いってみよう! 夫婦で GO!GO! 世界一周。 -5ページ目

オートメーションか?

またもや旧共産圏の国にやってきた。

ウィーンからブダペストへはバスで3時間ほど。
ほんの少しの距離なのに、やっぱり東ヨーロッパ側の国は、
西側とは明らかに違う雰囲気を持っている。


そして、チェコに続き、ここハンガリーでもユーロが使えなくなった。


バスターミナルを降りるとすぐ、私たちは、両替所を探さなければならなかった。
しかし、探しても探してもどこにも両替所は見つからない。


一体どこにあるのだろう。ATMさえ見つけることが出来ない。
これでは地下鉄に乗れない。困った。どうしたものか。


バスターミナルから地下に降りてみると、果たして地下街の隅っこの方に、
両替所らしきものがあり、その手前にATMがぽつんと置いてあった。


ようやく見つけたATMでいそいそと現金を引き出す。


出てきたのは全て1000フォリント札だった。
おそらくこの高額紙幣では、地下鉄の切符は買えないだろう。
そう思って、パンを2つ買った。


受け取ったのは、100フォリント札5枚と80フォリント分のコイン。
1ユーロは大体260フォリントだった。


地下鉄の改札前には自動券売機があった。
料金は270フォリント。


さて、お金を入れようと思ったが、ない。


券売機には、紙幣を投入する入り口がどこを探しても見当たらなかった。


あるのは、ただコインの投入口のみ。


ハンガリーフォリントは100フォリントからお札になっている。
しかし、地下鉄の料金は270フォリント。


この自販機は、270フォリント分すべてコインで用意しろ。
と、言っていた。


その数は最低でも、50フォリントコイン5枚と、
20フォリントコイン1枚の計6枚にもなる。


切符一枚買うのに、コインを6枚も使わなければいけないとなると、
一体つねにどれだけのコインを用意しなければいけないのだろうか?


ブダペスト市民は毎日、大量のコインで財布を重くしているのだろうか?


もちろん私たちは、そんなにたくさんのコインを持っていない。


このままでは、列車に乗れない。どうすればいいのだろう?
あたりをキョロキョロしていると、改札のすぐ近くに、有人の券売所があった。


ここで買えばいいのか。


おばちゃんに1000フォリント札を渡すと、おつりとやっとチケット2枚をゲットできた。
見ると、みんなおばちゃんから切符を買っている。


やっぱり。


100フォリント札の使えない自販機は無用の長物と化していた。
これでは、何のために置いてあるのか、さっぱり分からない。


地下鉄の自販機がいつやってくるかわからない客を待ち続けている間、
おばちゃんは次々と客をさばいていた。


自販機が使えないからおばちゃんがいるのか?
おばちゃんがいるから自販機がいつまでも使えないままなのか?

どっちだ?(yo)

クリムトとワッサー

チェコのプラハからオーストリアのウィーンまでは、
バスで4時間と近い。


ウィーンのバスターミナルは、Erdberg というところにあった。
まわりには、駐車場しかない閑散としたところだ。


ホステルのあるWestbahnhof までは、かなりの距離がある。
昼休みラッシュに巻き込まれて、車内で窮屈な思いをしながら、
Westbahnhof の駅を出ると、確信した。


やはり、チェコは暗かった。


空は曇っていて、決して晴れやかではないが、なんというか街が洗練されている。
同じようにトラムも走っているが、こちらの方が幾分、近代的な乗り物に見えた。


街を行きかう人々の表情も明るく、ファッションもやはり、どこかスタイリッシュだ。
わずか4時間で、よくこれほど変わるものだ。
すぐ隣の国でも、まったく違う雰囲気が漂っている。


ウィーンでは、ぜひ観たいものがある。
グスタフ クリムトの「接吻」と、フンデルトワッサーのデザインした家だ。


まず、クリムトの置いてあるヴェルベデーレ宮殿に向かった。
Sudbahnhofの駅を降りると、宮殿まではすぐ。


しかしそこからが長かった。


宮殿は上宮と下宮に別れており、
その二つをまるで不思議の国のアリスに出てきそうな、
迷路のような植木と大きな泉、
それに数々の彫刻が配置された大きな庭がつないでいる。


