ペコキチブログ

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頬粘膜癌(きょうねんまくがん)と戦ったペコキチのブログ

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こんにちは。A実です。

母の治療などの履歴。

母まだ生きていた頃、一度今まで治療してきた内容とかを一覧にしてまとめてみたら?という話をしておりまして…

途中までまとめていたのですが、放置したままだったので、再度ブログや母のカレンダーからデータを集めました。

ちょっとツライものがありましたが、母がどんなに頑張っていたのかを改めて知りたかったので、頑張りました。




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6/6       T病院 受診
6/13     I病院 受診
6/13~25    CT  MR  PET  様々な検査を受ける
                  レベル4aの【頬粘膜癌】と宣告を受ける
6/27    ティーエスワン 服用開始
6/30    入院・手術日 が決まる


7/1      1回目の入院
7/3      1回目の手術   11時間半の大手術
          (左頬粘膜・左リンパ・予防で右リンパ  切除)
7/4       ICU入院
7/4      午後からは一般病棟へ(観察室)
7/18     放射線治療を勧められる


8/5      初めての外出
8/6      放射線治療のための抜歯  1回目
8/9      左頬にシコリを発見
           放射線治療のための抜歯  2回目
8/16    左頬粘膜に再発
8/19~24   抗がん剤(5FU・シスプラチン)1クール目
8/26     放射線治療 スタート


9/9~13    抗がん剤(5FU・シスプラチン)2クール目
9/30      右リンパ 転移


10/⁇    目の横にシコリを発見
10/16     35回の放射線治療  終了
10/17     2回目の手術  8時間  (右リンパ・目の横・鎖骨)
10/24     ティーエスワン  服用開始


11/1~16    1回目の一時退院
11/17     再入院
11/18~23   アービタックス・5FU・シスプラチン スタート
11/25      アービタックス


12/2       アービタックス  1クール目終了
12/13-14       外泊
12/19~1/4    2回目の一時退院

年末年始にかけて、痛み・息苦しさはピークに。

1/5         再入院
1/6         医療麻薬を使い始める
1/8         緊急で気道切開手術
1/12       右首から出血
1/22       3回目の手術  3時間ほど
              (目の横・鼻の横・首  の腫瘍)


2/1         右首から再出血
2/11       辛く、長かった治療から解放された日



体重の変化

7/21 50.1kg     8/1 50.9kg     9/3 48.2kg
10/4 47.7kg     10/27 46.5kg     11/24 44.8kg
12/13 43.3kg     1/12 41.1kg

そして最後の計測。

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2/1に出血してから、テルミールやペプチーノ等の口から摂取が一切できなくなったので、点滴のみで最後の10日は過ごしていましたので、最期の体重はもう少し減っていたのではないかなと思います。

秋くらいまでは体重が減ることをすごく気にしていて、「痩せたね」と言われることをとても嫌がっていました。


痩せてる場合ちゃうわ
食べて体力つけて、次の抗がん剤やらなあかん
癌で痩せるなんてベタな事してられへん


と、口内炎や放射線治療でただれた舌と格闘しながら頑張って食事をしていました。

しかし、冬の訪れとともに、その頑張りも少しずつ弱りだし…


痩せたって言われてもしゃーないな
こんだけ痩せたら
痩せたって言われてもなにも思わへんわ


と、悲しそうに言っていた母の顔が忘れられません。

7ヶ月と11日間の壮絶な闘病生活。
終わりの見えない治療を、母は本当に頑張っていました。
再発、転移、転移、転移、、
何度となく訪れた絶望の瞬間。

そのたび、「開き直るわ、あたし。諦めてるわけ違うで。」と自分を奮い立たせ、次自分がやるべきことだけを見つめて頑張ってくれていました。

神様なんていないと思っていました。
いや、思っています…。今も。


なんでお母さんなん?
一人っ子、片親、家庭環境もあまり宜しくない、うちのお母さんなん?
こんな頑張ってんのに、まだやるか。
これ以上辛いことさせるか。
他に癌なったらいい奴なんぼでもおるやろ。
なんでうちのお母さんなん。。


と、理不尽かつ身勝手な思いが頭の中を埋め尽くしていた時期もありました。
いや、ごめんなさい。
これ、今も思ってます…



癌って本当に怖いです。
完治して退院、がない病気です。
退院しても、再発や転移の恐怖と隣り合わせで、過ごさなくてはいけないです。

ここで大事になってくるのが、早期発見早期治療です。

母はよく「内ほっぺに穴が開いてきた」といっていました。
2日に1回は言っていました。
「また言うてんの!はよ病院行きぃな!」
このやり取り、何回したかわかりません。


あの時、あんたがしつこく病院に行けって言ってる時にちゃんと行っていれば…

あの時、無理やりにでもお母さんを病院に連れて行っていれば…


たられば は言いたくありません。
でも、これは母も私も1番後悔している点です。
入院して初めての手術に挑み、放射線治療を勧められた時に、口からポロっと出ました。
お互いこの後悔を口にしたのは、後にも先にもこの時だけです。

1月のはじめに気道切開した時、1週間ほど筆談の生活が続いた頃、独り言というか思ったことを紙に書き殴ってあるものを見たことがありました。
そこにはこう書いてありました。


自分の体調の変化に気づいていた
A実は100回病院行けって言った
あたしは100回無視した


他にも書いてありましたが、これがすごく心に残っています。

ブログを読み返していたら、こんなことが書いてありました。


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いま、自分の体に何か異変を感じている人はもちろん、健康体だと思っている人、今一度、自分の体と向き合ってみてください。

わたしは母が病気になって、初めて、子宮頸がんの検査に行きました。
お恥ずかしい話、30歳という年齢になるまで一度も婦人科検診を受診したことがなかったのです…
近々、乳がん検査と子宮のエコー検査に行こうと思っています。

当たり前だと思っていることが、決して当たり前ではないこと、母が教えてくれました。

健康第一です、ほんとに。