サボリ通信

サボリ通信

大村幸太郎ブログ

今年は様々な展覧会に足を運んでいます。 前の記事でご紹介した世界報道写真展はじめ、次いで日展へ。年が明けてからは院展など巡りました。
 この期間中何故だか見たい展覧会が集中してしまい中にはスケジュールの調整が合わず終了してしまった展覧会もあります。じつに名残惜しい。


 どの展覧会も本当に素晴らしく、一展ずつブログ記事にしたいのですが、やはり書く時間が大変なため今回は各展から作品を絞り感想を書きたいと思います。


 作品鑑賞の楽しみは作品の技術や表現力もさることながら作者がそれを描くに至るまでの動機、または長年作り(描き)続けている継続力なども魅力の一つです。


最近の展覧会では説明付きのキャプションやQRコードも用意されているので作品の意図や作者の思想がわかりやすくなっています。


 作品を作ったり表現するには原動力が必要です。 その原動力は作家さんによって多様、それぞれに感性や出自が関係してきます。 そうしたルーツを加味しながら鑑賞するとより作品が滋味深く楽しめるのではないでしょうか






まずは昨年末訪れた京セラ美術館で開催された第11回日展から見ていきたいと思います。










 

洋画/Silence

作家のことば
 静謐な空間の中で微睡む女性。あまりの静けさに思わず息をのむ。牛頭骨と女性の間にある深い沈黙を描けないだろうか…。


 タイトルも含め作者は沈黙・静けさに興味を持っているようです。ことばにもあるように女性と牛骨の間に本当の沈黙があるという考えが興味深い。 きっかけや意図は分かりませんが沈黙の意味を追い続けている画家さんのように感じます。












彫刻/彼岸花

作家のことば
 この時期、突如咲き誇る赫い花に、亡き友人を想う。生者にとってこの世界が美しくあれと願うのと同様に、死出の旅路にも美しい花が咲いていますように。
 その足どりが、花を踏むように浮遊する造形を、静止する立像として表すことを目指した。墓標であり葬列であり、死者であり生者である彫刻として。


 友人の死をきっかけに制作された作品。墓標の意味も込めているようですが、ずっしり重いものではなく浮くような表現に。 自分なりの死生観は作者の友人への気持ちに繋がります






続いては
美術館えき で開催されていた。小松均展











 小松均の言葉にはよく"無我と自我"という思想がでてきます。それを意識することで線が太くなったりするようです。 仏教に惹かれてもいたようで宗教が描くための動機になっているように感じました。








次いで


 

院展より















 

日本画/遠い思い出 灼熱の詩

もう60年近く前になりますが、私は10カ月程アフリカナイジェリアに滞在したことがあります。その時描いた写生をいつか作品に仕上げたいと思っていましたが、なかなか機会がありませんでした。ところが何故か、急に今でなければ作品に出来ないのではないかと思い制作することにしました。灼熱の中汗まみれになって見つめた光景が今でもはっきりと思い出されます。 キャプションより-


 何年も前の風景が時を経てある日突然描きたくなることもある。きっかけは時に衝動的です。その気持ちに逆らわず意味も求めず描きたいという自然体の心で描かれています。 逆説的に言えば描きたいと思わなければ描かなくてよいというのも考え方。














日本画/暮れなずむ


富士山をめぐり昨今登山問題等いろいろ話題が多い。
富士山は昔から神の山と人々から敬われており、登るのでなく麓から畏敬の念を持って敬う山岳信仰である。
特に暮れなずむ頃の富士の山は一段と荘厳な山容でもある キャプションより-

 富士山は登るより麓から敬うという山岳信仰から描かれた作品。 近年の混雑やトラブルからメッセージとして描いたのかもしれない。一見して見ぬけない社会的なテーマも作品の中に隠れています。












高島屋画廊で開催されていた
樋口邦春展より






 

 

 




鳴門海峡の渦潮をテーマに作陶を続ける樋口さん。 四国は氏にとってもゆかりのある大切な場所。自身のルーツが形を生み出しています。











次は

京都伝統工芸大学校の卒業制作展から

 

 

 

 

 

 



木工/dining chair 

 



 

作者が大好きなプロダクトデザイナーの作品から着想を得て制作した椅子。 憧れはものを作り出す動機となります。









 このように作品を作るきっかけは作者によって様々です。 楽しくて作る、好きだから作る、それも動きっかけの一つですが、より惹かれる作品にはそれ以上の何かが隠れているように感じます。










