ご無沙汰しております。書きたいことは色々あったように思いますが、このタイミングになりました。

今年最初、令和になって初めてのブログです。

京都アニメーションの放火殺人事件、少し前にあった、学園送迎バス襲撃事件など、日本でも1個人がテロを起こせる時代になってしまったように思います。

神仏はなぜ、罪もない人たちの命を奪うのか?また、凶悪犯を生みだすのか?

被害者には夢も希望もあっただろうに・・・どれだけ苦しくて、辛くて悲しかっただろう。生きたくても生きられない人がいる中、人生の暗黒期にいる自分の命の重さと価値を考えます。

1個人が起こすテロなんて、巻き込まれた人は避けようがない。世界的に見て治安が良いと言われる日本でも、この有様なのだから。

今回の京アニ事件で、犯人と知らずに、救助の手助けをした近隣住民の方がいます。「1人でも多く助けたい」そこにあるのは純粋な善意。誰もが持っている(と信じたい)助け合い精神だと思います。犯人を助けた人に伝えたい事があります。

「どうか、犯人を助けなければ良かったと悔やまないで。あなたは人として正しい事をしたのだから」と。

人に危害を加えるのも、救うのも「心、精神」という名の「脳のメカニズム」。

「正しくない人たちの行動」の結果、私の脳のメカニズムも長い間、狂っています。いつか私も凶悪犯のようになるのでしょうか?  それとも事件を知って、被害者を悼む気持ちがあるうちは大丈夫でしょうか?

とりあえず今は、こんな命でも惜しんでくれる人たちの為に、生きようと思います。

理不尽に命を奪われたり、傷つけられて心身ともに苦しんでいる全ての人々に、心から哀悼の意を・・・