夜中に音が鳴っても、

部屋を見渡すことはない。

体の中から出ていることが、

わかっているから。

時々

飲みかけのグラスや、

つぶれたカバンが、

私に共鳴して、

同じ音をさせている。

いつか砕かれることを、

引き裂かれることを、

ひっそり待っている。

窒息しそうな深夜を耐えて、

ブルーとオレンジが混ざった、

薄く輝く朝日によって意識を紛らわす。

また、音が聞こえてくる。


いつか、つんざくような音の刃(は)で、

粉々になってしまいたい。

おばあちゃんは、なかなかやりおる。

昨日は、


「あんた、どこのマスカラ使ってんの?」

と若者アイテムを取り入れる気満々だったし、

今日は、

「料理つくれるかって男に聞かれたら?
そりゃあ出来ないっていうのさ。
本当は出来るけど、そう言うのさ。
そして少し下手に作ってこう言うのさ。

『作ったことないけど、あなたのためにがんばって作ったの』

ってね。
料理できます、得意料理は~なんて馬鹿なこというんじゃないよ」

と言っていた。


ばばあ…やりおる。
9月1日
引っ越したくなる。
もう4年もこの場所にいるし、他県にいきたいなぁ、みたいな。
友人につげる。

「男の次は家を変えるんですか」

まず、慇懃無礼なその物言いに腹がたつ。

それから、
なかなか図星で自分にも腹がたつ。

9月2日
住んでいる部屋が1LDKかと思いきや実は3LDKだったという夢を見る。
さっそく占う。
増えていたのが仏間だったので、そのまま調べるが見当たらず。
部屋、で調べると、部屋が増える、という項目を見つける。
意味は、人間関係が増えること、または人恋しさ、とあった。
たしかに人恋しい。
この夢をよく見るとは言いづらい。

9月3日
先輩との約束に遅刻する。
メールで遅れると伝えると、

「あせったり走ったりしなくていいよ」
と言ってくれたのに、
走って階段で転ぶ。
「転んだ杉田さんと合流する俺の身を案じて、
メールしたのに、案の定…」

とがっかりされた。
その後白い服に醤油を飛ばす、
レジ前で小銭をばらまく、
などベタな展開を繰り返した。

「いいよ、いいよ。
そういうリスクはしかたないと思っているよ」

彼がやさしいのかそうでないのか、もはや怪しい。

いや、やさしいはず。


9月4日
顔を蚊に刺される。
起きているのに。

晴れた頬をみて、

「愚鈍すぎる。
寝ている間ならまだしも。
そして、この蚊も弱った9月に刺されるなんて…。
信じられない」

そう言ったのはかつての恋人で、
私をごみのような目でみていた。
この人が一瞬でも私を好いていたなんて、
もはや怪しい。

8月23日
中学の同級生(男子)から、やせて本当によかったね。本当に。
本当に…あのままだったらどうしようかと…
と言われる。
帰りにティラミスを注文するが食べきれず、
彼はそれを食べながら、

「いい傾向だね」

と、しつこく太っていた過去を思い返していた。


8月27日
映画を見に行く。
同い年の友人が、学生証の提示を促され、
続いて窓口に行くと有無を言わさず、大人料金を請求された。
学生でもおかしくない年齢なのに…と悔しく思いながらも、
こんな時のために隠し持っていた学生証(期限切れ)を使って溜飲を。
よいこは真似をしてはいけないし、これで最後にしようと心に誓う。

8月28日
昔付き合っていた大人の彼に遭遇し、記念にする。
おばあちゃんの、
「最近はコンビニでだって買えるんでしょう。
ちゃんと避妊してしなさいよ」

と言う言葉を思い出す。
ちゃんと、が避妊にかかるのか、しなさいにかかるのかは、
わからないでいたほうがよいような気がしてその日を終える。

8月29日
秋を小物から表現したい、と突然ファッションのなにかしら(神的なもの)に促され、
靴と帽子とバッグを購入する。
気に入ったものと奇跡的に廻り合い、感動していると、友人に、

「蝶子ちゃんはお金がなければ、節度もないけど、
とりあえず楽しそう」

と、なんとも言えぬ表情で告げられる。
いい意味にとらえると、そういうとこがね、と今度は確実に嘲笑っていた。

8月30日
美術館へいき、その足で友人宅へ行き、例えばの話をする。
自分を好きだという、話が合い自分をよく知るA。

見た目が好みで、数回話したことのあるB。

どちらかと付き合うかとしたら、どっち?

