難しい「判断」

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不育の人が集まるとあるHPに


複数の病院で同じ検査を受けて、結果がバラバラの時、
患者はどう考え、どう決断すればいいのだろう?


と、いうようなスレッドが出た。


最初の病院で抗CLIgMが陽性になり、次回の妊娠では不育として、それなりに治療を施した方がいい、と言われていたが、転院した病院で再度検査したら陰性。納得できずに別の大学病院でも検査してみたら陰性。

第三者にどうしたらいいのか意見を求めていた。


凄いのは、それぞれの結果を出した臨床検査の会社を調べていた。

どうやって調べたんだろう?

個人的に非常に興味があったので、それぞれの会社のHPの検査の内容を見た。(見たって判るわけではないんですけど(^^ゞ)


私なりにつかんだのは、陽性と陰性が出たそれぞれの会社の検査方法が違うという事。

陽性が出たのはELISA法。陰性が出たのはEIA法。

この違いは?検査方法によって、検査値のぶれはあるんだろうか?どちらかが新しくて精度がいい、とかはあるんだろうか?

でも、自己免疫の検査だから、「陽」か「陰」かの正反対の結果が出るのは変な気もするし。

(どなたか、ご存知の方、教えていただければ嬉しいです。m(__)m)


ご当人にとってはとても深刻な問題だけに、素人が聞きかじった知識でああだこうだ言ってはいけないような気がした。


ただ、以前から感じていた「検査全能」「数値信仰」というのが若干あるのかな?という事を思う。

以前の私の記事の中で、複数回「数値に惑わされる」事や「数値が絶対ではないと思う」事を書いてきたが、それでも私自身、神経質になった時にはやはり数値に取り込まれている事もあって、自己嫌悪な事もある。

だから、いろいろな病院で同じ検査を受ける気持ちが判らないではないが、結局何を信じていいのかわからなくなり袋小路に陥るのは当人だ。

では、その解消はなんだろう?

複数の病院で検査をしたという事は、担当医の所見・病院の検査結果に納得できなかった、という事なのだから、自分が信頼出来る病院で、信頼出来る医者を捜す事なのか?

現実としては、宝くじに当たるよりも低い確率のような気がする。だからいろいろな評価の本やネットが流行るのだけど。


「セカンド・オピニオン」「サード・オピニオン」という概念も一般に普及し始めたが、今まで医者の判断にそのまま従っていた患者が、「自分の病気は、専門家が示した複数の材料の中から自分で判断し、方向性を決める」時代が始まっているのだろう。

自分で決めたからには自分で責任を持つ・他人に責任を求めない。

「権利」には「義務」が伴う。

「決断」には「覚悟」がいる。


私の場合はたいてい「開き直り」という覚悟で切り抜けてきたような。

キャラのせいか。(^。^;)。

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永遠に難しい問題 その2

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日本産科婦人科学会が、6月25日に理事会で、現在は「重篤な遺伝性疾患」に限っている受精卵診断(着床前診断)の対象を再検討する作業部会の新設を決めたそうだ。

年内に答申をまとめる方針だという。

これは、習慣性流産、つまり不育症の患者さんで、夫婦どちらかに染色体の転座などがあって、現状では妊娠しても流産しかない状況の人に対してどうするか、という事が中心に話し合われるのだろう。


「自分の子供が欲しい」という切実な願いを目の前にした神戸の大谷先生が、学会が現在出している指針を逸脱して、検査を行ない妊娠可能な受精卵を着床させ出産に至った事に対して、世間で賛否が巻き起こった為、学会としても現状を鑑みながら検討せざるを得なくなったからだ。


その件に関して、前回もちょっと触れたが、ある大きな掲示板サイトでこの件について喧喧諤諤が起こっていた。

不育症としての治療が効かない…というか、夫婦どちらかが染色体の一部に異常があって(それでもご当人は極めて健康体であり何の障害もないので、この検査を受けると驚愕する事がほとんどだ)どうしても流産する、という実感がある方はこの話題に期待を持っている。

だが、筋ジス(筋ジストロフィー)の保因者である方や先天的な障害を持っているお子さんを育児されている方が、この件に関してはナーバスな発言をされる。

それぞれの価値観であるし、妥協点が見出せないよなぁ、とは考えるのだが、「どこに視点を置くか」によってこの件の語られ方が違ってくるわけで、それがわかって発言してるのか、自分の感情のみで発言しているのか、というのが傍観しているとわかる。その昔数学で習った「空間の交わり」のようなもので、どこまで議論したって収拾はつかない。

