覚えていない等の症状をへた後、病院の先生に相談したところ、「ご主人さんにも一緒にきてもらいましょう」ということになり、主人とともに病院へ行きました。そこで私の病気について先生から説明がありました。



その後、主人の態度もずいぶんと協力的なものにかわり、育児も積極的に手伝ってくれるようになりました。どうやら、先生が言っていた様に、わたしのことを病気だと思っていなかったようなのです。病気だからざわざわ遠くまで運賃かけて通院してるのに・・・ハートブレイク


ま、結果として今はぎすぎすすることなく、うまく家庭内がまわっています。よかったよかった。



最近の私はどうかといえば、家庭教師のアルバイトも減り、(生徒さんたちが高校入試を終えて教え子が減りました)毎日暇な生活を送っています。でも、週6とかで家庭教師をやっていた頃は殺人的な急がしさだったので、今くらいがいいのかも。暇になったところで、メンタル心理カウンセラーの勉強でもしようかとおもって資料をとりよせました。これからポストに申込書を投函しに行くところですポスト飽きっぽい私だから、続くかどうかは?ですべーっだ!

またまた大きな欝の波ががやってきました。


子供を保育園に送り出した後、一応洗濯物と掃除は済ませ、あとはただぼーっとコタツに座って時間が過ぎるのを待つのみ。体を起こしているのも辛いので、横になりつつ、ときどき眠っては悪夢に起こされるという時間が過ぎます。


今までしばらく我慢していましたが、急にリストカットやover doseへの欲求が沸いてきてしまいました。虚しく、つらい。この自分を何とか消し去ってしまいたい。きってしまえばその時だけは心がすっとするんです。自分に向かって「甘えなんて死ね」といいながらきるんです。


でも、それもできません。息子が居るからです。子供がそんなのを見たら相当なショックを受けてしまいます。だからなんとか歯をくいしばって我慢しました。


どこか遠い誰も知らない場所へ行って、そのまま消え去ってしまいたいです汗



いつまで続くんでしょうか。本当に辛く、絶望的です。

 1月末、どうも気持ちが悪く、すぐお腹が満腹になるなあ~と思って、妊娠検査キットを試してみたところ、なんと陽性反応がでましたビックリマーク


 前からそろそろ二人目も欲しいなあ~なんて思っていたので嬉しい反面、正直な気持ちは焦りでした。

「今の私の精神状態で妊婦期をのり越えられるだろうか?」

「都内まで精神科に通うのも大変になるだろうなあ(今、私は上野まで特急で2時間のところにすんでいます)」

「二人目が生まれてきたら、もっとたいへんな日々がきて、わたしはとてもやっていけないだろうなあ」

 等など・・・・。


しかし、できたからには大切な命、経済的には二人目を育てることができる環境にあるので、私は内心、中絶と言うことを頭に入れながらも主人にはそれを言えないでいました。なぜなら、主人はずっと二人目を欲しがっていたし、なんとかなる、と思っていたからです。そして、私は主人が怖いので、自分の意見を言えないのです。


 そんなふうにして一週間がたった時、私の膣から血が混じったおりものがでてきました。数日たつと血の塊が出てきて、これはやばいから明日病院へ行こう、と思ったその次の日の朝、キッチンに立っていたわたしの体を塊のようなものが降りてきました。前日から生理二日目のような大量出血が続いていたので「もしや」と思いトイレに行くと、まだ手足が分化していないそらまめのような赤ちゃんがちょこんとナプキンの上に乗っていました。

 ショックでした。びっくりして泣きました。いくら何度もホルマリン漬けのそれらをみたことがあっても、自分からそれが出てきたのはすぐには受け入れがたく、とても辛い光景でした。なきながらそれをティッシュにそっとくるみ、ビニールの袋にいれて病院へいきました。


 病院へいく途中、私は手足に血が通わなくなるような感覚を覚え、意識がとおのいてきたので、車を道端に寄せ、ハザードをたいてしばらく横になって休みました。


 病院での診察結果、流産でした。先生はとくに表情を変えることなく「流産です」とだけ告げました。余計な感情をはさむより、それが一番の対応だと思います。



 赤ちゃんは親を選んで生まれてくる、というどこかで聞いた言葉がこだましています。だとすれば、あの子は、私の体調を見ていて、「あ、ママは今、体調わるそうだからまた今度の機会に生まれてこよう」と思って自分から降りてきたのかもしれません。


 今の私の気持ちは、悲しさと切なさと、そしてこれでよかったのだという安堵感です。主人はわたしの病気のことをあまりわかっていないし、結構この病気がやっかいで深刻であることをわかっておらず、ましてや私が二人目をおろそうかかなんて思っていたことも想像していなかったでしょう。でも結果として、赤ちゃんが流産になった。だから私は自分の病の治療に専念できるのです。

 結婚して2年半になるが、結婚してこのかたずっと、私は主人が怖い。



 例えばたいていの場合において、私は主人が居るとき、そばでゆっくり新聞を読んだり広告を眺めたり、テレビを見たり、横になってくつろぐことができないのだ。もちろん主人がいても多少は新聞を読んだりするが、それは大忙しですることであって、ほとんど内容なんか把握できない。



 そもそも私はいつも主人に監視されているような気がしている。監視されて自分がなくなってしまう、とかそういうわけではないのだが、私が怠けていないか、家事をスムーズに行っているかどうか監視されていると思っており、だから、ゆっくり休む気持ちになれない。

 主人はせっかちな性格なので、人を急かすし、物事が用意周到に進まないとため息をついたり舌打ちをしたりする。そいうのを聞くと、「私がいけないんだ、私がちゃんとできないから気分を害しているのだ」と思い、私は欝になったり離人状態になったり、もっとひどいと解離したりする。



 なぜこうなるのか、自分なりに考えてみた。

 私は、幼少期から、常に母の顔色を伺って生きてきた。母の顔色を見て、母を自分が良い子か悪い子かを移す鏡としてみて来た。

 その対象が、結婚後、母から主人になってしまったのではないか?



 主人の顔色は私が良いか悪いかを移す鏡であり、主人がため息をついたり舌打ちしたりすると、私が悪いのだと感じてしまうのではないか。私は常にいい子(妻)でいないとならないので、常に緊張が私を支配し、私は休まらない。もし私が悪い子である、となるとそれは私にとって脅威である。生きるか死ぬか程の大問題となる。

 なぜなら、幼少期、私はいい子でないと母に愛されないと信じていたので、「母に愛されない=生きることができない」を意味するからである。子供は母に愛されないと実際、生きる力が無いのだから。

 その思考パターンが再現されてしまっているのである。



 主人の何気ないため息や舌打ちは、主人が悪いというのではなく、どんな人間でもすることだと思う。しかし、それに対する私の反応が過剰なのだ。

 もっとどうどうと、胸を張って生活ができればいいのに。私にはゆっくり安らぐ場所がない。