という例え話。

Aと付き合えばおそらく結婚が、
Bと付き合えばおそらく破局が予想される。

「たださ、
よく知るAのことはさ、よく知ってるじゃない?
Bのことは知らないじゃない?でも、そうなると知りたくなるじゃない?」

「まぁ、最初はね」

「知りたいじゃないの。
どんな服を来ているのか、妹はいるのか、どんな乳が好きで、照れたらどんな顔をするのか」

「はぁ」

「うちへ連れてきてさ、隅から隅までみていたいじゃないの!あの首筋を舐めてみたいじゃないの!」

「そこまで体が好きかね」

「好きよ。
中身はなにも知らないけど、ここまで熱くさせるほど好きな体なの。でもね」


「なによ」


「別れることは想定の範囲内。

だって、知らないんだもの。だって、いつものパターンなんだもの。

すらっとした黒髪系?

だらしない女が嫌いそうなかんじ?

最初はぶりっこしてる私を好きっていうのよ。

そしてだんだん仲が良くなるにつれて私のわがままや自由な行動に苛立ちをつのらせ、

こらえてこらえてある日爆発するの。

それに対してなんだか冷めてしまった私が、

あ、そう。でも、受け入れてほしかったの。

といってなんとなぁく別れるパターン。そのパターン。

あるあるですよ。想定の範囲内ですよ」


「じゃあ、Aにしたらいいじゃないのよ」


「馬鹿か!

私の脳みそは中2男子と同じだよ?

別れるとわかっていても、

いつも見守っていてくれた小うるさい幼馴染、

よりも、

ちょっとエッチでわがままな部活の先輩女子、

に惹かれれうがごとく、

AよりもBを選んで破滅するわよ。

ユウスケだって、歩じゃなくてバディ子と付き合ってたし!」


「そうだけど、もううちら高校生じゃないじゃん。

どちらかというと真山くんが言っていたとおり、

俺の年には母さん子供いたんだなぁ的な年齢じゃないの」


「それは・・・しかし」


というたとえ話をした。

たとえ。あくまで。

春雨が、とても冷たくて悲しんでいるのがわかった。自分自信が。

「いいこだと思う。会って間もないかもしれないけど、
陸を好きな気持ちは本当なんだなって思ったし、
明るくて話しやすいよ」

「そっか。考えるわ」

陸はそのまま、買ったばかりの自転車をゆらゆらとこいで帰っていった。

小中学校と、一緒に過ごしてきたから、きっとよくわかりあっているのだと思う。
例えば、女の子の好みなんかもわかる。

高校で同じクラスになった由香子は、陸のタイプではないと思う。
だけど、由香子にとって陸はタイプだったらしい。
電光石火まさにといったかんじで、由香子は陸に付き合ってくれといったらしい。
自転車が壊れて、帰れないわたしを、隣の高校の陸が迎えに来てくれたときに知り合って、
気づくと好きになっていたみたいだ。
気づいたら好き、という感覚は、わたしだって知っている。
だけど、早すぎないか。どうして陸なの。
由香子を問い詰めたい気持ちでいっぱいになる。
だってわたしは陸をとっくの昔に気づいたら好きだと気づいていたのだから。
だけど、陸と私は友達だ。
高校生活もうまくやりたい。