特に目を引いたのは、ボインのスフィンクス
一体、一体、表情の違う上半身は女性で下半身は獣のスフィンクスが、
何体も、宮殿を守護するように、あるものは立ち、あるものは座って、
訪れる人々をジーっと見守っていた。


はじめに上宮の方に訪れたのだが、受け付けで確認すると、
「接吻」は、反対側の下宮にあるのだった。


そんなこととはつゆ知らず、上宮のチケット窓口で、
「チケット2枚ください。」というと、
「どっちですか?」と聞かれた。
「いや、これが見たいんです。」と、そこにあったクリムトのポスターを指差すと、
「それはあっちです。」と、下宮のほうを指差された。


チケット料金は、上宮、下宮で別れているシステムだった。
両方見られるコンビチケットなるものも販売されていた。


値段的には、一つだけ見るよりも両方見た方がお得なように設定されている。


1つだけのチケットは、9.5ユーロで、コンビだと12.5ユーロだった。
運営側は、「どうせ、どっちも観るんでしょ。」と思っているに違いない。


でも、私たちはあまり時間もないので、「接吻」さえ観れればそれでいいもんね。
と、9.5ユーロのほうを買った。


ボインのスフィンクスたちを眺めながら、だだっ広い庭を歩く。
というより歩かされる。
中世の貴族ならまだしも、
一刻も早く「接吻」に近づきたい私たちには庭を楽しむゆとりもない。


「接吻」は、下宮の一番奥の展示室にあった。


だが、私たちの頭の中にある「キンピカ」のものとは、随分印象が違った。
教科書やポスターで見るよりも、実物はくすんでいた。
金箔の輝きがない。


「うーむ。こんなものか。」としばらく立ちつくしていると、そばにいた警備員が、
しゃがんでみろ。と、手で合図してきた。


言われたとおりにしゃがんでみる。
途端に絵が輝きだした。


なるほど、観る角度によって、光の当り方が変わるのだ。
「これはいいぞ。」と、それからは他のクリムトの絵の前でも、
立ったり座ったりして観るようになった。
まわりの人でそんな事をしている人はいなかったので、
変な目でみられていたかもしれない。


クリムトに満足した私たちは、すぐにフンデルトワッサーハウスに向かった。
駅を降り、軽く昼食を済ませた後、地図を頼りに歩くが、ぜんぜん道がわからない。


たまらず、スーパーの前にいたおじさんに片言のドイツ語で道を聞いたが、
ドイツ語で返されてもわからないのだった。


ポケーっとしていると、見かねたおじさんは英語で言い直してくれた。
はじめから英語で聞けばよかった。


やがて案内のサインが現れ、その方向に住宅地を歩いていくと、
目の前に赤、青、黄がちりばめられた
あの独特のタイル張りの建物が見えてきた。


フンデルトワッサーハウスの前は、人で溢れていた。


みんなこの奇抜な建物の前で、記念撮影をしたりして、はしゃいでいる。
だがしかし、ここは普通に集合住宅として使われている。


建物内へは住民しか入れない。


自分たちの家の前がこのような観光客のたまり場になっていて、
さぞ迷惑しているだろう。
あるいは、いつも外にでても人だかりが出来ていることに、
ちょっとしたスター気分を味わっているのだろうか。
そんな事を思いながら、ちょっと建物の中をのぞいて見た。
玄関には乳母車が置いてあった。


ワッサーハウスの前には、ギャラリー兼、土産物屋があり、
その地下にはトイレがある。


驚いたことにこのトイレもまた、ワッサー風になっていた。


外から見ると、まるで遊園地のアトラクションのようだ。
楽しそうなので、思わず入りたくなってしまう。


コインを入れ、回転式の入り口を抜けトイレの扉を開ける。


中には、6つの個室があった。適当な1つに入ると、白い便器が置いてあった。
床のタイルはワッサーだが、さすがに便器までは造れなかったらしい。
意外にもというか。
当然のことのように、普通の便器だった。


