短編小説 -2ページ目

手の届かない先にあるもの・・・4

 三沢純子とは中学一年生の時のクラスメートだった。そのまま同じ学校で二年生に進級する予定だったが、一クラス四十六人もいて学年にあるクラス数も十五クラスある区内一のマンモス校であったものだから進級する際に新設された別の中学校へ振り分けられた。  
 入学当時には机のない生徒が立って授業を受けたり、一つの机を共有したりしていた。 それでもあぶり出た生徒たちは急きょ増設したプレハブ校舎を利用し授業を受けるようなありさまだった。そういう訳でまともな授業はできるわけもなく、新しく学校を新設して生徒を分散する必要があった。だから必然的に二年生に進級するときに僕たちは校区の違いで別々の中学へ進級することになってしまった。

手の届かない先にあるもの・・・3

 僕たちは駅のホームで再会する約束をしていた。中学一年の時以来会っていなかったから、どういうふうになっているのか分からなかった。ただ、駅のホームで僕たちは会う。そんな約束をしたのだった。それがいいことなのかそれとも悪いことなのか。僕にはそれが、そのときはわからなかった。ただ、成り行きを見守ることで解決を見出そうとしていたのかもしれない。

 腕時計を見てみると約束の時間を過ぎていた。僕は上り一両目とホームから見える階段を交互に目で追いかけた。彼女は本気で僕を見つけることができるのだろうか?そして僕は本当に彼女を探しているのだろうか?そんな複雑なことを思いながら、待てども一向に現れることがないことがかえって僕の気持ちをどうゆうわけか楽にさせていった。

手の届かない先にあるもの・・・2

 どうしてだかはよくわからない。それはとてももどかしくどうしようもない気持ちだった。
 会いたい。会えるチャンスは今日を逃すと永遠にやってこないことくらいはわかっていた。だから一目でも会いたい。そう思ったことにウソ偽りはなかった。だが、どうしても心の奥底で会いたくないというもう一人の自分が語りかけてくるのを僕は否定はしなかった。
 僕たちは同じ時代を別の時計を持って過ごしてしまったように思う。時計の針をいくら修正してもすぐにずれてしまい決して同じ時間を示すことはなかった。そんなズレを僕も彼女もうすうす感じていたのかも知れない。

手の届かない先にあるもの・・・1

 同級生たちがちょうど高校を卒業しようとしていた頃だった。僕は一人で日比谷線のホームで彼女を待っていた。行き交う出勤の人並みが押し寄せるとても寒い冬の朝のことであった。
 僕は地元の高校だったが、彼女は都心部にある有数の進学校へ通っていた。だから、わざわざ彼女が学校へ行く時間帯に合わせて駅のホームで待ち合わせをしていたのだった。
 忙しい朝の人の群れを静かに見ながら、僕は長い時間ホームに佇んでいた。そして考えていた。来るか来ないかはわからない。けれども、どこかで来て欲しい気持ちと来て欲しくない気持ちが複雑に入り混じっていた。

雨音の余韻・・・完

 やがて一時の忙しさも峠を越え売店の定位置に戻り、しばらく平穏な時間が過ぎていった。目の前には相変わらず激しい雨が降っている。
 客足も遠のきヒマであった。
「寒いですね」
 弁当売りのカオリが、ポツリとまた同じことを言った。
「そうっすね。あ、ジャンパーまた貸しましょうか」
「ううん、これでいいよ。あったかいから」
 風下に身を移し立ち寄り添うように二人は並んでいた。静かな暖かい雰囲気の中で、降りしきる外の雨を私はぼんやりとただ見ていた。
 テントの外はザーザーと容赦なく地面に雨が叩きつける。
 と、その時、なにやら暖かい感触が背中に伝わった。
 振り向くように目線を向ける。額を肩に置きカオリは私のジャンパーの中に両手を入れ背中を抱くような形で触れている。
「あったかい」
 そう呟いた。
「何してるんすか?」
「だって、すんごくあったかいんだよ、ユウジさんの背中。ちょっとこのままでいい?」
 言葉を失い私は降りしきる雨を黙って見ていた。
 カオリも黙って背中に両手をあてている。
「最近の若い奴はまったくもう。人目を気にしないっていうか。見ていられねえな。他でやってくれよ」
 弁当売りのカオリとコカコーラ売りの私は、同居した奇妙なテントの下で、周りからヒュー、ヒューとからかわられた。
 外は冷たい雨が何事もなかったかのようにザアザアと降り続いている。
 背中に伝わる額の重さと両手の温かさに、幾分雨も和らいだように感じた。