「今、女の子に興味ないっていってるけど、がんばって」


由香子の相談にはそう答えた。

だけど、がんばりすぎじゃないか。
こんなにすぐ告白するなんて。終わった。わたしの片思い。

夕方から霧のような雨が降った。
テレビから放たれるカラフルな光が、ただただわたしに写っていた。
涙がこぼれ落ちそうになったときに、電話がなった。






「濡れてるじゃん!何で来たの」

「そこまで姉ちゃんの車。でも彼氏来たからって帰った」

「ちょっとぉ。タオルとってくる」

赤い傘を渡して家に戻ろうとすると、
濡れた熱い手で手首を捕まれた。

「俺、断ったんだ」

「え」

「断ったんだ」

少しうつむいて、力なく陸が言った。

「なんでよ、あの子クラスで1番くらい美人だと思うよ?」

「うん。すごい美人だけど」

「断るのは、悪いことじゃないんだから落ち込まないでよ」

「うん。でも、泣いてたよ。ごめん。気まずくならない?」

「ならないって。わたし、性格いいし、やさしいし」

「自分でいうなよ」

笑うと、痩せた頬にそって、ゆっくり雨の粒がつたった。

「もう、二人して濡れちゃったじゃん」

私は意味のなくなった傘をたたむと、それで陸のおしりをばんっと叩いた。
これから誰が陸と付き合うことになっても、
この繊細な人をわたしはずっと好きでいよう。


「うちまで送ってよ」

「ふつう、男子が女子を送るものなのに」

文句をいいながらも遠くに出た月の下をドキドキして歩いた。

「夜の天気雨か」

「きれいだね」

陸はわたしの手から傘を取ると、
二人の間に広げた。

「相合い傘」

「わたし、初めてした」

「ださ」

「傘、もう意味ないし」

「いいじゃん友情だよ」

「友情かぁ」

「なんだよ。不満?」

「わたし」

「何」

「陸のこと好きなんだよねぇ」

「えっ、陸のこと」

「わたし、陸のこと好きなんだよ?
別にどうこうしようってわけじゃないけど。
ってか、自分で陸って言っちゃって気持ち悪いよ」

「えー」

「ちょっと濡れちゃうじゃん」

傘を持ったまま飛び退いて驚いた陸から傘を奪う。

「だって、えー、だってさ」

「だから、どうしろってもいってないんだから、いいじゃん別に。今のまま死ぬまでいこうって」

雨に思い切り濡れたせいか、すごく爽快だった。
たじろく陸には悪いけど。


「じゃ、付き合う?俺と…」

「は?」

「だから、俺と」

「だって陸、かわいい子が好きなんじゃないの?ああ?」

「なんで怒んだよ」

「あたし、由香子みたいに美人じゃないし、悪いけどあんた好みじゃないから」

「え、でも、付き合おうよ」

「なんで」

「いや、ほら」

陸は何かを思い付いて笑いだす。

「何よ」

「性格いいし、やさしいからさぁ」

「ちょっとあんた、バカにしてんの」

「待って」

笑った陸が傘のなかに入ってくる。

「愛情の、相合い傘です」

「調子よすぎ」


それは自分もか、と気づいて笑ってしまった。

春雨が、月でできた影にやさしく降っているのがわかった。
下準備をすませて、包丁を置くと、
凝り固まった体をぐーっと上に伸ばした。

「んー、よしっ」

ランチタイムを終えて、これからやっと昼飯だ。
今日は意外と混んだから、やっとの休憩にほっとする。


「やすお」

兄の慎一に呼ばれて振りかえるとにやにやしながら言った。

「りょうちゃん来たぞ」




俺のうちはレストランで、といっても、
星がつくようなんじゃなく、
死んだ親父が始めた洋食屋で、
かあちゃんと慎一と俺で回す、家族経営だ。
この商店街じゃごくごく普通の店構え。
もうじき、弟が専門学校を卒業して店に入るから、
その頃にはもう少し、儲かるようになっていればいいのだが。


「ねぇ、やっくん一緒に水族館行こうか」

「だめ。次の休みは勉強会だから」

「じゃその次」

「その次はお前ん家の壁塗るんだろう?」

「そうだった。壁やめて、水族館いっちゃおうか」

「だーめだって」

エプロンの真ん中についたポケットに両手をいれて、
涼子がこどものように口を尖らせる。
連れていきたいのはやまやまだが、そうもいかなかったりするものだ。

「っていうかばあちゃん大変だろ。店に戻れよ」

「こんなこというんだよー。どう思う?けんちゃん」

「ひどいよねぇ。彼氏失格ー」

「彼氏失格ー」

ドアの後ろから弟の健が顔をだす。

「お前、いつ帰ってきたんだよ」

「さっきだよ。うちで一緒にお茶したんだもんねー」

「ねー。
りょうちゃん、やっくんじゃなくて俺と行こうよ。」

「そうしようかなぁ。
けんちゃんのほうが小さい頃から女心わかってるかんじだったしぃ」

二人は見せつけるように、お互いの髪を指でいじりながらちらちらとこちらをうかがってくる。

「りょうちゃん、俺と付き合っちゃおうか」

ちゅーといって、二人が顔を近づける。

「おい」

「うぇ」

健の襟首を掴んで引っぱった。思い切り。

「やり過ぎ。調子乗りすぎ」

「なんで俺ばっか」

「涼子もよけろよ」

「えーだって」

「健はもう子供じゃないの。男なの。
部屋入ればAVばっかなの」

「きゃ」

「健ちゃん、女の子みたいな顔してても男の子なのね」

「うん。男の子なの。
だから子供作れちゃうよ。一緒につくろうか」

「だからやめろって」




昼飯を食うために奥に繋がる茶の間に行くと、
涼子もそれに着いてきた。

「お前、店は?」

「今日はばあちゃんに任せたの。
何かあれば電話来るよ」

「電話っつーかでかい声で呼ぶんだろ」

涼子の家ははす向かいにある花屋で、
両親が継がなかったからばあちゃんのあとを涼子が継ぐことになった。
二人でやるのがちょうどいいくらいの小さくてかわいらしい花屋だ。