しかし、洗面台は違った。
4枚ほどある鏡は全て割れていて、壁の雰囲気とマッチしていた。


こんなところまで来て、自分の顔が良く見えないと怒る人はいないだろう。
むしろ、ここまで普通だったら、逆に金返せ。というようなものである。


ワッサーハウスのすぐ近く、(といっても少し歩くが)にクンストハウスウィーンという、
フンデルトワッサーの美術館があった。


ここはもう、外観から何まで、全てワッサーという、
ワッサーファンにはたまらないようなところだった。
入場チケットもワッサーの絵だった。分厚くて、一枚一枚、形が違う。
裏面には番号が書かれていた。パズルになっているようだ。


おもしろい。全部集めたくなる。と、思っていると、
ミュージアムショップにそのパズルが売られていた。
微妙に少し違うが、思わず買ってしまった。


ギャラリー内は意外にもすいていた。


ワッサーハウスの盛況ぶりから考えると、とても信じられない。


こちらは、有料だからだろうか。でも、すいているおかげで、じっくり鑑賞できる。


さすがに、作品数は多く、とても見ごたえがあった。
フンデルトワッサーの作品は、生で観ると、より一層力強く、生命力に満ちていた。


作品もさることながら、中でも一番、私が心打たれたのは、国旗だ。


ワッサーは国旗のデザインも試みていた。
平和を願い、イスラエルの国旗をデザインしていた。
国旗だけ見ると何だ?と思うが、
デザインコンセプトには、ユダヤ人とアラブ人の共生を願った、
ワッサーの思いが詰まっていた。


英語で書かれたそのコンセプトを読んでいると、胸に熱いものがこみ上げて来る。
いつかこの国旗の下、ユダヤ人とアラブ人が共生する平和な国
出来るときはやってくるのだろうか?


帰り道、歩いていると何人かの人に道をたずねられた。それもドイツ語で。
私たちが地元の人にでも見えたのだろうか?


ウィーンの人は変わっている。(yo)


世界一のビール? プルゼニュ

チェコはビールのメッカ。
お酒の飲めないユリをおいて一人。
プラハから列車で1時間30分ほどゆられ、プルゼニュに行った。


ここにはピルスナービールの発祥地があり、
いわばプルゼニュは世界中のピルスナービールの総本山。


ピルスナーという名称は、本来ここで造られたもののことのみを指すそうで、
その他のピルスナーは、いわばまがいものであるらしい。


シャンパンというのは、シャンパーニュ地方でできたものを指すが、
これも、どうやらそういうことか。


プルゼニュ駅を降り、駅前を大通りにそって歩き、地下道を抜けると、
大きなビール工場が見えてくる。


ここではビールの醸造工程を見学できるツアーが行われており、
私は3時間ほどのそのツアーに参加するためにやってきた。


ツアーと言っても、ビールの醸造工程なんか、ハッキリ言ってどうでも良かった。
お目当ては、ツアーの最後。
出来立てビールの試飲だ。


ただ、世界最高のビールを味わいたいがために、
わざわざここまでやってきたのだった。


ツアーは英語とチェコ語の2種類。もちろん英語ツアーの申し込みをする。
まもなくはじまるツアーまで、しばらくあたりをウロウロしていると、
たくさんの団体さんがやってきた。


さすが。ビールの王様。
世界中から、毎日たくさんの人がやってくるのだ。
そう思っていると、団体さんは係員に連れられて、いつの間にか消えてしまった。
チェコ語のツアー客だった。


再び、一人ぼっち。ガランとした受付の椅子に一人たたずむ。
時計を見るともうそろそろ時間だ。


しかし、客は一人もこない。まさか。。。。


まさかだった。


今まで、受付同士で話していたうちの一人が、こちらに近づいてきた。
「では。行きましょう。」


やっぱり、英語ツアーは私一人か。


これから3時間。私はガイドのイヤンさんと二人きりで過ごすことになった。
これでは個人教室ではないか。


マンツーマンで理解できるだろうか?


しかし、イヤンさんの英語は聞き取りやすく、説明もわかりやすかった。


まずはじめは、瓶詰め工場を見学。工場までは、バスで行くことになっているが、
何十人も乗れるバスの中に乗客はもちろん私一人


結構、離れているのかと腰を落ち着けたが、貸しきり状態のバスはすぐに止まった


この距離なら歩いてもいいのでは?
瓶詰め工場はすぐそこだった。


イヤンさんの話では、瓶の70%は再利用で30%が新品なのだという。
かなり高いリサイクル率に驚いた。


日本のキリンやアサヒ、サッポロもそんな具合なのだろうか?