雨音の余韻・・・6

「ふー、ただいまー」
 テントの中の親しき住人たちにあいさつをすると、
「おつかれさま。寒かったでしょ。さあ、早く入って。すごく濡れているじゃない」
 モスグリーンのコカコーラジャンパーの袖をカオリが引き寄せた。屋内の暑さで乾きかけたジャンパーの雨をカオリがやさしくタオルではじいた。
「いやー寒いのなんのって、雨がばしばし顔にあたるっすよ」
 濡れた男の顔はきっとさまになるに違いない。イヌのように頭を振って雨を威勢よく弾き飛ばした。
「俺の大事なジャンパーがまた雨で台無しだな」
「そのジャンパーってあったかそうだね。私も欲しいな」
「これいいでしょ。内緒の話なんすけど、このバイトが終わったらくすねちゃおうと思ってるんすよ。なんか寒そうっすね。なんなら、よかったら俺のジャンパー貸してもいいっすよ。俺、またすぐ行かないといけないし」
「だめよ、そしたらカゼひいちゃうじゃない」
「なーに。平気っすよ。これしきの雨。もう働きすぎて暑いくらいだから」
「ちょっと休んで。今コーヒーあげるから」
「いいんすか?勝手に店のもの出して」
「だいじょうぶよ。ちょうどマスター店に戻ったとこだから」
「お砂糖とミルクいる?」
「じゃ、両方とも」
「なんか、お二人さん。アツいねー」
 テントの中の住人に冷やかしのヤジが飛ぶ。
 外の雨音はまだ激しい。一服付けると、薄着のカオリの手に脱いだジャンパーを手渡した。
「ほら、これ着ろって」
「でも」
「ほら、腕通して」
「ヒュー、あんまりアツいこと見せ付けんなよ」
冷やかしのヤジも語尾が強まった。
 また雨の中の現場を右に左にネコを押して走り回る。寒かったが雨に打たれた男の背中はきっとかっこいいに違いない。

雨音の余韻・・・5

 殺人的な仕事を超人的な速さで終え、すっかり軽くなったネコをほっぽり投げた。
 仕事ばかりでは芸がない。売店のコーラ売りで親しくなったコンパニオンのブースに立ち寄ってみることにした。そこで、企業の記念品を貰ったり、ステッカーを貰ったりする。実はこの無料でくれるステッカーや小物が欲しかった。バイト代ももらえステッカーも毎日もらえるおいしい仕事なのだった。当然、私の売り場にきたときはカップいっぱいにして渡す。時には無料にしてしまったりする。サービス精神も旺盛であった。だが、注意していないと先輩たちのチェックが入る。どうも、タンクから何杯売り上げることができるか、あらかじめ決められているのである。計算がかなり合わないことをよく責められた。それも、喉が渇いた時、勝手に飲んでいたのだから当然ではあるが。

雨音の余韻・・・4

 ネコという台車で重いコーラを山積みして押していくのだが、重量配分がすごく難しい代物であった。我々バイトのご身分では、なにかとコツがつかめない。痛い腕をかばう内、片方の腕に負担がかかり、それをまたかばうようにしてたら、今度は反対も痛めた。結局両腕に大きな青アザをこしらえてしまったというわけだ。道に段差があろうものなら渾身の力を込めてクリアしていた。見かねた先輩が、あきれたように軽々とクリアしてしまう。
 両腕は限界を超えていた。
「うわー、痛そう。だいじょうぶ」
「痛いっすよ、ったく、この雨で、やってらんねえな」
 外は人気もないが、モーターショーの中に入れば、忙しい勢いでコーラが売れていく。
「おい、バイト。ちょっくら行ってくるか」
「ちぇっ、ついてねえや。また、呼び出しかよ」
 赤い車で通りかかった先輩が応援しろと窓から顔を出す。
「忙しそうね」
「まあ、ね。さっきの社員が会場内のコーラを補充しろだって。なんでも飛ぶように売れていて人手が追いつかないらしいんだってさ。じゃ、ちょっといってきまーす」
 すたこら、また冷たい雨の中をネコでコーラを運び、売り切れになった自動販売機にコーラを補充する。
 会場では、美しいコンパニオンが笑顔で商品を説明している。それを横目で見ながら今度は舞台裏のコンパニオンの控え室でコーラのボトルを交換作業に入る。
 舞台裏は表とはまた違った風景を見せる。明るく笑顔を振りまくコンパニオンは華やかで眩しく、絶え間なくフラッシュライトを浴びているが、控え室の彼女たちは一応に無表情で地味な蛍光灯の下でシンと静まり返っていた。リラックスしたり寝ていたり化粧を直していたりとそれぞれです。まるでゴミのように雑誌や衣類などが散らばっていた。
 なるほど、こういう世界もあるものだと、コーラをセッティングしながら横目でチラチラと盗み見し思った。
「OKっす。セット完了しましたー」
「あーよかった。もうノドからからよ」
「もうだいじょうぶっすよ。またなんかあったら呼んでください」
 自分でかっこいいと思っていた。このボトルのセットの早業はほれぼれするぐらい早かった。バイトといえどけっこう慣れてくると早業を競ったりする。ボトルを何秒でセット完了するかバイト仲間とヒマなとき競争して遊んでいた。だからセミプロ級に仕事をこなしていく。