「水族館くらい連れてってやれよなぁ」
向かいに座った慎一がいった。

「慎ちゃんもっといってあげて」

「休みがないの。慎がが遊んでばっかいるから」

「え、そうなの?」

「そんなわけないじゃん。俺は恭男とりょうちゃんの恋を応援しているのだから」

まかないのかつカレーを食べながら、
慎一は得意げに微笑むと、涼子もうれしそうに笑い返していた。

「でもなぁ」

「なぁに?」

「かわいいりょうちゃんを遊びにもつれていかないアホな弟との恋を応援してもよいのだろうか」

またはじまった。

「妹のようにかわいいりょうちゃんだよ?
いくら弟とはいえ、そんなけちくさい男の子にはまかせておけん!よってだ!」

涼子はほかんとしながらも慎一の話をまじめに聞いている。

「ここは兄である俺が責任をもって水族館へつれていき、
ひいてはお嫁にいただくというのはいかがだろうか!」

カンと音をたててスプーンをもったこぶしを机に落とす。

「ごちそうさま」

「恭男」

「やっくん」

「付き合いきれん」

食器を流しにもっていったところで着替えた健が上から降りてきた。

「あれー?俺のかつはないの?」

「かつはまかない。
我が家の夕飯はカレー。働かざる者かつ食うべからず」

「かつカレーがいいよぉ」

「かつはもう食っちゃったの」

「あるじゃん!一枚あるじゃん」

「これは涼子のおみやげ用なの」

「やっくん」

思わず言うと、涼子がよろこんで立ち上がる。

「やっくんのかつサンド大好き。っていうかやっくん大好き」

二十歳をすぎてこの無邪気さは問題だと感じながらも、顔が赤くなってしまった。

「なんでやすおなんだよ」

という慎一の黒いつぶやきと、
健が踏む足の痛みなど気にせず、
隣でくっついてくる涼子にかつサンドをつくってやった。
左利きの男の子をみると、
わりと簡単に好きになっちゃうよね。
実家から帰ってきて、数日ぶりに我が家のリビングに入ると、どこか気恥ずかしいようなそんな気持ちになった。
幼馴染みに再会したときのような、照れとほっとするかんじ。

「おかえり」

「ただいま。なにかあった?」

「いやぁ、平和だよ。いつもよりね」

Tシャツと半パンすがたの夫が、頬に枕のあとをつけていた。

「寝てばかりいたんでしょう」

「たまの休みくらいいいじゃない」

「それ、休みの度に聞いている気がするけど」

鞄を置いて、湯飲みに手を伸ばすと違和感があった。
普段のではなく、お客様用の湯飲みが洗われて置かれていた。

「ねぇお茶入れたのー?」

キッチンからリビングにいる夫にたずねた。

「いやぁ」

持ち上げると、そこに水でできた丸い輪浮かんだ。

「お茶、飲むの?」
「いれてくれるなら、もらうよ」



ゆっくりと時間をかけて、丁寧にいれたお茶を夫に差し出した。
のっそりと体を起こすと、
不自然な体制のまま受け取り、飲んだ。

「うまいね」

「そう」

私はソファに腰をおろした。


「今日は何をしていたの」

「別に普通だよ。ゆっくりのんびりごろごろと」

お茶をのみ終えて、また横になった夫のむき出しになった足は、
年のわりに引き締まり、
形よく伸びていた。
髪型も、気を付けているのか若々しくて、
まだこの人を男性として意識する人はたくさんいるだろう。

「誰が来たの?」

夫は、家事をよく手伝ってはくれるが、
洗い物はしない。
夜中に飲んだのであろうコップが水洗いされて、
逆さにされずに水をためているのを、
私はなんどもうっとうしく思いながら洗い直した。

「誰も来てないよ。この格好だよぉ?」
「その格好でも会える人なの」

男の人は、かわいそうだ。
家庭にはいると飼われた動物のように、
同じ器で同じ食事を、同じように与えられる。
幸せに似た繰り返し。
私も実家で母に甘えたばかりだからよくわかる。
見えないうちに、自分の意思とは違うまま、行動を促されるのだ。
水を飲むのはガラスのコップ。
お茶を飲むのは緑の器。

綺麗に洗われた青い湯飲みが警告の光を灯していた。
きっと対になるったもうひとつの湯飲みが、
食器棚の中でまだしっとり濡れているだろう。


「若いときって、何でもお揃いが好きなのよねぇ」

私は低く呟くと、自分の手に馴染む湯飲みに、
吸水に残ったお茶を注いだ。

深く渋いグリーンが目に染みるようだった。
浴槽にあいた小さな穴。
そこから伸びた気配に、
足をとられて窒息した。

流れたはずの、
何かに、
引きずられて溺れた。


体が液化して穴を通り、
ろ過されて、
雨になることがあったら、

また、
穴に落ちたい。