本音は言ったほうがよいケースもありますが、正論だから、言論の自由だから、といってなんでも全て言ってよいわけではないと考えています。
今はSNSが発達していて個人の意見をなんでも発信しやすい世の中。
だからこそ「言わない選択肢」も考えてみてほしいです。
ここではわかりやすくするため「体型」を例を出してみます。
とてもふくよかな人(あるいはとても痩せすぎな人)がいたとして、本心ではその人のことを「ふくよかだなぁ(痩せすぎだなぁ)健康のためにもっとダイエットしたほうがいいのに(もっと食べたほうがいいのに)」
と思ったとします。
でも、「太りすぎだからダイエットしたほうがいいよ、(もっと食べたほうがいいよ、痩せすぎで不健康だよ)」などと相手に伝えたらどうでしょう。
たとえそれが正論だとしても、とても傷つきますよね。
自分の体形について一番分かっているのは本人です。
ダイエットしたほうがいいことも、あるいはもっと食べて肉付き良くしたほうが良いだろうことも、一番本人が分かっています。
でも分かっていてもできない場合があるんです。
体質や病気や環境、様々な背景が存在しています。
それなのにそれを他人に指摘されるのはとてもつらいこと。
まさに「大きなお世話」です。
長く生きていたら、その「正論」を言っていた本人が逆にその立場になることもあります。
その時にはじめて自分の愚かさを知ることになります。
「ああ、あの時自分は人にああいう風に言っていたけれど、同じ立場になってみたらこんなにつらいことだったのだな」と。
分かりやすくするために「体形」を例にして書いてみましたが、これはすべてのことに通じることです。
ある人が「できない」ことにある背景にもっと想像力を持ってもらえたらいいなと思うし、「言わない」という愛ある選択肢も時には考えてみてほしいなと思います。
他人への愛ある想像力や選択は、いつか自分自身にも還ってきます。
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