雨音の余韻・・・3

「ひどい雨ですね。よかったらこれどうぞ使ってください」
 白いタオルを弁当売りのカオリが差し出した。私が行ったり来たり、このひどい雨の中をずぶ濡れになってネコを押してヒーヒー言って仕事している光景をテントの中から観察していた。弁当屋はここだけを販売の拠点としているのですごく暇だった。
「すんませんです。ありがとう。じゃ、ちょっとだけ」
 憧れのコカ・コーラの専用ジャンパーがどっぷりと雨を吸い込んでいて超重たい。このバイトも実はこの憧れのジャンパーをくすねるためにしたようなものだった。モスグリーンのフランネルウールで仕上がったジャンパーには胸に赤くコカコーラのロゴが刺繍されている。暖かく重厚感があって私はすごく気に入っていた。そのジャンパーを脱ぎ、雨を絞った。風呂上りのように髪の毛もびしょ濡れだった。
「コカ・コーラのバイトって大変ですね」
 腕を擦りながら暇そうなカオリは寒さで体をこわばらせていた。
「しかたないっす。バイトっすから」
 雨で濡れた髪を拭う。
「弁当売れてますか?」
 見ればわかる光景も挨拶がわりに聞いてみた。
「ううん。ぜんぜん」
 それはそうである。この雨じゃ客は会場の外には出てこないだろう。
「寒いですね」
 カオリはさっきから足踏みをして寒さをしのいでいた。
「そうっすね」
 降りしきる雨を見ながら空を見上げた。濡れてしまった純白のタオルをカオリに返し、またコーラを仕込んだり、ボトルをセッテングしたりする。忙しさは弁当売りよりひどかったせいか、どっぷりと雨を吸い込んだフランネルウールのジャンパーから蒸気が立ち上っている。
「あー、腕が痛てえな」
「どうしたの?」
「え、見てくださいよ、この腕を。やたら重くって気がついたらこのザマっす」
 そう言って、コカコーラのジャンパーを腕まくりした。両腕が青アザになっている。

雨音の余韻・・・2

「いらっしゃいませー。お弁当いかがですかー」
 となりで弁当屋が大声で売りさばいているが一向に売れる気配がない。それもそのはずだ。外はひどいどしゃぶりで傘を差した人も急ぎ足で去っていく。

 その日は10月にしては冷たい雨が降っていた。
 晴海で開催されている東京モーターショーのコーラ屋でバイトをしていた。重ねたビンのケースをネコで押し指定の売り場まで持っていく。ネコとは業界用語で簡単にいうと台車とでもいいましょうか。重心を移動して押していく。その重心の位置が違うとモロに腕に重さが加わりとんでもない目に合う。
 東京モーターショー会場の特設野外テントの中では、仲良く私たちコーラ屋と近所の弁当屋が一つ屋根の下で同居していた。
 朝早く今日一日の売上予定数量を作り会場へ運んでくる。土曜、日曜には飛ぶように売れていき、午後の3時にはすべて売り切り閉店する。しかし、思いもかけず天候に左右されると予定した数量の半分も売れない。今日みたいに日曜でも寒い雨が滝のように降っていたんでは人も外へ出ず弁当も冷たくなるばかりだった。
 午後だというのに弁当屋には日曜のために用意した弁当が山のように売れ残っていた。
 私たちコーラ屋は紙カップ売りで、コーラやファンタ、それに烏龍茶などを売っていた。当然コーラも買いにくる客はまばらで、ほとんどは室内の自動販売機や室内売店を利用していた。私は何度も先輩社員に呼び出されて、ネコを押しながら室内売店や自動販売機の補充で目が回るほど忙しかった。