掲示板なのでそれ以上の議論は不毛だな、と思っていたら、掲示板管理者が削除していた。


その昔から、「出生前診断」「染色体検査」「遺伝子検査」等については日本ではタブー的なところがある。

それをする(=検査が行なわれる)と、今存在している障害者の尊厳が損なわれる、とか存在までもが差別を受けてしまう、といった議論になってしまう。

今いる障害の尊厳と存在価値(ってよく言われるけどそれって何?)を守るため、という名目で、親や団体関係者がヒステリックになっている事が多いのだが、それは、当人達、つまり障害者自身の意見ではない。あくまでも親と関係者の意見だ。

私のように「そんなこと言ったって、それぞれの人の自由だし、夫婦で話し合って納得し合った上で検査に臨むのであれば、別にいいじゃん。私らに関係あることではないもん。そのご夫婦の問題だもん」と思っている障害者だって、絶対にいるはずだ。

ここで考えなければならない問題についてと一般的に捉えた場合にどう解釈し理解するかという問題を混同してはならない。

日本では、そういう議論が多い。特に医療・医学や福祉については。


それと、つい最近も「こんな検査が行なわれるのはいけない」的な講演会&集会のようなものがあったようだが、そこは宗教が絡んだものになっていて、特定の宗教を持たない者にとっては「(宗教を絡める事→)それはずるいでしょう!」としか言えない。

各々の信念や思いを持つことは自由であるが、こういう、万人が一応の納得感を持たねばならないところに宗教観が出てくるのは、違うと思う。欧米では万人の根本に宗教があるので(しかもああいった決定権をもった人々はキリスト教がかなり幅を占めていて)、一定の理解を得られる事もあるのかもしれないが、日本は事情が違うのでは、と思う。「ひとくくり」にされてはかなわない。


しかし、この件に対して、安易に「自分の治療の選択肢が増える」と誤解をしている者がいる事も事実。

あるHPの掲示板にそういう趣旨の事を言い合っているのを見つけたのだが、こちらは、そもそもどうしてこのような経過になってきているのか、等は全く解っておらず、その事について詳細に調べるわけでもなく与えられた情報のみをうのみにし、自分の経験したことが世界の全て、みたいな感覚しか持ち得てないので、議論する気も起こらない。

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永遠に難しい問題

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出生前診断。

「高齢」とついたら、いつかは対峙しなくてはいけない問題。


いろいろ調べると今は「羊水検査」の他にもいろいろあるんだ、ということに驚く。知らなかった。

羊水検査自体が、昔から「胎児に影響があるかも知れない検査」というのが広く知れて、だからいろいろ開発されたのかもしれないが、検査値がそこここにあると、それはそれで又、判断に迷う事になるのになぁ。

血液検査でわかるという「クワトロテスト」や「トリプルマーカー」では、医者と患者の間で、十分なインフォームド・コンセントがなされていない例の多種あるとかで、かなり問題になっているようだ。倫理的な問題も絡んで。


今、あるサイトで羊水検査に関しての議論が外国在住の方の意見などもあって、かなり熱を帯びてきている。

羊水試験が昔の「危険」な印象のままであり、出生前診断が障害者を差別する「悪」だという認識がなぜか広まっている日本においてその印象で語る人、(一般的にはそういう方が多いような気がする。別のサイトでの習慣性流産への出生前診断についてトピックが立った時、どう思っても、そこで言わんとしている事とはズレた意見だと思えるものもかなりあった)最新の情報と実際に受けた検査について、お医者様に聞いた事などで反論する人、外国からみた日本の出生前検査の捉え方に疑問を持つ人、情報に翻弄されて自分の求めているものがわからなくなってしまっている人…等々で、このままいくとどうなるのかなと、傍観者でずるいかなという気もするが、推移を見守っている。


日本産科婦人科学会が出している研修医さんのためのマニュアル、を羊水検査の検索中にヒットしたので、読んでみた。(2001年11月現在のものでした。)

研修医さんの為のものなので、実際の検査についてのやり方が細かく書かれており「やるならこんな感じなのねぇ」と思う。

そこにはもし、早期で検査をしたらこんな大変な事がある、とか、第一子の時に検査をした人が帝王切開で産んだ後、第二子の時も検査を希望してやったら、癒着のせいで子宮じゃなくて腸管にブスッと針が行っちゃって、腸管の細菌が子宮に入って、お子はだめになる、母体も危機になるで大変な事になった事、なんかも書かれてあって、検査そのものも安易に考えてはだめなんだってのが良くわかった。


この問題は「臓器移植」と同じように倫理観や良識、各々の価値観によって幅が出てくる事で、大きく括って語ることの出来ない問題だと思っている。

傍観者では、何とでも言える。当事者にとっては物凄く複雑で大変な問題。

物凄く頭の痛い問題である。

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