そういえば、チェコやその他、ヨーロッパでは瓶ビールを買うと、瓶代が加算される。


瓶を返しに行けばお金が返ってくるということなのか?
あらかじめリサイクル料金として徴収しているのか?は、よくわからなかったが、
とにかく。リサイクル率は高いのだった。


缶づめラインもあった。


しかし、こちらは動いていなかった。
イヤンさんによると、缶よりも瓶のほうが人気があるのだという。

「味が違うのか?」と聞くと、「いや、味はかわらない。
でもみんなボトルで飲みたがるんだよね。」
と笑っていた。


確かにボトルの方がおいしい気はする。


またもや、ガランガランの貸切バスに乗り、
今度はビールが出来るまでを見ていくことに。


USJにありそうなハイテク大型ビジョンでも、やっぱり私一人。
大きな装置に一人でいると、なんとなく寂しくなった。


その後もツアーは続く。


はじめは、あまり興味がなかったツアーだが、マンツーマンのおかげか、
ビールについての知識や醸造所のことが良くわかり、次第におもしろくなってきた。


いつの間にか、二人は「イヤン」「ヨウヘイ」と呼び合うまでに打ち解ける。
ことは、なかったが、非常に充実したひと時だった。


やがて迷路のような地下の熟成所に案内されると、
大きなタルがいくつも並ぶ部屋に至る。


いよいよ、待ちに待ったビールの試飲だ。
おじさんがカップにビールを注いでくれる。


イースト菌を抜いていない、生の生ビールは、まろやかで、くちあたりがよく、
とてもクリーミィだった。


すぐに飲み干してしまうと、「もう一杯どう?」うれしい言葉に思わずうなずく。
今まで飲んだことのないビールだった。


帰りに、市販のピルスナーアークェルを買って、飲み比べてみると、
その差が良くわかった。
このビールはまさにここでしか味わえないビールだ。(yo)

ガイコツの教会

プラハから列車で1時間ほど行くと、クトナーホラというところに着く。


そこから歩いて15分ほど、タバコ工場をすぎ、
左手に現れる教会の前の道を右に折れて、
進んでいくと、こじんまりした教会にたどりつく。


コストニーチェというこの教会は、外観こそ何の変哲もない小さな教会だが、
教会内に一歩、足を踏み入れると、すぐにその異様な光景に息を飲んだ。


ガイコツ、ドクロ、シャレコウベ。
室内のあらゆるところに骨でできた装飾が施されていた。
まず、目につくのは正面の壁。


海賊のマークのようにドクロを中心として、そのまわりに手か足の部位の骨が、
きれいに並べられている。


そして左右の壁には、骨でできた杯がこれまた見事な組み方で作られていた。


教会は半地下になっており、部屋はちょうど十字架になるように左右に広がっていた。
部屋の中心部に行くまでの左右両側には、おびただしい数のドクロが、
まるで祭壇のようにきれいに並べられている。


そして、この教会の中心部には、
なんと骨でできたシャンデリアが天井からぶらさがっていた。


入り口で配られた日本語ガイドによると、
このシャンデリアは人体のすべての骨を使用しているのだという。
どこが、どこの部位か、わけがわからないが、
これを完成させた人はかなりの変人に違いない。


左の部屋に行き、入り口の方に振り返ると、
これまた見事な骨のタペストリーがあった。


何から何まで、骨、ほね、ホネ。
教会内は骨で埋め尽くされていた。


なぜ、これほどまでの死者の骨で、内部を飾らなければならなかったのか。
は、おいといて。


頭の先からつま先まで、人体の部位を見事に使い分けて作られた装飾たちは、
スゴイと言わざるを得ない。
チェコらしい怪しげな美を湛えていた。


教会を出る途中、階段の横に骨文字を発見。


J. Santineと書かれている。
なんでも、これらのホネアートを作った作者の名前なのだとか。
自分の名前までも骨で作るとはさすが。


ところで、作者の骨はどこに埋葬されているのだろう?