 最後は先々月の新聞にピックアップされていた記事から-阪神淡路大震災で被害を受けた、あるアーティストの”きっかけ”




 当時学生だったAさんは震災で自宅は全壊し、親戚を頼って叔母さんの家に単身住ませてもらうことになる。 そこでは取りつかれたように毎日絵を描き続けていたそうです。
 30年経ってAさんは現在アーティストとなり制作を続け活躍をされています。 地震があったことに対しては、その時は進学もできず抗うこともできず全てに'諦め'を持ったが、その中でも最善の選択を選んでいかなければならなかった。
諦めてもそこから逃げず、今ある選択にしっかり向き合ってその時々を選んできた、それが今の私に繋がっています。  

 そのように書かれていました。 

 

そして現在では地震があったことは決してよくないことだがそれがあって今の私がいる。それは良いことに繋がっている
そうとも仰っていました。


人生とはわからないものです。 地震の被害を受けた時はそんな気持ちは微塵もなかったはず、 

 負なるもの全てが正となるわけではありませんが、今の自分が少しでも大切に思える人生であってほしい。すぐでなくても諦めた人生であっても、いつかそんな風に思えるように

 

 

 

漂えど沈まず、どうぞ今日を大切に

 

 

 

text/11/Mar/2025

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

ご挨拶が遅れましたが本年もどうぞよろしくお願いいたします。
旧正月中ということで遅ればせながらご挨拶とさせていただきます

スタートは昨年のネタになりますが世界報道写真展から  日本の正月はとうに過ぎましたが中国では今がお正月。 日本での当たり前、私たちの当たり前は実はそうでもない。世界から見ると
いや、日本の中でも焦点を絞れば見えてくる別世界があるのかもしれない。  それは社会の問題、課題でもあり、私たちも無関係ではないのです。
 それを言葉ではなく音楽でもなく、写真で伝える。それが世界報道写真展です。

 

 

 

 

 

 

 

京都展は京都新聞社・地下印刷工場跡にて開催

 

 

 

 

 



以降は僕が気になった写真をピックアップしました。
 

                                       

 

 



石油さえあればその国は幸せ。というわけでもない 

 

写真に写る家族は諦めなのか、もしくはあえて楽しもうとしているのか 彼らの胸中は分からない、が、そんなどんよりした空気が迫る炎によって混沌さを漂わせている。 
 国の情勢を伝え、そこに生きる人々の心情までも一枚で表現していると思う。 一目見て凄いと思った。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

採取しつくした石油採掘跡で遊ぶ少年。 こんな未来少年コナンのような世界が現実にあるなんて   そして何故この写真に美しさを感じてしまうのだろう










 

 

 

 

 

 

 







 

 


余命宣告を受けたジウアーは死に向き合い家族に向き合い、そして自分に向き合う。 写真とは何だろうか?そんな事を考えさせられる作品。
 写真は記録であり、遺品であり、行為でもある。 一つの儀式ともとらえられるこれらの記録は写真というジャンルだけに留まっていない。  残った家族が見る先は彼女が死して与えた”未来”が写っているのかもしれない








哀しみという形があるならば

 





まるで絵画のようだ。しかしこれは写真。争いが作り出した現実のものだ。 写真や表現、芸術は社会と繋がっている、そうでなければならない。そして何てことかその社会との繋がりがこの美しさをも感じる写真を写してしまった。僕はこの写真は作品だと思った。
 しかしもしこの写真の人たちと同じ立場にいたとしたら僕は真っ向からこの写真を否定し拒否するだろう。








 

 

 

 

 

 

 

 


写真は感じるものでもある。社会やあなたが抱えていることに共鳴してくれる一つのツールでもあるのだ。 









 どんなものもアートや表現となりうる今の世の中に”これは作品だ”と呼べるものはいくつあるだろうか。 翻って僕が作るものに何が残るのだろうか

 



社会との繋がりこそがはじめて作品を生み出す。そのことを忘れずにこれからも僕は作品を作るだろう。 

2025 -年の初めに

 

 

text/30/jan/2025

 

 

 

  色々あったのか無かったのか、早かったのか遅かったのか、なんや答えもわからないまま2024も残すところあと一週間ちょいとなりました。

 なんや新聞を読んでいても悪いニュースが殆どでウンザリしてしまいますね。
僕のように相変わらず半分引きこもりのような職についていると世間様との乖離が過ぎるのでせめて新聞だけでも読んで社会と繋がっていなければ思って読んでいますが。
皮肉なことに2024も悪いニュースが多すぎて読めば読むほど落胆している自分がいます。