あまり、興味のないユリをよそに、一人で写真を撮っていると、
ユリの機嫌が悪くなった。(yo)


チェコ プラハ散策

プラハは古い街並みが残る歴史的な街だ。
それは戦争によるダメージがないからだと何かに書いてあった。


石畳が敷き詰められた市内は、トラムと車でひしめきあい、
地下には地下鉄も走っている。


家の下がアーチ状になっていて、その中をトンネルのように往来する、
トラム、人々、車。
大小さまざま、複雑に入り組んでいて、初心者マークの車には、
かなりハードルが高そうだ。


モルダウ川にかかるカレル橋は工事中で、
橋の真ん中から向こう側は狭くなっていた。
欄干には、いかめしい様々な彫刻が立ち、
それらは橋を一層おごそかなものにしていた。


銅像の上には、鳥が止まっている。
おそらく、どこぞの偉い人たちの像だろうが、彼らはそんなことおかまいなしに、
偉い人たちの頭の上に白い糞を垂れ流していた。


おかげで、せっかく威厳満々でかまえていたどこぞの誰それも、
頭を汚され、すっかりまぬけなかっこうになっていた。


橋の西側から丘のほうに登っていくと、プラハ城にたどりつく。


坂はなかなかハードで、運動不足の私たちは、
登りはじめてすいぐに息を切らせてしまった。


まるで、中学の部活で使われそうな坂を汗して登ったところに待っていたのは、
陽に輝くプラハの街並みだった。


赤い屋根とハチミツ色の壁が、びっしりと並んでいるその様子は、
キレイに澄み渡った空に一層栄えていた。


プラハ城はシンデレラ城のようないわゆる城ではない。
棍棒を持った巨人が、その前に立つ、衛兵の脳天に、
今まさに一撃をくらわせようとしている、
いかめしい門をくぐると、中心に聖ヴィート教会が置かれた、
小さな町が造られていた。



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私たちは入場料をどこで払えばいいのやら、探りながら、
聖ヴィート教会に足を踏み入れた。
教会は、ただ、だった。

ゴシック様式の聖堂の天井は天高くまでそびえ、
窓という窓にはステンドグラスがはめられている。
入ってすぐ左側、2つめのステンドグラス
アルフォンス ミュシャの手によるものだった。



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いってみよう! 夫婦で GO!GO!  世界一周。-myushagrass2


さすが、一目見ただけでわかった。
ほかのものとは、明らかに違う。

おなじみにのミュシャの人物たちが、
くねくねうねるツタのようなものに囲まれ、
ひとつの世界を形成していた。

すっかり、教会に圧倒された私たちは、反対側を目指し、歩く。
なかなかファインダーに収まらない巨大な教会に四苦八苦していると、
ユリがしびれを切らす。


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城を出る途中。黄金の小道なる道があった。

いったいどんな小道なのか興味津々だったが、黄金の小道へ入るには、
セット券A、Bなるものを購入しなければならなかった。
特にほかの施設に興味のない私たちは、
わざわざここだけのために買うのもなんだな。
と思い、やめた。


でも、やっぱり気になる。


小道の奥はどうなっているのだろう。
城の出口付近まで、壁の向こうを眺めながら歩いたが、わからない。
やっぱり、黄金だからさぞかし、素敵な道なんだろうなぁ。
と夢想しながら坂を下った。

丘の下にあるカフカの家の前には、
二人の男が向かい合いながら、小便をしている像があった。

なぜか、腰が水平に回転していた。
 


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そうかと思うと、大人一人がやっと通れるような路地の中に、
なぜか信号があった。




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あやつり人形屋の店先には、独特の表情をした人形たちが飾られていた。


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どこかおどろおどろしく、奇妙で古風な雰囲気がプラハの街にはある。
それが、ほかのヨーロッパにはない、この街だけの魅力だ。


だがしかし、プラハの夜は暗い。街のショーケースは、いったい何年前のだ。
と思わせるくらいトーンが低い。


商品自体は新しいのかもしれない。
だが、せっかくの NEW も薄暗い照明によって、
新しさを感じさせないものと化していた。


照明が暗いが人も暗かった。
道行く人は、どこか打つ向きがちで、笑顔の人もあまりみかけない。


やはりそこは、かつての社会主義のなごりなのだろうか。
しかし、そんな人たちも広場の天文時計の仕掛けが動いたときは、
歓声を上げて盛り上がる。


でも、なんとなく地味だった。
チェコ人、暗いよ!(yo)