 そういえばもう亡くなりましたがうちの祖母も毎日隅から隅まで老眼鏡をかけて新聞を熟読していました。似てくるものなんでしょうかね
今日みたいな冷え込む日にもストーブでヤカンを沸かしながら湯気の向こうに新聞を読む祖母の姿を思い出します。

僕のおばあちゃんは優しかった、そしてすごい強い人でした。
 今年最後のブログはうちのおばあちゃんのエピソードを一つ語ってみましょう。

 僕の祖母はいわゆる昭和の、いや大正生まれだ。大正の女性です。
まあその頃の日本はとくに亭主関白、家父長、父兄主義なので僕の家もそうでした。父はそうではないけれど、じいちゃんはキレるとなんせ恐い。 怒る祖父を前に身を呈して祖母が僕をかばってくれた事を覚えています。 鬼の形相だからマジで恐かった

 んなこと含めその他色々なことから僕はじいちゃんが嫌いで、晩年も離れに住んで居たけれど出来るだけ近寄らず疎遠にしていたと思います。
 しかし祖父の没後僕がこの仕事について、覚え、こなし始めたころ祖父の描いた図案が見つかり(着物の図案家だった)その技術の高さに表現力、レベルの高さに圧倒されました。私は手のひら返したように一気に尊敬の人として崇め奉るのでした。
マックも何もない時代にグラフィックデザインのような図案を手描きでやっていて、圧倒的な実力の差にショックも受けました。 とても真似できるものじゃない、だから僕も先代を追っかけるのでなく自分なりの方法を見つけられたのですが。

いや、じいちゃんの話じゃない。
うちのおばあちゃんのエピソードでした。 

図案の腕は最高でも私生活では最悪だから祖母はまさに昭和の女、耐えに耐え抜いて暮らしてきたのだと思います。

 ※晩年耐えられずついにケンカをして家を飛び出した事があった。 叔母の家にいたらしいが、あれは実に愉快だった。

そんなおばあちゃん。 
確か僕が高校生のころ母屋から離れの家へ呼ばれたのでいってみるとトイレが詰まって溢れかえっていました。
ズッコンバッコンやっても変わりないので、原因はどうも裏の下水管が詰まっているようでした。案の定、裏の下水道の蓋を開けてみれば木の根がはびこり排水溝はふさがってそこにウン◯が溢れていました。

 蓋をあけて思わず僕は、"うわ汚い!どうしよう"とおののいてしまった、慌てている僕を余所におばあちゃんは急に横から入り込み、”堪忍ね、汚いね、堪忍な"、と言いながらなんと自ずから物怖じもせず素手で糞を掴み払いのけて木の根をみるみる剥ぎ取っていきました。 
いつも穏やかな祖母が人が変わったように一心に糞付きの根を削いでいく姿に僕は圧倒され、ただ立ちつくして見ているだけでした。自分自身が情け無いやら泣けるやら臭いやら道具使えばもっと楽にやら色々な感情があったのだけれども、僕は祖母のその姿に甚く感動していたのでした。

 糞まみれになって一心に根っこを剥ぎ取ったおかげで見事下水はスムーズに流れました。 安心したようなその糞まみれの祖母の姿はもの凄く愛情に溢れていて僕は"これが親の姿か、母親の姿か"と心に焼き付きました。

 この人は槍の雨が降ろうがもっと沢山の糞の雨が降ろうが血だらけになりながら僕を守るんだ、そういう確信ついた出来事でした。 

そのシーンは今でも強烈に覚えていて人生の中で格好良い光景の一つです

だから僕もそう育ちました。おばあちゃんから教えてもらった。身を呈して子を守らない親は親じゃない、

 昨今の新聞を見ていると児童虐待、親と子どもに関する良くないニュースが必ず目にはいります。
どんな理由であれ、子を守らない親は親ではない。自分の責任を子に押し付けることも親のすることではない。それは大人になっても同じ。子どもを苦しめる親は親では無い。 
 このブログを読んでくれているあなたがもしそんな親と子の関係に該当するなら聞いて欲しい

 あなたの親が心を入れ替えて変わらないのであれば、それはなんのためらいもなく親を棄てなさい、逃げなさい。その覚悟を持てばその先には必ず本当の家族が待っている、身を呈して守ってくれる人が必ずいます。

 そして子に押し付ける親のあなた、あなたは一人で生きろ。一生懸命生きて一人で全てをやってみろ。 その姿が糞まみれになっても美しく映ることがあればその時はじめてあなたは親になるのだ。



text/21/Dec/2024


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